第35話

 すっかり日も暮れ明日の準備も済んだ頃、シルガは自室で古ぼけた本を前に悩んでいた。その傍らでアスレイヤが薬草を相手に悪戦苦闘している。


(読めない……文字が古すぎて解読不能だ)


 シルガは本気で頭を抱えていた。

 迷宮で入手した本に書かれている薬草の処理については絵と図が多いので大体の流れは把握できるが、細かい説明や注意点と思しきものはもちろん文字で書かれている。


(これは何語なんだ?現在の言葉の古語なのか、消えた古の言語なのか、それすらわからない)


 採取した薬草には限りがあるのでそう何度も試作できないのが難点だ。シルガの家に置いてきた、維持機能付きの鉢植えに移した株から種を採取すれば増やせるが、まだまだ時間がかかる。絵と図を基に作ってみた試作1号の魔法薬はやはりというか大味なつくりで、発現した効果はおそらく魔力増強……魔力に関するものだ。



「出来たぞ」


 古い文字に頭を悩ませていると、アスレイヤが魔力を付与したものを差し出した。見ればくたくたになった薬草が申し訳なさそうに横たわっている。


「うーん、いまいちだ。これじゃ付与未満……魔法薬には加工できない」


「そう上手くいかないものだな」


 素材に元から含まれる魔力を辿って他者の魔力を付与することで 素材が持つ能力を最大に抽出できる。更に魔力を使って加工すれば通常の薬品よりも即効性のある魔法薬が出来上がる。

 始めたばかりの付与魔法は、最も基本的な作業である 素材に魔力を付与することから――というわけで、魔法薬生成の助手として頑張ってもらっているのだ。付与術式は学院の生徒なら誰でも描ける基本的なものを使っている。ちなみに朝食のたまご料理はアスレイヤが担当だ。


「この薬草は残念ながら土に還すしかないけど まだ始めたばかりじゃないか」


 シルガは新しい薬草を渡し、ちょっと気落ちしている様子のアスレイヤを励ました。


「まずは素材が持つ魔力の気配を探して感じ取ること、付与を施す前の基本だ。幸い君は自分で薬草を採集できるし、マジックバッグにはウォーハウンドの素材も沢山あるから練習し放題だな」


 だめになった薬草は単に萎れただけでなく、無理やりな魔力付与によって素材に含まれる成分や魔力が破壊されてしまう。アスレイヤは眉を寄せて 新しい薬草と生気の抜けきった薬草を交互に見つめた。


「素材の魔力の気配を探すというのがよくわからない感覚だ」


「食事の前にいただきますって言うだろ。もとはあんなものだよ」


「更に意味不明だ。貴様はもっと言葉を尽くしてわかりやすく説明しろ」


「……そうかもしれない」


 そう言われてかつての養い親を思い出した。彼はシルガに素材を渡すとやたら細かい注文を付け、その通りに出来ているかを射殺しそうな厳しい目で監督していた。少しでも彼の意に沿わなければ何度もやり直し、足りなくなれば昼夜問わず採集に行くことになった。けれどまあ、確かに彼の説明はいつも具体的で順序良く、何をどうすればいいのかわかりやすかった。


「俺が昔、魔法薬の素材処理――付与の基本を叩きこまれたときは……」


 幼い頃から深く考えずにテキトーにやっていた付与魔法は養い親の納得のいく出来栄えではなかったのだろう。ある日突然、大きな卵を渡されて孵すように言われたので面倒を見た。しばらくして孵った雛は愛らしく、シルガはヒヨヨと名付けて可愛がり、ヒヨヨもよく懐いてちょっとした友達になっていた。しかしそんな折、絞めるようにと言い付かったのだ。もちろん拒否したが拒否権などなくシルガが絞めてヒヨヨは素材となった。


 ―― これはモノではない。生きていた。その名残をよく探せ。


 そう言われて捌いたヒヨヨを美味しく料理したその後、シルガは遺された羽やらを一枚一枚手に取って、ヒヨヨが生きていた名残を……生命の気配を必死で探したものである。



「いや俺、よくこんな普通に育ったよな。実は俺かなり努力したんじゃないか?」


「貴様の師とやらはどうなってるんだ」


「どうかしてるんだろう。つまり付与魔法の基本の基本は生きていた生命の名残を感じることだ。場合によっては 生きている、だが。そこに命があったことに心を寄せて魔力の気配を探すといい。自分の命を感じながらさ……」


