デイダラボッチとタタラ製鉄
坂崎文明
デイダラボッチの正体とタタラ製鉄
◇ デイダラボッチの呼び名からその正体を探る
でいだらぼっち、ダイランボウ、だいだらぼう、でいらんぼう、だいらぼう、デエダラボッチ、デイラボッチ、デイラボッチャ、デーラボッチャ、デエラボッチ、デーラボッチ、タイタンボウ、デエデエボウ、デイデンボメ、ダイトウボウシ、レイラボッチ、ダダ星、おおきいぼちゃぼちゃ、などの呼び名があるが、一見、ばらばらの様に見えて、法則性があるのではないかと思う。
概ね、【だい】系の呼び名と【デイ】系の名前に分かれている。
【だい】系の名前は日本語の発音であり、【デイ】系の名前は韓国語の発音だと思われる。単なる訛りかもしれないが。
韓国語では『はい』の発音は『デェー』だったりするらしい。
ネットで色々と調べていたら、韓国の古代時代劇観てた人がそんなことを言ってました。
ただ、当時の韓国人(百済や任那などの人々)はほとんど日本に移住してきているので、今の韓国人はもっと北の国から南下してきた民族で別物であるとも言える。
ただ、韓国南部に日本の前方後円墳があるので、古代の韓国人の子孫が韓国に残ってる可能性もかなり高いので、あながち間違ってもないとは思う。
漢字表記だと、
最後の
大和政権は任那で鉄を生産していたらしいのだ。
そのために、朝鮮半島の任那日本府は大和政権の生命線でもあった。
その視点から、
◇ デイダラボッチとタタラ製鉄の関係
デイダラボッチというのは
タタラ製鉄の神である『
タタラ製鉄では長時間、炎を見つけるので隻眼になりやすく、
デイラボッチ伝説では、藤づるの話や藤づるが山から無くなった理由が語られることがあるが、藤づるで編んだ
大量の藤づるで編んだ
それに、タタラ製鉄そのものが山を切り崩し、
それを巨人の仕業に例えたのかもしれない。
とはいえ、岡山県や広島県などではその土砂によって干拓を進めて、岡山平野や広島平野などの農地を飛躍的に増やした例もある。
中国山脈中心に行われていたタタラ製鉄は災害の原因にもなったが、そういういメリットもなかった訳ではなかった。
◇ 武蔵野に広がるタタラ製鉄関連の地名
武蔵野というか、東京都町田市の玉川学園周辺の地名にも金井、藤の台、金井町、金森などの製鉄関係の地名がある。
玉川学園には『聖山』という標高は107.19メートルの小高い丘があって、以前は『丸山』『富士塚』とも呼ばれていたらしい。
富士山が一望できたので『富士塚』、丘の形が円形だったので『丸山』だったんだろうと思う。
この『聖山』からは武蔵野の東西南北がが一望できたようで、付近では横穴式古墳が発掘されたりしている。
この『聖山』はおそらく、この地域の文字通り『聖山』だったんじゃないかと思うし、周囲の地名からタタラ製鉄とも関連してた山だと思う。
実は僕の故郷の古代吉備(岡山県)にも、吉備津神社の
桃太郎は大和朝廷から来た侵略者であり、第7代孝霊天皇の第3王子の五十狭芹彦命〔四道将軍の一人 西道将軍 別名吉備津彦命〕なのだが、
その証拠に岡山県では桃太郎より、鬼である
昔は桃太郎祭りだったように思いますが、『うらじゃ』祭りに変わってます(笑)
ここには吉備の中山という聖山があり、吉備津神社(備中、備後一宮)、吉備津彦神社(備中一宮)とか、黒住教本部、最古の前方後円墳の一つといわれる矢藤治山古墳、100mを超える大型前方後円墳の尾上車山古墳(国指定史跡)、中山茶臼山古墳(宮内庁管理地、第7代孝霊天皇の第3王子の五十狭芹彦命が眠る)があります。また後期古墳の石舟古墳などが山のあちこちにあります。
他にも古墳やら史跡やら小さな宗教施設が無数にある。
吉備においてはさほど高くはないこの吉備の中山が最大の聖山となってます。
太古より神奈備山として、人々から崇められてきた山になっている。
話を武蔵野に戻しますが、この辺りは『武相国境』といって、相模国と武蔵国の国境だったんだけど、その国境線は『タタラ師』の通った道でもあると言われている。
だから、『金』のつく地名や『鍛冶屋』という屋号をもつ家、先祖が金物師だという家がとても多い。
金井、大たら、鍛冶ケ谷、金沢区の釜利谷、かねくそ沢などの地名もある。
◇ タタラ製鉄と妖怪
