祝宴の陰 -Ⅴ

 ガタンと馬車が揺れて、組んでいた足のつま先が跳ねる。正面に座るダニエルの脛を蹴りそうになって、リザはそっと足を下ろした。狭い車内で、そもそも足を組むのはお行儀がよろしくない。

「パーティーなんだから、パンプスでも履けばよかったのに」

「あんな脱げやすい靴じゃ、仕事にならないでしょ。履き替えるのなんて手間だし、余計な荷物なんて持てないよ。これだってちゃんと礼装用を選んでくれたんでしょ?」

「もちろん。着る物の調達を任せてくれと言ったのは俺ですからね」

 そういう本人も、今まで見た中でも特に上等な仕立てのテールコートを着ている。髪も整髪剤できっちり撫で付けて、手には黒檀のステッキを握っていた。

「いくらスカートの裾が長くったって、足元を完全には隠すのは難しいもの。怪しまれないように、一応ね」

 長い裾から覗くボタンブーツは純白の絹張り。いつも履いている編み上げブーツとは履き心地が異なるし、決して激しい運動をすることを想定して作られた靴ではないだろうけれど。それでも御伽噺のように、片足を残して夜会を後にするようなことがあってはならないのだから。

 再び馬車が大きく揺れる。ぽすりと軽い音を立てて、リザの腕に小さな頭がもたれかかった。

「わ、ごめんなさい」

 揺れた拍子にぶつかってしまった頭を持ち上げて、隣の相席者はぴしっと背筋を伸ばす。


「……なーんでコリンまで連れてかなくちゃなんないかなあ」

 リザは本日幾度目かのため息を吐く。

 隣には、正装に身を固めたコリンが姿勢よく座っていた。

「今日のパーティーには、ルイズ嬢と同じ年頃の子どももたくさん来るようですから。彼女の誕生パーティーですから、最初こそルイズ嬢も他の子どもも大広間に集まっていますが。ルイズ嬢は宴席に飽きてくると、お気に入りのお友達を連れて遊び部屋に移動してしまうんだそうで」

「それって、昨日今日で仲良くなった子じゃないでしょう?」

「そうでもないみたいですよ。気に入ればパーティーで初めて面会した子どもでも、ルイズ嬢の遊び相手という栄誉を掴めると」

 リザは緊張した面持ちのコリンを見つめる。身なりこそダニエルが見繕ってくれた衣装と支度のおかげで、良家の子息に見えなくもないが。さすがに普段は庶民の子が、金持ちのお嬢さんのお眼鏡にかなうかは甚だ疑問だ。

「人の多い大広間でより、子ども部屋にいる時を狙う方が成功率は高いでしょう。その時、先に子ども部屋に潜り込んでいるコリン君がいれば、役に立つこともあるんじゃないかと」

「僕もリザの役に立ちたいよ」

 食い気味にコリンは言う。

 エリザベスに助けられたことに、そこまで恩を感じることはないのに。

 そう何度も諭したが、普段は気弱な少年も、それだけは絶対に譲らなかった。リザとて父への恩義は忘れようもなく、こうして無茶をしているのだから。

(気持ちがわからないでも、ないけど)

「それにリザには、無事に帰ってきてほしいし……」

 その言葉に、リザはさらに気を重くした。

 リザと父の別れが唐突に訪れたこと、星蜥蜴は怪盗仕事中に命を落としたことを話したのがいけなかった。

 コリンの心配は、今までと比べ物にならないほど膨れ上がってしまった。それゆえコリンは同行を提案したダニエルの話に、乗ってしまったのだ。

「無理だけはしないでね。お嬢様に見向きされなくても、コリンのせいじゃないよ。いざとなったら、私とダニエルを見捨てて知らんふりをすること」

 リザの忠告にコリンは、でも、と反論しかける。けれど馬車はちょうど屋敷につき、停車の振動とともに会話は打ち切られた。




 夜会を催す屋敷は、信じられないほど明るい。

 豪奢なシャンデリアも銀の燭台も、招待客で賑わう屋敷を昼のような明るさで照らしていた。室内の調度品や飾られた花、銀の盆に載ったグラスから料理に至るまで、全てが輝いて見える。

