第30話

 シルガが爆睡している間にグイーズ達は出発した。思っていたよりも疲れていたようで、見送りもできなかった。別れはあっさりとしたものである。




「これなんかどうかね」


 食堂の広いテーブルを借りて作業するシルガに店主が差し出した裏地用の布は、緑の唐草模様だ。


「まさに……タヌキの風呂敷」


 なんだか縁起が良さそうだ。

 そんなわけで、アスレイヤのマジックバッグは唐草模様の裏地になった。



 迷宮の謎空間で出くわした謎キラビットの毛皮は優秀な素材で、収納容量を絞ればかなり高度な付与が可能だ。採集用ではなく非常時用と考えれば良さげなものが作れる。といっても、学院の実地訓練程度の採集活動には十分な容量である。


「さて」


 空間拡張、異空間融合、個別空間隔離、時間停止、重量操作、目録振分召喚、使用制限――を、付与。シルガがそれぞれの魔術式を組み上げ、付与術式に収めていく様子を店主は興味津々で見物した。


 付与魔法はとても重要な魔法だ。こと支援系魔法においては基礎にして極致である。

 生きているものと素材としての物、どちらにも魔法を付与することは可能だが、生者への付与はどんなに頑張っても一時的なものにしかならない。だが対象が物であれば、素材によっては付与した魔術式を長い間機能させることができる。


 シルガは神経を集中させて素材に宿った魔力を探した。

 物を魔道具として機能させるために魔術式を付与する場合、術者の魔力を素材の魔力に絡めて編み込むイメージで魔術式を刻んでいく。これが未熟だと、素材が持つ本来の能力を最大活用することが出来ず、容量オーバーとして魔術式が弾かれるのだ。しかも素材まで無駄になってしまう。



「やっぱり。魔術師殿の付与魔法は 他とちょっと違うさね、前も思ったけど。他の人の付与、ご存じ」


「他がどうかは知ら……いや待てよ」


 サークェンが魔法で矢を強化していた。幼い頃に養い親が使っていた付与魔法と同じやり方だった。つまり あの家に置いてあった魔術書の指南通りである。


「魔術師殿の付与は、術式がモノの一部になってる。身体に新しい臓器が増えた……いや、元からあった臓器の機能が増えて力を増した、みたいな感じかね」


「……」


「普通はね、例えば石があるでしょう。それを彫るようにして付与するんだよ。素材の持つ魔力が、刻まれた魔術式を巡って作動させる、だから摩耗が激しく壊れやすい。でも魔術師殿のは逆さね。魔術式が、素材の持つ魔力を動かす」


 そう言って目を細めた店主は、出来たばかりのマジックバッグを愛しげに見つめた。


「命を付与しているみたいさね」


「そんな大層なコトはしてないと思うけど。店主は魔法に詳しいんだな」


「わしは魔道具が好きでね。特に一級品ともなると」


「……俺はあまり、詳しくないんだ」


 シルガの言いように 店主はふん、と鼻を鳴らした。

 一般的な魔法に関して、シルガの使う魔法とは 何かいろいろズレがあるのでちょっと不便だ。今まで魔術書とのズレをたいして感じることがなかったのは、養い親がシルガに合わせていたからだろう。


(そういえばあの人は、俺の魔法を基にして魔術式を一緒に考えてくれていた)


 何故、今になってこういうことがひとつひとつ解っていくのだろうか。


(今更わかったところでどうしろというんだ)


 シルガには関係のないことなので何も知らされなかったし知ろうともしなかった。知りたいと望むことが禁忌のようでもあったのだ。もう会うこともなさそうな、師でもある養い親を最後に見たのは数年前だ。思えば謎の多い人である。



 ―― 燃やせ!! ひと握りの灰も残すことは許さん!!


 燃えさかる二つの眼が、揺らめく炎に灼かれ叫ぶ。

 嵐のような狂乱にあっても、その眼の奥では凍てついた理性の灯が煌々ときらめいている。それは何か、彼の激情の中で横たわる狂気が寄越した先触れにも思えた。


(ま、ろくなもんじゃないことは確かだな)



 マジックバッグが出来たので次はケープだ。ざっくり作ってフードの位置や肩の位置は後で微調整する。成長期なので大きめに作っても構わないだろう。付与する魔法は、緊急時のみ自動発動する各種防御結界と認識阻害だ。条件判別の魔術式と各種結界の魔術式でかなり容量を食ってしまったが仕方ない。


(フードに耳でもつけとくか……)


