スマホで始める異世界譚ー科学で魔法に革命をー

蒼衣ユイ

ルーヴェンハイト編

プロローグ 魔法のアプリ

 間もなく二十二時。

 煌々と灯りが点いているオフィスの一角で、女性社員二名が虚ろな目でのたのたとスマートフォンをタップしている。

 そんな二名の横で、新卒一年目の向坂さきさかなつのもげっそりしながらスマートフォンをタップしていた。

 しかし操っているのは一台ではない。両手にスマホを構えたうえデスクにもにも三台ならべ、全てを順にタップして計五台を同時操作している。その指先は目にもとまらぬスピードだ。


「なつのちゃんタップ速すぎ多すぎ」

「その二刀流はなんなの? 五刀流?」

「ほんとスマホ依存症だよね。スマホ持ってない時間無いでしょ」

「朝倉君の方が凄かったですよ」

「あー、あれは速かったね。退職も早かった」

「せめてデバッグしてから辞めろ。あ、アイドルの月城諒が男と失踪だって。十七歳くらいじゃないの、この子」

「月城諒ってうちのCMやってたよね」

「うーわ。スキャンダルとかふざけんな」


 ここはスマートフォンアプリゲーム制作会社だ。

 女性向けのアバターや庭作り、神秘的な占いアプリが主力で、それが好きでなつのは就職した。

 だがいざ入社して担当になったのは男性向けストラテジーゲームだった。

 全く興味の無いジャンルで、しかもリリース前デバッグで残業と休日出勤が続いてうんざりしているのだ。


「あーあ。もっと夢のあるアプリ作りたい」

「自チーム否定すんなや」

「ストラテジーだって夢だと思うけど。例えば?」


 待ってましたとばかりになつのは拳を握り立ち上がった。

 なつのにはかねてから作りたいアプリがあるのだ。


「魔法アプリ! 魔法陣タップで火が付くとか呪文で妖精召喚とかできちゃうやつ!」

「リモコンで電気付けたら?」

「アレクサ呼びな」

「違います! 科学じゃなくて魔法!」

「はいはい。夢見るのもほどほどにね」

「何でですか! 絶対楽し」

「向坂!!」

「わあっ!」


 なつのの言葉を遮って、男の大声が響いた。

 がんっと乱暴に扉を開けて入ってきたのは一人の青年だ。端正な顔立ちはイケメン売りの芸能人にも負けていない。


「……篠宮さん」


 篠宮かなめ

 新卒一年目でアバター系と庭製作系、占いアプリの三本をリリース。この全てが大ヒットし、業績と企業知名度は一気に上がった。

 知名度が上がった理由はアプリ以外にもある。篠宮は社内外問わず、そこに立てば誰もが目を奪われるほどのイケメンだ。

 そのルックスを活かしてメディア出演や書籍発売など、開発以外の活動も意欲的に行っている。アプリに興味の無いユーザーも獲得し、その層を対象としたエンタメ系のアプリに着手している。名実ともに若手ナンバーワンだ。


「ど、どうしたんですか篠宮さ」

「どうしたじゃねえ! お前がデバッグしたとこすっげーエラー出てるぞ!」

「げ」

「あれほどデバッグは丁寧にやれって言ったろ!!」

「あ、あ~……」


 デバッグはエラーを見つけるための作業だ。

 これを怠ればリリース後にクレームが出て改修が必要となり、エンジニアは追い残業となる。

 篠宮はなつのを睨むと大きなため息を吐いた。


「つまらんだろうけど大事な作業だ。五刀流すんな」

「すいません……」


 なつのはしょんぼりと俯いて、プライベートのスマホ二台をポケットにしまいこんだ。

 けれど篠宮はぽんっと軽く頭を撫でてくれた。


「魔法アプリ諦めてないのか」

「……駄目ですか」

「駄目じゃないさ。俺わりと好きだし」

「え。篠宮さん魔法アプリ賛成派なんすか」

「アプリの賛否はともかく挑戦は賛成だ。アプリが動くのはコードというプログラムにスマホという媒体、そしてスマホの動力となる電気があるからだ。これを魔法に置き換えると、プログラムは魔法陣や呪文で媒体は人間、動力は魔力。この全てが可視化されれば物理的に可能となる可能性はある。けど魔力は存在が確認されていないから不可能だ。だが逆を言えば、魔力を可視化できれば魔法は科学で可能という仮説は立てられる。例えば魔法科学。これが成されれば魔法アプリは現実になるだろう」