「……やってみる」


 真剣に取り組む様子を見ながらシルガはぼんやり思った。


(こればっかりだと飽きないかな)


 実のところ、こんな基本的な作業ばかりしなくても付与魔法は習得できる。なんなら割と簡単に、魔術の素養がある者であればそれなりの熟練度で習得できてしまう。もちろん基本がしっかりしていた方が出来映えは格段にきれいだが、それはちょっとした魔道具作りや簡単な支援魔法の付与程度ではあまり違いが判らない。この地味な基礎作業が、他の付与魔法との格の違いを見せつけるのはもっと複雑で大掛かりな付与を施す時だ。つまりアスレイヤの学校生活で大々的に功を奏するのはもっと先のことになるのだ。


「そうだ」


「うん?」


 ふと思い出したようにアスレイヤが言った。


「付与の基本は命の名残を感じることだと言ったが、無機物にも付与するだろう。貴様が厨房を改装した時のあれはどういう付与になるんだ?」


「あれはちょっと複雑だからもう少し進んでからにしよう。でも基本は変わらないんだ、無駄にはならないよ」


「わかった。今期は……魔法薬学の授業をとる」


「へぇ、いいな。上手くいけば資格を取れるんじゃないか? 君と一緒に学校で授業を受けてみたかったよ」


 アスレイヤは一緒に授業を受けるシルガを想像して楽しくなったがすぐに思い直した。


「……貴様は引き籠っていろ」


 こんなやつが学校にいたら大騒動になるのは目に見えている。封印しておくのが一番平穏なのである、と。




 黙々と作業を続けた結果、アスレイヤの魔力もいい感じに使い果たしたところでシルガが合格を出したのは両手で数えるほどだった。


「これだけか……」


「上出来上出来。他人に魔力付与してもらった薬草で魔法薬生成なんてすごく久しぶりだ。昔から付与はほとんど俺の仕事だったからな」


「見ていてもいいか?」


「構わないけど、明日は迷宮に入るから休息をしっかりとってくれ」


「ああ、見たら部屋に戻る」


 机の上をざっと片付け、ほのかに魔力を纏った薬草を並べてシルガが一つ一つ触れていけば、触れられた薬草は徐々に光を帯びて活き活きと輝き始めた。それらを擂鉢に入れてすり潰していくのだが、素材の持つ魔力を暴走させず維持するために全ての工程で魔力を巡らせて制御しなくてはならない。

 シルガは全身に微細な魔力を纏い、それを指先から擂粉木を通して薬草へと伝わせている。とても繊細な魔力制御で細々と神経を使っていることがアスレイヤにもわかった。


「ふん……いつになく丁寧だな」


「君が頑張って付与してくれたものだからな。雑には扱えない」


 十分にすり潰され液状になった薬草は七色に変化しながら魔力を纏っている。その隣にミツロウとハーブオイルを並べた。


「この材料で作れるのは基本の治癒薬。今回は患部に塗布するタイプにしよう。主に裂傷を癒すものだが肌荒れなんかにもいいよ」


「これはもう魔法薬なのか?」


「ん、……そう。魔力を付与した素材を使った薬品は どんな酷い出来でもそれだけで既に魔法薬だ。このまま混ぜただけでも完成と言えなくもないが、まだ粗いのがわかるかな。もっと効力を引き出せるよ」


「言われてみれば……魔法薬の効力は差が激しいことがある」


「精製者の熟練度の差だな。魔力付与の技量差も反映される。ここから更に効力を高めるために魔術式を通して精製していこう」


 量って温めたミツロウとハーブオイルに薬草ペーストを加え、粗紙にペンで魔術式を描いていく。


「治癒の魔術式……なのか? こんな術式見たことないがなんとなく治癒だってことはわかるぞ」


「なんか俺もよくわからないんだよな。治癒の魔法と魔術式に関しては俺の師……が、俺に合わせてたから。確かにこういう魔術式を本で見たことはない」


「貴様の魔術式は大抵が他で見たことないがな」


「精霊に教えてもらったのとか適当に考えたのが基になってるからだろう。これでもあの人にだいぶ矯正されたんだ。あ、この余ったミツロウとオイルはあげるよ。魔力付与済みだから魔法薬作りの練習に役立ててくれ」