ダイダラボッチなどの巨人、大入道伝説、一つ目小僧、一本足の案山子、河童、天狗、赤鬼、青鬼などは、古代タタラ産鉄系の妖怪です。
伊豆七島では「嘘をいうと鍛冶屋を呼んでくるぞ」という口碑があるそうだし、『タタラ師』自体が周囲からかなり恐れられていたと思われます。
タタラ製鉄で片目を失うと、一つ目小僧になり、鞴を踏みすぎて足を悪くすると、一本足の案山子になる。
河童は川で水を汲んでいた『タタラ師』で、天狗は山伏のような恰好をした鉱山を探してる『タタラ師』であり、赤鬼、靑鬼は金棒を持ってるし、タタラ操業で火に当てられれば肌も赤くなるだろう。その姿は赤鬼のように見えたかもしれない。
ダイダラボッチなどの巨人、大入道伝説は、タタラ製鉄が山々の地形を変えてしまい、禿山にしたり、タタラの土砂により下流の川が天井川になり、洪水を引き起こす様子を巨人の仕業に見立てたのかもしれないと思う。
◇ デイダラボッチの正体と実際に巨人がいた可能性
デイダラボッチの正体は、タタラ製鉄を行っていた産鉄民と関係しているという結論になります。
なんですが、あくまでひとつの説なので、実際に巨人がいた可能性もあります。
僕は最近、ロシアのYouTuber発マッドフラッド(泥の洪水)とかフラットアース(地球平面説)などのオルタナティブ歴史(今の歴史を根本から見直す意味)などを調べています。
先日、聖書の研究などをしているキリスト教徒の方の自作パンフレット(オールカラーでお金はかかってそう)を送料のみで送ってもらって、検討してみたんですが、米国で出土する巨人の骨の出土記録があまりにも多すぎて、信じざる負えない状況になってます。
この巨人の骨の多くは某博物館が回収して行方不明になっています。
トルコやスイスの博物館に実在する展示された巨人(体長7メートル)の写真とか、日本の力士などでも巨人症という病気で2.3メートルを超える巨人は実在していました。
聖書の外典であるエノク書などには巨人の実在についての記述があり、その記録からキリスト教徒の方は実際に巨人の研究などもしているようです。
巨人の特徴である人間にはない二重歯列や頭蓋骨変形とかも含めて、巨人が発見された場所のデータベースまであるそうです。
そもそも、マッドフラッドなどでも問題になってますが、あまりにも巨大な扉を持つ巨大建築物が世界にありすぎるし、人の背丈ぐらいある巨大な本とか、巨人が実在してないと必要性がないような建築物が世界には多すぎます。
最近、キリスト教徒の方のブログを読んでいて、共通の天皇家と神社についての常識があり、ちょっと驚きました。
天皇家の古い紋章(実物でなくスケッチらしい)に獅子と麒麟(西洋ではユニコーン)があるのですが、これって、イギリス王室やロスチャイルド家の紋章と全く同じなんです。
失われたイスラエルの12氏族の紋章なんです。
御所の清涼殿にも獅子と麒麟の像がありますし、神社の狛犬も起源は獅子と麒麟であり、獅子麒麟舞も日本に実在しています。
神社は失われたイスラエルの12氏族の末裔である秦氏(キリスト教国のキルギス付近の弓月国が起源だと言われています)がほとんど作ってますし、当然と言えば当然なんですが。
秦の宰相だった大商人でもある呂不韋(呂氏はイスラエルの12氏族だと判明している)徐福説までありまして、第一渡来は徐福でその後に秦氏が来たと言われています。
朱色の鳥居自体がイスラエルの家の玄関にヤギの血を塗る風習と一致してますしね。
僕の故郷の岡山県は古代の製鉄民でもある吉備秦氏(物部氏)の王国ですが、県内の50%ほどに秦氏の痕跡があります。
岡山県美作市にはイスラエル原産の中国や中央アジアにしかいない寒羊(尾っぽが15キロぐらいの脂肪で出来ている羊)の描かれた家形陶棺があります。
日本の寒羊が描かれた家形陶棺の80%が美作にあるそうです。
これを研究してるのが三笠宮様で日ユ同祖論を唱えています。
自分の家の紋章がイスラエルと同じなんだから調べるよね。
話はずいぶん、逸れましたが、実際にデイダラボッチという巨人がいた可能性もあると僕は思ってます。
デイダラボッチとタタラ製鉄 坂崎文明 @s_f
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