 もはや悪ノリでしかなかった。



 他に作っておきたい魔道具は、自動結界と認識阻害効果付きテントだ。容量の関係で利用人数は最大二人に絞って空間拡張を施し、心細い一人旅に快適空間を提供する。今はもう慣れたにしてもアスレイヤは初めの頃、宿に文句を言っていたのだ。追われる身になってしまえば、いくらジスが野営の仕方を教えてくれていてもまともに過ごせないかもしれない。それはきっとアスレイヤの心身を更に打ちのめすだろう。そんなのはとても嫌なので、シルガは家から持ってきた素材を使ってテントの内装を居心地良く作ることにした。



 黙々と作業を進め、気づけば夜も遅い。アスレイヤ達が帰ってくるのは明後日の予定だ。テーブルの上に無造作に置いた余りの素材を見て、シルガはふと、ジスに何か作ろうと考えた。鹿革とキラビットの毛皮で飛行帽と手袋くらいは作れそうだが……。


「余った素材でそのうえ ついでなんて、ちょっと失礼かな」


 素材を余らせるのはもったいないのでとりあえず作るとして、ざっくり型を作って採寸させて貰えたら仕上げでいいかとその日の作業を終了した。



 魔道具を作っていれば淡々と時間が過ぎていく。

 次の日、シルガはマジックバッグに入れるお菓子や食料を作りながら忙しく過ごしていた。店主が手伝ってくれたので捗ることこの上ない。テーブルを埋め尽くした甘い菓子と料理はどれも美しく、おいしそうだ。


「お貴族様の晩餐みたいさね」


「暇だからって……作りすぎた」


「まあいいでしょう。坊や達もじき帰ってくるし、いいご馳走ができた」


「それもそうだな」


 予定では明日中には帰ってくるのだ。それを思うと、シルガはとても待ち遠しく感じた。数日のことなのだが長いこと会ってないみたいだ。出来上がった料理を籠に詰めてマジックバッグに入れる作業はなかなか楽しい。バッグの機能に不備がないかを出したり入れたりしていたら いつの間にか時間が過ぎていた。あとは魔法薬を入れておきたいところだが、材料を採集しなければならない。シルガは手持ちからいくつか入れて後で足すことにした。


 店主に礼を言って自室に戻ったシルガは、迷宮で採取した古代の薬草らしきものを取り出して観察した。


(この葉といい花芽の付き方といい、全く図鑑通りだ)


 養い親の家で見た、いかめしい装丁をされた図鑑に描かれた幻の薬草は 生命の霊薬とも言われ、期待される効果として記載されたものはあらゆる可能性を持っていた。胸が踊るような希望を感じてわくわくしながら見たそれが絶滅したのだと知り、心底がっかりしたことを今でもよく覚えている。

 というわけで、ちょっとだけ魔法薬の試作をしてみる。


「鑑定……って うわっ」


 シルガの鑑定魔法は、やはりものすごい勢いで弾かれてしまった。


「君達は本当に頑なだ。……俺が気にくわないのかな」


 そんな独り言が出てしまうほど何ひとつわからない。この草の成分や適切な処理の仕方もわからないし、試行錯誤出来るほど量もないのでどうしようもなかった。

 謎の草を収納鞄に仕舞って、シルガはあの古ぼけた本を思い出した。ボロボロの本を取り出し慎重に開いてみると、古い文体で覚書のようなものが書かれている。あの廃村の周辺に自生している草、栽培している草などが描かれており、処理の仕方が絵と図を交えて記録されていた。なかには馴染みのある薬草も描かれており、現在広く行われている製法と違うところもあって興味深い。


(あの村は薬草や魔法薬を卸していたんだろうか)


 魔法薬に加工するための下処理も書かれている。通常の傷薬などは薬草の成分が重要だが、魔法薬は薬草の成分に加えて魔力も重要で、魔術式と調薬者の魔力を頼って作るのだ。

 本は明らかに手書きだ。薬草の扱い方と魔法薬の調合方法などを見るに、優れた調薬師であることが見て取れる。丁寧にページを捲りながら シルガは期待した。あの謎の草が本当に図鑑通りの薬草であれば、書かれているに違いない。そして、それはすぐに見つかった。


「やった!」


 シルガは思わず歓声を上げて本の上に身を乗り出した。描かれている薬草はどう見てもあの草だ。9階層で手に入れた株は鉢に植えて家に置いてきたので、手元にあるのは滝つぼで採取したものである。


「よし、明日はいろいろ捗りそうだ」


 満足したので、気分が良いまま眠ってしまおうと シルガは灯りを消した。

 ほの白い月の光が夜闇をやわらかく包み、窓から漏れ射した蒼い明かりの中を、木々の落とした影がゆらゆらと揺れている。深く眠っていたような、うつらうつらとしているような、そんな曖昧な意識の狭間に ぎしり、と引き攣れた音が滑り込んできた。