「……ありがとう」


「上手く出来るといいな」


 話しながら ペンで描かれた術式を繊細な魔力制御でなぞって描き上げれば、魔術式は輝きながら空中に浮かびあがった。すると、魔術式が未精製の魔法薬を瓶から吸い上げ、空中で液体をぐるぐると掻き回して球状にしていく。魔法薬は回りながら次第に透明度を増し徐々に優しい光を放ち始めた。


「すごく綺麗だ。見ていて飽きない」


「そうだよな。俺も、あの人が魔法薬を作るのを見るの 好きだったんだ」


「……」


「俺より神経質に……精緻に作ってたよ」


 頬杖をついて精製を眺めるシルガの横顔を見ながら、アスレイヤはシルガの中にある 彼の師へのわずかな執心を感じた。


 柔らかく発光していた球体が ぱっとひと際強く輝き、次第に光を収めながらゆっくりと瓶の中へ落ちていく。魔法薬の完成だ。それに蓋をしてアスレイヤに渡した。


「いい出来だよ。少ないけどこれは君が使ってくれ」


 色が混ざり合ったような混ざり合ってないような、情報が氾濫した色合いの魔法薬を見たアスレイヤは、顔にいくつも疑問符を浮かべて首を傾げた。


「おい、何であれがこんな……見たことない色になったぞ」


「変な色だろ。俺の魔法薬は白狸亭の道具屋に置いてあるんだけどさ、売れ行きは芳しくないな」


 灯りにかざせば表面に光の粒が広がり、角度を変えると消えては現れキラキラしながら形を変えた。まるで精霊みたいな気まぐれさだ。


「……よく見ればきれいだ」


「なんか君にフォローされると元気が出るよ。さて、今日はこれでおしまいだ」



 そういうことで本日はお開きであるが、シルガにはまだ用事が残っていた。明日から迷宮で、可能なら3泊程度の探索を予定している。部屋は借りておくとして 万が一のこともあるわけで、荷物の始末だとかそういったことを店主に伝えておかなくてはならないのだ。


(ほとんど収納して持って行くからそこまで問題ないか)


 必要事項を考えていると扉がノックされた。


「入ってくれ」


 促すとジスが入ってきた。というのも、そろそろジスの休暇が終わるらしいので例のキラビットで作った手袋と飛行帽を渡すために部屋に招いたのだ。時間がなかったので採寸は店主にやって貰って、飛行帽は魔瘴を感知すると障壁が装備者に自動で起動、手袋は初期の魔瘴汚染を治癒する程度の回復効果を付与することができた。アスレイヤの討伐遠征で世話になったので、ちょっとした礼としては丁度いいものに仕上がっている。


「まだ取り込み中か?」


「いや、練習はもう済んだ。こっちの不合格分を片付けるから その辺に適当に掛けていてくれ」


 机には萎れた薬草が山になっている。ジスはそれに目を向けてじっと観察したのち 少し眉を下げて苦笑した。


「不合格、ねぇ」


 そう呟いて音もなく近づいたジスを 何をするのか不思議に思って見れば、萎れた薬草の山からひょいひょい摘み出して小さな山を作っている。


「このへんは合格でもいいな。厳しすぎる先生は 生徒のやる気を折っちまうぞ」


「そうか……割と甘くしたつもりだった。アスレイヤも文句言わずに頑張ってくれたしな」


「ふぅんそりゃ、根性ある生徒で頼もしいぜ」


 そう言ってジスは床に腰をおろした。

 小さな山になった薬草を見ると 確かに微妙なラインだ。精製次第でものになるだろうが養い親には見向きもされない出来栄えである。シルガは首を振った。


(そもそも基準の比較対象があの人なのがいけなかった)


