武蔵野うどんを食べに行こう!
ケイスケ
第1話
「武蔵野うどんを食べに行こう!」
ソファに寝そべり、スマホをいじっていた同居人のことねが、ガバリと上体を起こして宣言する。
「……なんて?」
「なんかね~。急に食べたくなった。武蔵野うどん」
季節は夏、時刻は午前10時ぴったり。
私たち女子大生には、悠久にも感じられる時間があるけれど、それを生かすための目的もなく、うだるような暑さがゆっくりと夏休みを溶かしていた。
「そもそも、武蔵野うどんってなに? 普通のうどんと違うの?」
「や~。それが結構違うんだよ~。麺がガッシリしててー、すっごくコシがあってー、キノコとお肉のだしがめっちゃ美味しいんだ……」
「ふぅん……」
幸せそうな表情で食レポをすることねを横目に『武蔵野うどん』で検索してみる。つけ麵みたいに食べるんだ。確かに美味しそう。
「……ということで、武蔵野うどんを食べに行こう! まつり!」
「いってらっしゃーい……って、私もいくの?!」
「モチのロン!」
***
準備を整えて、11時過ぎに玄関の扉を開ける。
化粧が一瞬で無に帰しそうなくらい異常に汗が出てくる。つまりはクソ暑い。
「帰りたい……。一生だらだらしていたい……」
「えー? 今家出たばっかー!」
玄関を出てすぐに引き返そうとする私の左腕を、ことねがグイグイ引っ張ってくる。
まつりと名付けられながら、人混みや夏の暑さが超苦手になってしまったこと、我ながらちょっと申し訳なく思ってる。
インドアな私とは対称的に、ことねは暇さえあれば近所の探検に出ている。
もともとこっちに住んでいた私よりも、県外から引っ越してきたことねの方が、近所の美味しい定食屋さんや、100円で買える自販機の場所に詳しくなっていた。
「ことね。さっき調べたんだけど、この辺に武蔵野うどんを食べられるお店はないよ」
「うん。だから、わたしの地元に帰ろ!」
「えぇ……」
ことねの地元は、確か府中だったか。片道2時間はかかるぞ……。
私たちの大学は千葉にあって、1年生の頃はお互いに実家から通っていたけど、私は通勤ラッシュが耐えきれず、ことねはそもそも朝が早すぎて、仲良く一限の必修授業を落としたことがルームシェアを始めたきっかけだったりする。
「あのさ、うなぎとかカニを食べに行くなら分かるんだけど、うどん食べに2時間は重くない?」
「うん? サイコーじゃない?」
ことねは何の疑いもなく、にへらっと笑ってみせる。
一緒に住み始めて4ヶ月が経ったけど、内房線外房線を一周してみようとか、こち亀を手分けして(?)読破しようとか、蛸を釣りに海に出ようとか、そういう突拍子もない思いつきに振り回されることにも慣れてきた。
「まつり、今日何も予定ないでしょ~? 一緒に行こうよ~」
「まあ暇は暇だけど……」
「じゃあ、レッツラゴー!」
結局、いつも手を引かれるまま、ことねについていってしまう。
去年の夏休みは、お昼に起きて、深夜までアニメを観たり、本を読んだり、ゲームをしたり、その繰り返しで2ヵ月が過ぎていた。
まあ、それも悪くはない。
むしろ、今でもサイコーの時間の使い方だったとさえ思っている。
でも、ことねと過ごすようになって、ちょっとは健康的になったのかもね。
「しょーがないなぁ」
「おっ! うれしい~。古本屋さん寄ってこ!」
***
「武蔵野うどんを食べに行くので~」という、わかるような、わからないような理由で、ことねは武蔵野線で府中本町まで向かうルートを選んだ。
約1時間半ほどの乗車時間、ことねは隣でスマホをいじっていて、私はさっき古本屋さんで買った小説を読んでいる。
たまに本から顔を上げると、車窓からは、巨大な商業施設がみえたり、街の開発が進められていたり、自然豊かな野山が現れたり、人の営みがグラデーションのように移ろいでいた。
「なに読んでるのー?」
スマホに飽きたのか、ことねが手元を覗き込んでくる。
「国木田独歩の『武蔵野』。せっかくだから?」
「……なんか、ヤバイくらい武蔵野になっててウケんね」
なんかツボに入ったしく「激・武蔵野状態」と呟いてコロコロと笑っている。
「そもそもさ、武蔵野ってなに?」
「なんでしょうね。そっち住んでたことねの方が詳しいんじゃない?」
「あんまりピンと来ないけど……。あっ! 武蔵野日誌っていうお菓子が美味しかったです! 中にチョコレートが入った小っちゃいバームクーヘンで……」
ご飯が美味しいところなんだろうか?