「へぇ~ぃ」


 先輩社員はまるで興味無さそうに篠宮の長すぎる解説を聞き流したが、なつのはきらりと目を輝かせて立ち上がった。


「そうですよね! 諦めるのはまだ早い!」

「けどその前にリリースな。今日はもう帰れ。最近物騒なニュースが多いだろ」

「あ、神隠しですか?」

「ああ。まあ家出だろうけど誘拐って話もあるし。電車あるうちに帰」


 帰れ、と篠宮が言い切る前に、背後にどさっと大きな物が天井から落ちて来た。

 デスクの角に当たったようであれこれと落としながら床に転がった。

 あまりにも唐突な出来事に全員が驚き、振り向いたそこにいたのは人間の男だった。


「え、な、何。どこから出て来たのこの人」

「天井が抜けたわけじゃなさそうだが。おい、あんた」

「篠宮さん! 危ないですよ! 警備呼びましょう!」

「呼んで来てくれ。向坂、救急箱」

「は、はい」


 先輩は二人で走って部屋を出て、なつのも慌てて救急箱を取り出した。

 男はロシアの民族衣装のような服を着ていて、見える肌には大量の傷があり血が流れている。

 いくら服装自由といっても出勤する服装ではない。


「ああ。あんた大丈夫か? どうしたんだよ」

「た、助けて、くれ」

「とりあえず消毒しましょうか」


 なつのは消毒液を傷口にかけようとした

 けれどその時だった。

 ばきんと骨が折れるような音がして、びちゃっと何かがなつのの身体を濡らした。


 血だ。


「きゃああああああ!」

「な、なんだ!?」


 血と同時にわらび餅のような物がなつのの頬に飛んできた。

 驚きひっくり返ったなつのは篠宮に抱き上げられ、二人は血の海から距離を取った。

 デスクにぶつかったせいでスマホやノートパソコンがばらばらと落ちる。篠宮は流れ続ける血に浸りそうになるノートパソコンを拾い上げたが、その時ばちばちと部屋中に静電気が走った。

 まるで落雷したかのような音に、なつのは思わず篠宮にしがみ付きめをぎゅっと瞑った。

 そして、しばらくすると静電気は収まりそっと目を開けた。


「……え?」

「何だ、ここ……」


 見回すと、どうやら教会のようだった。何の神か分からないが、白く美しい女神像が立っている。


「……床抜けたんですかね」

「オフィスに教会は無いぞ……」


 訳が分からなくて思わず篠宮の腕にしがみつくと、どこからかばたばたと足音が聞こえて来た。

 扉は外から勢いよく開かれ、見慣れた顔立ちの人々が駆け寄ってくる。日本人だ。


「よお! 日本人だな!」

「あ、ええ、あの、ここはどこです? 虎ノ門のオフィスにいたんですけど」

「セリスタリアだよ。セリスタリアのルーヴェンハイト皇国」

「……テーマパークですか?」

「違うよ。異世界だ」

「は?」


 日本人の男は困ったようにくすりと笑い、なつのと篠宮を落ち着かせるようにゆっくりと説明をしてくれた。

 彼が言うには、ここは地球ではなく『セリスタリア』という世界で、日本ではなく『ルーヴェンハイト皇国』という土地らしい。

 セリスタリア人は異世界の存在に戸惑いながらもすんなりと受け入れ、地球人は穏やかに生活を共にしているという。

 すんなり受け入れられる理由は、この世界には魔法が存在するからだという。

 多少不思議なことが起きても『ああ驚いた』で受け入れられる耐性がセリスタリアにはあるらしい。


「じゃあ俺らは魔法で連れて来られたってことか」

「え、あの、帰れるんですよね……?」

「……いや」

「そんな……」


 男には何の責任も無いのに、ごめんな、と謝ってくれた。

 なつのはがたがたと震えながら篠宮の袖を掴んだが、その篠宮は全く動じずけろりとしている。


「魔法は見れるか? 見てみたい」

「篠宮さん順応性高いですね……」

「否定するにも情報は必要だろ。あんたらは使えるのか?」

「地球人は使えないよ。けどこういうのがある」


 男は何かの作業用道具だろうか、様々な工具がぶら下がっているベルトから一本の棒を取り出した。

 その先端には青い鉱石がはまっている。男がぐっと力を込めると、鉱石は紫に色を変えてその場にぱあっとたくさんの光球を生み出した。

 触れるとほんのり温かく、けれどぱちんとはじけて消えてしまう。

 見たことの無い不思議な現象になつののテンションは一気に上昇した。


「うわあ! これ何!?」

「温かくなるペンだな。魔法と道具を掛け合わせた物があるんだよ」

「すごい! 私こういうの作りたかったの! 魔法アプリ!」

「お前順応性高いな」

「う……」

「けど発想は悪くない」

「え?」


 篠宮は床に置き去りにしていた物を持ちあげた。

 それは篠宮がオフィスで仕事に使うノートパソコンだ。こちらへ落ちる時に持っていたのだ。

 そして篠宮はなつのが放り捨てたジャケットを拾うと、ポケットからは何台ものスマートフォンが顔を覗かせている。

 パソコンには開発で使うツールやデータが入っていて、スマートフォンにはあらゆるアプリがインストールされている。

 どちらもオフラインでできることは多い。


「魔力が可視化できれば魔法は科学になる。そしてそれは既に実装されている」


 けれど篠宮は冷静な表情で、魔法道具のペンを手に持ちくるくるといじってにやりと笑う。

 魔法科学が成されれば魔法アプリは現実になるだろう――というのはついさっき篠宮が言ったことだ。


「まさか」

「頭使えよ、ディレクター」

「バグの無い開発お願いしますね、エンジニア」


 オフラインで使えるパソコンとスマートフォン。

 魔法を道具にした魔法科学。

 そして、プランを立てるディレクターと開発するエンジニア。


「リリースするぞ、魔法アプリ」

「はいっ!」

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