贋作怪盗エリザベス
いいの すけこ
怪盗の娘
怪盗の娘 -Ⅰ
夜の闇を裂く者があった。
月の光は心許ない。街路灯も、ランプの中に灯る小さな炎は頼りなかった。
大きな屋敷の庭。建物の影に紛れて走る人影は小さかった。小さな影は風のように、夜を駆け抜けていく。
風に乗って、耳に刺さる高音が響き渡る。 闇を裂くのは、人影だけではなかった。人影を追い立てるように、いくつものホイッスルが鳴り響いている。
「今日も賑やかなお出迎えだこと」
後ろを振り向かずに発せられた声は、まだどこか幼い響きがする少女のものだった。
少女は追われていた。複数人の者たちが声を上げながら少女を追いかけ、捕まえようとしている。ホイッスルは、屋敷の周囲に散った仲間を呼び集める合図。集まる光は、追っ手達が手に下げたランタンだ。明り取り窓に半球レンズを嵌めたランタンは、光を大きくして少女を追う。
「出たな怪盗!」
集団の先頭を走っていた者が叫ぶ。
「待ちやがれ盗っ人! 世間を騒がす悪党が!」
まだ歳若いその声は息も乱さず少女を罵ったが、先を行く影との差は縮まっていない。
「ひどい言われよう!」
馬二頭分ほどたっぷりと引き離して走る少女は、叫びながら屋敷を見上げた。
「まあその通りなんだけ、どっ」
走る勢いをそのまま力に変えて、少女は飛び上がった。細い腕で二階バルコニーを囲む柵を掴むと、体を持ち上げてそのまま地上から上階へと侵入してみせる。
「あっ、このやろっ!」
さらに引き離された追っ手はそれでもまだ冷静さを残していたらしく、速度を緩めず屋敷外周を半周して玄関へと飛び込んだ。追っ手が建物の中から上階へと回り込もうとする間に、少女は既に建物の三階まで登り詰めていた。辿り着いたのは、玄関真上に位置するバルコニー。両開きのガラス窓には分厚いカーテンがかかっていて、中の様子は伺い知れない。
だけど室内には、間違いなくターゲットがあるはず。
そう確信して手をかけた窓の取っ手は硬く、中から鍵がかかっているようだった。
お宝を高い場所にかくまったり、地下室に隠したり。鉄格子で窓を覆ったり、頑丈な鍵をかけたり。一つ一つ、財産を守るための策を突破するのは、そう簡単ではない。
「皆さんもうちょっと、お時間かかるかな?」
錠破りは時間との勝負だ。彼らはいまだ少女に追いつけていない。だけど油断は大敵、室内で待ち構えているかもしれない。彼らだって無能ではないから、お相手するのはいつだって真剣勝負だ。
鍵の開錠パターンを素早く試す。かちゃりと音を立てて、数秒で噛み合った金具同士が外れた。
少女は思い切りよく窓を開け放つ。風にあおられたカーテンが窓の外に吹き出され、まるで舞台の幕が上がるようだった。少女は板についた女優のように堂々と立ち、高らかに名乗りを上げた。
「我が名は怪盗エリザベス、怪盗
少女が宣言するのと、追っ手が室内扉から部屋に飛び込んでくるのはほぼ同時だった。追っ手を一瞥してから、少女は部屋の壁に飾られた絵画へと、弾丸のような素早さで突っ込んでいく。
「虚像よ無に帰れ」
少女は絵画に触れた。
瞬間、絵画が弾けた。
画布が割れるように、裂けるように。砕けた絵画はあたり一面に飛び散った。まるでガラスの破片のようになって、きらきらと降り注ぐ。
絵画の傍らで身構えていた、屋敷の主と思しき男が悲痛な叫びをあげる。
「ま、魔法か!」
「私のこれは、魔法とはちょっと違うけど……」
纏ったマントのフードの下、少女は口元だけで笑う。
「嘆くことないよ、おじさま。これは贋作だから。私は『硝子の蜃気楼』って呼ぶけどね」
少女は愕然とする男に、ぐいと顔を近づける。フードを目深に被って、顔は見えない。フードからこぼれた巻き毛を揺らしながら、怪盗は首を傾けた。
「ねえ、おじさま。『魔法の泉』の在り処、ご存知ない?」
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