 ことさらご婦人方のドレスは華やかで、身に着けた宝石やアクセサリーが照明にきらめいていた。

 リザも玄関でローブを脱いで、係の者に預ける。首周りのふっくらした襟が無くなって、リザは身震いした。

 身に纏うのは美しい山吹色のドレス。鎖骨が見えるほど空いた襟ぐりは、首筋から肩にかけてまでの曲線があらわだった。ドレープを寄せた胸元には、薔薇のコサージュがひとつ。ここにいつもの琥珀のブローチを留めても良いだろうにと思うけれど、ドレスには合わないというダニエルの判断で却下された。ここで宝物だお気に入りだの言っても仕方ないから、従いはするけども。

「どうしたの、コリン」

 同じくコートを預けたコリンが、ぼんやりとリザを見つめていた。


「コート、暑かった?」

 赤くなった頬に触れると、手袋越しにも熱が伝わった。具合が悪いわけではなさそうだけれど、緊張しているのかもしれない。

 コリンの衣装は、子どもながらに立派な三つ揃えだ。ズボンの丈は脛ほどの長さで、活動的な子供らしい。胸元で結んだリボンタイが可愛かった。

「良いね、コリンもかっこいい」

 コリンは何か言いたそうに口元をもごもごさせたが、結局さらに顔を赤くして黙り込んでしまった。

「差し上げますよ、それ。コートも欲しがってたでしょう」

「こんな上等なコート着て公園に行く庶民はいないでしょうよ。もらうけど」

 髪をいつもより高く結い上げたものだから、首筋がすうすうする。早く暖炉のある部屋に行きたくて早足になりそうだ。けれどリザはダニエルにエスコートされながら、ドレスの裾を優雅に捌いてしずしずと歩く。会場の大広間入り口に控えた従僕の視線を感じて、リザは顔に薄い笑みを貼り付けた。

「ミスター・ダニエル・キングスリー、ミス・リザ・ブライトマンならびにミスター・コリン・ブライトマン!」

 名前を呼び上げられて、コリンがびくりとする。リザとて怯みそうになったが、笑顔を崩さず大広間の中へと歩みを進めた。


「……名前から素性が割れたりしないでしょうね?」

「あなたの名前なんて、あってないようなものでしょう。俺だって本名じゃないですし」

「え、そうなの?」

 ダニエルとしか聞いてないけれど。どこまで事実でどこから仮初めなのか、リザもそれはわからない。

「僕もブライトマンじゃないけど……」

「コリン君はリザさんの弟です」

 正面を見据えたまま、涼しい顔でダニエルは言う。一方コリンは、考え込むように俯いてしまった。

「コリン、緊張しなくて大丈夫だからね」

 一言で伝わる簡単な偽装カバーだが、身構えてしまっただろうか。普通は身分を偽るなんて経験はないのだから、それも仕方がない。

 本来、社交界に繋がりなどないリザたちだが、時折声を掛けられてはダニエルが適当に対応をした。彼の特殊な情報網にかかわる関係なのか、はたまた新たなつながりと人脈を得るための社交なのか。とりあえず招待客への挨拶とあしらいはダニエルに任せて、リザは自分に必要な情報収集に努めることにした。


(まずはターゲット)

 視線だけ動かして、大広間内をざっと見渡す。大広間には老若男女、幅広い顔ぶれが揃っていた。昼の催し物ならともかく、夜にこんなに子どもがいる場も珍しいかもしれない。

 地位ある勲章を下げた紳士もいれば、外国の金脈の話から繊維の価格まで、商売っ気のある話に花を咲かせる輪もある。ご婦人方が集う一角では互いのドレス品評会が始まっていたり、にこにこ朗らかに笑う老紳士が若者に昔話をしていたり。

