第2話 電車

電車が到着した。4両編成。大野はいつも3両目の真ん中の扉から乗車する。K駅で降車する際、エスカレーターが目の前にあり、スムーズに会社へ向かうことができる。


そのため、3両目は他の車両よりも乗車率が高い。いつも息苦しいくらいギュウギュウで、おじさんと肩を寄せ合う格好となっている。


ただ、今はそんな事どうでも良かった。大野は自身の体に異変を感じつつ、目の前の扉から乗車しようとしていた。出勤しないと。


ドクンッ。心臓が激しく鼓動する。電車の扉が開き、5人ほど降りてくる。扉の奥には、今日も人がギュウギュウに詰まっている。名前は知らないが、顔見知りの会社員もいる。いつも同じ時間、同じ車両に乗るから、名前は知らなくても知り合いになる。


どうしよう。動悸がさらに激しくなる。大野は心臓に手をあて、必死に深呼吸する。目を瞑り、必死に楽しいことを考える。けれど、出発するまで1分もない状況で、症状が改善する見込みはなかった。


大野は周りの目を気にし、忘れ物をした風を装って乗車する列からはけた。なにも忘れている物はないが、ビジネスバッグをあさり、必死になにかを探している。


そうこうしていると、扉が閉まり、ギュウギュウの電車がゆっくりと走り出した。大野は段々と遠くなる電車を見えなくなるまで眺めた。虚無感というのか、全身に入った力が一気に抜けていった。


大野はよろめきながら、ホームに3席並ぶイスに倒れ込むように座った。背中と額にブワーッと汗をかいていた。大野はズボンのポケットから小さく畳んだハンカチを取り出し、手を震わせながら汗を拭き取る。


一時より動悸は収まっていたが、まだドキドキしている。再び目を瞑り、深呼吸を繰り返していると、少しずつ症状が緩和されていくことが分かった。


15分後に次の電車が来る。この電車を逃せば、会社に遅刻してしまう。大野は電車が来るまで、イスに座って休息をとることにした。


電車が出発してから7、8分経った頃。続々とサラリーマンや学生がホームに訪れ、乗車列を作り始めた。時間が経つにつれ、徐々に乗車列が長くなっていく。


気づけばホームいっぱいに人が立ち並び、電車を待っている。この光景を見て、大野は絶望していた。


「いつもの電車より人が多いやん・・」


消え入るような声で発した独り言に、周囲は誰も気づく様子はない。大野は深いため息をついて下を向き、革靴を眺める。


ここで、大野はある事に気がついた。いつの間にか、動悸が収まっているのである。あれほど激しく鼓動していた心臓は、いつものような平穏さを取り戻している。


深呼吸を繰り返していたおかげで、万全とまではいかないが、なんとか出社できるだけの体調は整った。いつ、動悸が収まったのかは定かではないが、自然と収まっていったと思われた。


大野は念のため深呼吸を続け、電車が到着するまでイスに座ったまま待った。背中と額にかいていた汗も消え去り、大野はホッとしていた。


「まもなく、1番線に列車が参ります。黄色い線までー」


ホームに、電車の到着を告げるアナウンスが流れる。さらに乗車列が長くなる中、大野は少しばかり不安な気持ちを抱えながら、重い腰を上げた。


ドクンッ。イスから立ち上がった瞬間、再び激しく鼓動に襲われ始めた。


「なんで?どうして?」


大野は先ほどより声のボリュームを上げ、自らに言い聞かせるように独り言を呟く。周囲の人はイヤホンをしている人が多く、誰も大野の独り言に見向きもしない。


目が乾き、先ほどよりも症状は悪化していた。急激に背中と額に汗が噴き出し、どうしようもない状況に追い込まれた。


大野はイスにすぐ座り直し、目を閉じて再び深呼吸を始めた。熱中症を疑いつつ、大野は再びパニックに陥った。


そして、電車が発車し、ホームに誰もいなくなると、再び動悸は収まった。


「なんだこれ。」


大きな不安に押しつぶされそうな大野は、自宅に帰ることにした。この症状はなんなのか。偶然起きたことなのだろうか。


様々な考えが大野の頭を支配する中、あっという間に翌日を迎えた。けれど、大野の体がこわばって動かない。


電車に乗るのが怖い。今まで少しも感じたことない感情に、頭を抱えるしかなかった。


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