ことねがうどんやら、お菓子やら、美味しそうに味の詳細を語ってくるので、お腹が空いてきた。
「その、国木田センセーの本には書いてないの?」
「そういう本じゃないっぽい。国木田独歩の言ってる武蔵野、今の渋谷のことみたいだし……」
「ふえー。大都会じゃん」
「今はね。明治時代は中心都市に近い田舎みたいな感じだったんだって。で、都会でいろいろ疲れた独歩が、そこにある自然とか生活の美しさを発見して、興奮気味に『武蔵野はいいぞ!』……って言ってるのがこのお話。多分」
「おぉ……そうなんだ~」
「分かる?」
「うん! なんとなく分かる気もする~」
ことねは、弟とザリガニ釣りに行った話や、100円を握りしめて駄菓子屋さんに行った話、公園に生えてる桑の実をむしゃむしゃ食べた思い出なんかを、楽しそうに聞かせてくれる。
「それがことねにとっての武蔵野なのかもね」
「ああ、レぺゼンみたいなことかー」
「レぺ……まあ、心のふるさとみたいな」
レペゼン武蔵野の独歩先生も、草葉の陰で泣いて喜んでいるだろう。
「まつりがそうやって分かりやすく説明してくれるの好きだよ」
「そりゃどうも」
そう返したところで、電車は長いトンネルに入って、ことねは再びスマホに目を移す。
強引に手を引っ張ってはくるけど、その後は近すぎず、離れすぎず、隣にいながら、一人の時間のことも尊重してくれる。
連れられた先で、これまで知らなかった新しい景色を見せてくれる。
まあ、何だかんだで、私もことねと過ごす時間のことを、悪くないと思っているのだ。
***
トンネルを抜けてほどなく、終点の府中本町に到着する。
時刻は13時過ぎ。朝から何も食べていないので、お腹はペコペコだ。
「や~。なんかまた新しいお店が増えてる気がする~」
「そうなんだ」
「うん! ここは昔デパートでね。お母さんが地下のカルチャーセンター通ってたから、帰りにフードコートでアイス食べて帰ってたなぁ……」
久しぶりの地元を歩きながら、ことねは遠い日の記憶を愛おしそうに思い返している。
一緒に暮らすようになってからも、たくさん探検して、楽しいことや好きなことを、自分でみつけてきたことねのことだ。
その全てを知ってるわけではないけれど、友達も、好きな場所も、思い出も、きっとたくさんあるんだろうな。
「ことねは、地元が好きなんだね」
「うん! ……でも、いない間に知らない場所が増えてくの、なんかちょっとさびしい」
ここに昔、まつりが好きそうないい雰囲気の古本屋さんがあったんだけどな~と、ことねは残念そうに高層マンションを指さす。
「人も街も、変わっていくんだね」
「……」
もしかしたら、ことねがたくさん探検していたのも、知らない土地で、自分の居場所を探していたのかもしれない。
ことねにとっては、この街で過ごした時間の方がずっと長いし、ここに心が落ち着く場所があるんだろうと思う。
……でも、昔の思い出ばかり振り返られるのは、なんかちょっと悔しい。
「……でも、私はことねと会えて、今日一緒にこれて、良かったなって思ってるよ」
ことねがこの土地を離れず、一緒に暮らしていなかったら、私は武蔵野うどんを食べることも無かったかもしれない。
変わっていくことで繋がるものもも、きっと、いや絶対にあるんだ。
「……え! 何!? 愛の告白!?」
「ちがわい」
「え~! わたしもまつりと会えて良かったよ~!」
「ほら。うどん食べに行くんでしょ!」
「うん! まつり、ありがと!」
ちょっと気恥ずかしさを感じて早足になってしまったが「そっちじゃないよ~」と腕を引き戻される。
ことねは、嬉しそうに笑っていた。
***
「あーお腹ペコペコ。入ろ入ろ」
ガラガラと引き戸をあけて『武蔵野うどん』と書かれたお店に入る。
「すみませーん。注文いいですか? きのこうどんとすりかま揚げと……」
「あ、私は肉うどんお願いします」
「はいよぉ。茹でるのに時間かかるから、ちょっと待っててね」
「はーい」
店内のテレビでは、夏の甲子園の決勝戦が流れている。
初めて来た土地で、見知らぬ土地の代表校同士が戦う姿を眺めるのは、自分の所在がふわふわとした不思議な感覚を覚える。
「どっちが優勝するかね~」
「ねぇ」
目の前の青春に命を燃やす高校球児たちと、片道2時間かけてうどんだけを食べに来た私たち。
二十分ほど経って、待ちに待った武蔵野うどんが到着する。
「「いただきます」」
手を合わせて、箸でうどんを掴むと、確かにシッカリとした重量がある。
一口で食べられる量をつゆにつけてひと啜り。
「どうどう? 武蔵野うどんのお味は!」
「……正直言っていい?」
「うん! いいよ」
「…………美味しい、けど思ったより普通だった」
店員さんに聞こえないように気をつけながら、小声でことねに囁く。
「ふふふ~! そうでしょ!」
「えっ! めっちゃ美味しいから食べさせたかったんじゃなかったの?」
「めっちゃは美味しくないけど、わたしにとってのいつもの味だから。それをまつりに知って欲しかったんだ~」
ことねは満足そうに笑っている。
「あっ! でもね、このすりかま揚げが超美味しいんよ! 富山から直接送ってもらってるんだって~」
「……もう武蔵野関係ないじゃん」
「食べないの?」
「食べる!」
初めて知ったこの味も、悪くはないなと思った。
武蔵野うどんを食べに行こう! ケイスケ @gkeisuke
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