「……」


 向かいの部屋でドアが閉じた音がする。


(帰ってきたのか)


 シルガはローブを軽く羽織ってそっとドアを開けた。


「あっ……と。悪い、起こしたか?」


 少し様子を見ようと覗いた先で、黒い双眸と視線がかち合った。


「いや。ひと眠りして、丁度目が覚めたとこだ。二人とも怪我はないか?」


「この通り、ピンピンしてる。アスレイヤもな」


「そうか……疲れてるとこ引き留めてすまない、ゆっくり休んでくれ」


 そのまま部屋に引っ込もうとしたシルガをジスが止めた。閉じようとした扉を右肘をついて押さえ、左腕をドアの縦枠に伸ばしている。がっちりと開け放たれた扉は動かない。


「え…… なんだろう。何か、用でも?」


 困惑して尋ねると、ジスの顔が思いのほか近くにあるのに驚いて後ずさった。前に一度、似たようなことがあった気がした。シルガは、向けられたジスの両目から視線を逸らすことが出来ずに言葉を待った。何を言われるのか知らないが、ジスの黒く濡れた瞳は羚羊みたいで、夜の蒼い明りを受けて神秘的だ。二つの眼に自分が映っているのが何故か不思議でぼんやりとそれを見ていた。


「ローブ……勝手に脱がせて悪かった」


「あ、なんだそのことか。もうそれは べつにいいんだ」


「あんたの”いい”は、どうでもいいって意味に聞こえる」


「……なんか、鋭いな」


 シルガは何か、ほんとうの言葉を与えなければならない、そんな謎の空気を感じた。


「君は、」


「ジス」


「……ジスは」


 いやほんと何なんだろう。


「何も変わらないから、べつにいいんだ」


「……」


 そう言うと、ジスの大きな手がシルガの顔に影を作った。固い皮膚が頬に当たり、少しひやりとしたかと思うとあたたかい熱の塊がゆっくりと移動する。指で亀裂をなぞっているのだと判った。こんなふうにシルガに触れた人間を未だかつて知らない。


 静かな夜である。

 視線も逸らせず無言で見つめ合っている現状は、へんな夢でも見ているのかと思うほど現実感がなかった。シルガは、幼いころ養い親と採集に行った夜の森にいるようだった。人の前に姿を見せない ある種の気高さを纏った獣を、ふとした拍子に木々の間に見出して目が合ったときの―― 一瞬で心を捕らわれる、あの瞬間が永遠のように思えたのと似ている。



「ルクスとエルメのこと、感謝してる」


「え?」


「死にかけてた怪我人と魔化しかけてた銀色の竜だ」


「ああ。そういえば」


「おかげで両方元気だ。ありがとう」


 そう言って笑ったジスの顔が良すぎて驚愕したシルガは更に後ずさった。同時にジスが一歩、距離を詰める。


「俺はあんたに会いたかった。きちんと礼を言おうと思ってたのにふざけて戦うなんてな。楽しかったけど、迷惑かけて悪かった」


 ふざけて戦うなんて さすがは戦闘狂だな、と思ったシルガは、ふと、頬に触れたままの手の平という存在が謎すぎることに気づいて動揺した。その動揺に気付いた様子でもなく、ジスが何でもないことのように言った。


「なあ、このフードとってもいいか?」


「だめだ」


「もっと仲良くならないとだめか」


 ジスが言う仲良く、とは。

 つまりそれは……


「……戦うか?」


 シルガは言葉の意味が崩壊しそうになっていたが、確認のため聞いてみた。


「っはは! 上等だ、今度はもっと公平な条件で戦おうぜ」


 やはり戦うことは仲良くなることだったようだ。もっと仲良くなるために対戦を何度予定しているのか、それが気になった。


「……と、俺の方が長いこと引き留めちまったな」


 惜しむようにジスの手がゆっくりと離れていった。


「おやすみ」


 ごく自然に微笑んで音にされたそれは、言い慣れた者の威厳を以てシルガを圧倒した。


「お、……や  すみ」


 そんな言葉、言ったことが……言われたことがあっただろうか。あったかもしれないがジスのあれは何か別枠に分類される呪文のような別の何かだ。意味もなくどこから湧いてくるのか知らない羞恥心が身体を巡っていく。おかげで二度寝する前に変な汗をかいてしまった。

 触れられた頬にまだ熱が残っているような、そんな妙な感覚を首を振って払いのけ、シルガは強引に眠りにつく努力をする破目になったのである。






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