(今日の主役がいる場所は……)

 人だかりのある場所、子どもの多そうなところに注目する。

 ソファの周りの人だかり、ここは目を惹く華やかな美女がいて、たくさんの紳士に口説かれていた。魅力を引き立てるドレスを身に纏った美女は殿方の話に笑ったり、グラスを傾けあったりしている。群がる紳士たちの中にいる、特に美女の気を引くことに成功している者はこれもまた美男子だ。

 周囲から某家と某家の結びつきが、などというささやきが聞こえてくる。ダニエルがどこぞの奥方を誑かしたのとはわけが違う、人生と家と名誉をかけた男の戦いがあるのだろう。

 小さな少女の誕生日パーティーでありながら、大人は大人であらゆる駆け引きをしている。

(はずれ)

 なんとなく気になって、リザはその隣に集まった人たちも確認した。


 中心にいたのは、リザより少し年上くらいの年若い娘二人だった。

 二人揃ってブルーサファイアもかくやという、大粒の宝石がぶら下がったイヤリングをしている。上流の人間だろう、それで取り巻きも多いと見える。ちらりと見えた二人の顔はよく似ていたから、姉妹かもしれない。

 そういえば今日の自分はコリンと姉弟なのだと、改めてそんなことを思った。

(こっちもはずれ)

 大広間の中央に視線を移す。そこには真っ白いドレスを着た少女がいた。

 溢れんばかりの、白い手編みレースに埋もれるようなドレス。それでもフリルの波にのまれることなく、その胸にはブルーサファイアが輝いている。

 ふわふわと波打って広がる亜麻色の髪に、大きなリボンを付けた女の子。上機嫌で笑顔を振りまく少女こそが、ルイズその人だった。

「ルイズお嬢様、お誕生日おめでとうございます」

「ルイズちゃん、おめでとう!」

 取り巻く子どもたちは、誰もかれも良家の子女という風情。年齢には多少ばらつきがあって、学校に入学したてぐらいの小さな子もいれば、ルイズ嬢より上級生といった年頃の子どももいる。彼女と同じくらいの歳の子で、特に親しくしているのは学友かもしれない。一方、どんなに歳が近そうでも、控えめに振舞う繋がりの薄そうな子どももいる。この中にコリンが入っていくのは、とてもじゃないけれど無理な気がした。


「あらまあ、お可愛らしい方だこと」

 突然、思ってもみない方向から声がかかって、リザは速やかに頭を切り替えた。怪盗の偵察モードから淑女モードへ。リザたちの前には妙齢の女性が二人ほど、にこやかに佇んでいた。

「そうねえ、可愛らしい方ねえ。まだ学生さんかしら?」

「社交界にはお出になったばかり? 男の方にも不慣れでしょう」

 にこにこ話すご婦人方は、ダニエルに熱視線を送っている。おそらく狙い定めた好男子と小娘が並ぶのは不釣り合いだと、そう言いたいのだろう。

「レディなら、ドレスももうちょっとセンス良く選べるようにならなくては駄目よ。最近の流行はもっとスリムなスカートね」

 確かにリザのスカートは周りと比べて少しふくらみが大きい。ほっといてくれと思いながらも、笑顔でリザは応えた。

「本当にお恥ずかしいですわ。皆様のように、もっとレディらしく振舞えるようにお勉強いたします」

 隣でコリンが不服そうな顔をする。今日に至っては身内の恥なわけだから、にしたら嫌な気持ちだろう。

「実際、彼女はこういう場にまだ不慣れなんです。どうぞお手柔らかに」

 ダニエルのそれはそれは惚れ惚れする甘い声に、目の前の女性たちの視線はますます熱を帯びる。この男はこの場にいったい何しに来たんだと、だんだんと疑わしくなってきた。

(もう何でもいいから、どっか行ってくれないかな)

 貼りつけた笑顔が、そろそろ限界を迎えようとしていたところ。

「……リザさん?」








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