「俺は鬼教官だったようだ」


「はは」


 この合格ラインは今後の参考になる有難い指針だ。


(成程、アスレイヤは頑張りすぎるのか)


 出会った初期の頃からは想像もつかないほどに成長している。逆に考えると、家庭教師や学校の教師達はこれだけ頑張れる生徒を放置して今まで何してたんだろうと不信感が募るばかりだ。


「明日から迷宮に入るんだろ、俺に用って?」


「そうだった。ジスにこれを作ったんだ」


「俺に?」


「こうして顔を合わすのも明日の朝が最後だろうし、食材提供やアスレイヤの討伐遠征の礼にと思ってさ」


 手袋と飛行帽を無造作に渡すとジスは心底驚いたという表情で固まった。ひょっとしたらノランデーヴァでは取り締まり対象なのかもしれない。シルガはジスが竜騎士の身分だったことを思い出して不安になってきた。


「自作の魔道具は売買しなければ違法じゃないんだよな……?」


「そうだけどよ、これだと出所を聞かれたら何て答えりゃいいのかわかんねえな」


「……? 迷宮で拾ったとでも言っといてくれ……あっ、ジスは迷宮の調査はしなくていいのか? 君はルーンシェッド大森林に入ってばかりで休暇中も仕事してるようなものだったけど」


「ひと月も離れると復帰したあとが大変なんだよ。休暇明けて慣らすのも面倒だし魔瘴の様子も妙だったから迷宮は一先ず置いといて、ザカ砦の竜騎士長に連絡は入れてんだ。ルルカ砦にも伝わってるはずだぜ。これ、着けてみてもいいか?」


「ああ、受け取ってもらえると有難い」


 飛行帽の前面と内側に染色したキラビットの毛皮を使い、耳当ての上に更にたれ耳のような耳当てを重ねて装飾している。手袋も内側が毛皮で手首部分にベルトを付けたシンプルなものだ。付与した魔術式は解析されないようにきっちり隠匿しているが、鑑定すればどんな効果があるかはわかるようになっている。

 試着してもらった結果、飛行帽と手袋のサイズは合っていたようだ。


「店主のあれはこのためだったのか……どう、似合ってるか?」


 真っ黒な瞳に悪戯っぽい光をのせて笑いながら上目遣いに見上げられ、シルガは思わず唸ってしまった。


「うっ」


「何だよ」


「目がチカチカする。そういえば黄金の階層でもこんな…… ジスはもう少し目にやさしくなってくれ」


「何だそりゃ」


 ジスは飛行帽と手袋を外して大切そうに仕舞うと 真っ直ぐにシルガを見つめた。


「ありがとう。こんなに頼もしい装備はないぜ」


「そんなに改まって礼を言われるほどのものじゃないんだ。気にしないでくれ」


 真剣な声で畏まって礼を言われると心苦しくなってくる。余った素材でついでに作ったなんて言えない雰囲気だ。


「魔術師殿」


「うん?」


「休暇明けて仕事が落ち着いたら あの家に遊びに行ってもいいか?」


「あそ……って、何して遊ぶんだ? まさか……」


 わざわざ休日に大森林を越えてまで戦いに来るつもりなのか?正気か?


「迷惑か?」


「いや、危険だ。休日まで大森林にいたら休みにならないだろうに」


「俺が行かないと魔術師殿は来ないだろ」


「果たし状さえ寄越してくれれば出来る限り応じよう」


「何故果たし状?? まあいいや、連絡すればいいんだな。んじゃ手段は考えとくぜ」


 そう言ってニッと笑ったジスはとても楽しそうだ。よく思い返してみるとジスは魔術式を物理で壊したり途中から描き足したりと理解の範疇を越えることをするのだ。シルガは興味がわかないはずもなく、次は詳しく見て考察しようと期待に胸を膨らませて再戦を待ち遠しく思った。


「それじゃ、また。君が暇な時にでも」


「ああ、またな」



 部屋を出るジスの背を見送ると辺りに静けさが戻ってくる。


(次の約束をしてしまった)


 なんだかとても友人らしいことをしたような気がして、シルガは感慨深い気持ちで深く息を吐いた。




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