第24話

 まだ日も昇らない早朝、アスレイヤがジスと二人で白狸亭を発つのをぼんやり見送り、シルガはぼんやりと考えた。なんせこれから数日間、ひまだ。


(何しよ)


 そういえば、今まで独りで何してたっけ。いまいち思い出せない。


(いやそんなはずは……なんかしてただろ、魔瘴の研究とか魔道具作りとか。そんな感じで過ごしとけばいいんだ)


 とは言ったものの、日常をどう過ごしていたのか思い出せない。記憶喪失にでもなったかのようにぽっかりと空白だ。ひょっとして本当に空白だったのだろうか。ふと、シルガの脳裏に 若年性認知症 という言葉が浮かんだ。すっと胸の奥が冷えて背筋がぞわりとした。


(いやいやまさか。家燃やしたり神してたのは覚えてるし、セーフだろ)


 とりあえず、ギルド行こう。依頼書を返すついでに迷宮の事前調査をして、そのついでにグイーズを探す。あとは今まで通り魔道具作りに勤しめば良い。


(そうだ、アスレイヤに収納鞄を作ろう)


 貴族にとって購入は然程難しくないだろうが、中にいろいろ入れて渡すのだ。向けられる悪意の激しさが増し 独り逃げなくてはならなくなった時、または学院の実地訓練で事故が起きないとは限らない。窮地に陥った時のため 魔法薬と食料などの役に立ちそうなものと、おまけで普段用のおやつも少し入れる。シルガはなんだかワクワクしてきた。そうそうたしかこんな感じで楽しく魔道具作って過ごしてた……と思い出しつつ、必要な素材を考えた。



*******



 ギリヨンから北東へ進むと、ケヘラン城砦都市だ。この辺りはエッケルド地方と呼ばれ、ケヘラン冒険者ギルドはその最も南に店を構えている。出現した迷宮への距離はエークハルクから行くよりも若干近い。砦の南側にあるこの街は領主の抱える騎士団駐屯地の膝元であることから、治安が良く活気にあふれている。

 しかし、城砦の北側は悲惨だ。砦から国境までの広大な野は幾度となく戦場になり、膨大な数の人間の血肉を啜ってきた。今は戦こそ少ないが、シエカート公爵領から流れてくる難民とそれに紛れて忍び込む他国の間者、流れ者が集まって出来た犯罪組織への対応など、辺境伯の苦労は絶えない。それらを制してケヘランの治安が保たれているのはベルメロワ辺境伯の尽力の賜物である。


 雪がちらちら降るケヘランの街中に生徒達の若く生き生きとした声が響いている。特に今年は迷宮の噂を聞きつけた他領の生徒が来ているので、例年よりも華やかだ。彼らは皆、栄えた都市で尚且つ治安の良いケヘランを拠点にして活動している。ケヘラン冒険者ギルドは ベルメロワ辺境伯領の主要な冒険者ギルドのひとつで、騎士団の警邏区域になっている。そのためこの賑わいでも荒事が起こることは少ない。準国家機関のエークハルク支部とはまた違った雰囲気で治安が保たれているのだ。



 賑わうケヘラン冒険者ギルドの扉が開くと 生徒たちの歓声が巻き起こった。たった今入ってきた華やかな少年3人組はたくさんの供を連れ、ギルドの喧騒の中で注目を集めている。というのも、彼らは異例のスピードでCランクまで駆け上がった驚異の新人なのだ。本人達3人はもちろん、その後ろに列を作っている者たちまで得意顔だ。周囲から向けられる畏怖と憧れを鷹揚に享受し、羨望や嫉妬すら彼らへの賛歌でしかないような振る舞いだ。


「あれが、Cランクになったっていう……偉そうにしてんのな、同級生も先輩も顎で使ってるぜ」


「生徒だけでウォーハウンドを倒すなんてすっげー」


「見ろよあの雰囲気。いかにも王都の貴族様って感じ」


「あーでも迷宮入りてーなぁ、俺もちょっと付いてってランク上げさせてもらえねーかな」


 冬期休暇中に新人冒険者となる生徒は 王都の学院に通う貴族の子弟だけではない。領内の学校に通う貴族の子弟や平民もいる。ベルメロワ辺境伯は 有事の際に戦わねばならない領民のために、貴族平民どちらも通える学校を作ったり、主要な冒険者ギルド付近に平民の学生が格安で宿泊できる制度を設けたりと、様々な支援を行っている。そういうことも手伝って、普段なら屈強な冒険者達でにぎわうケヘラン冒険者ギルドだが、冬期休暇中は生徒達が多いのである。

 王都からケヘランまで足を延ばす学院生達は ひと目でそれとわかる都会的な洗練された雰囲気を持っている。彼らは領内の生徒達にとって 鼻持ちならない相手であると同時に憧れの対象でもあった。


 視線の中心にいた少年達はギルドカウンターの隅にいる3人組に目を留めると、たくさんの取り巻きを置いてツカツカと歩を進めた。



「やあ、今から探索か?」


 3人の少年達は ほかは目に入ってないような風で、利発そうな藍色の髪の少年に声を掛けた。


「迷宮に入るなら、そんな奴ら放っといて俺達と行こうぜ」


「遠慮しとく」


 だが返事はそっけない。


「フッ、Dランクなら入れる階層が限られてるだろ。俺達と来ればもっと深く探索できるんだぞ」


「もちろん見返りは要求するけど、お互い利のある話だろ」


「優秀な者は俺達と組むべきさ。お前とは今まで対立することも多かったけど別に俺達の本意じゃない。これからは優秀な者同士、仲良くしよう」


 次々と畳みかけてくる勧誘の言葉に、藍色の髪の少年は困ったように曖昧に微笑んだ。


「はは…… 優秀か。どうだか」


 その答えに満足したのか、少年達はフッと鼻で笑った。


「お前の謙虚さは素晴らしいよ」


「ちまちま探索するのに飽きたらいつでも言うといい」


「俺達と組むのにふさわしいのはお前くらいだ。それじゃまたな、ファルオン」


「ああ、じゃあな」


 ファルオンと呼ばれた少年は、馴れ馴れしく名前を呼ばれたことに若干鳥肌が立ったのだがスルーして返事を返した。にこやかに固まっているファルオンを余所に、傍にいた砂色の髪をした少年が少し憤った風で言った。


「なんだあいつら……以前からエインダールの後ろで偉そうにしてたけど、今はなんか気取りまくって気持ち悪いな。周りもやたらチヤホヤ持ち上げるの、余計調子づかせるってわかってんのかね」


 それで思い出したのか、端の方で迷宮の調査報告書を読んでいた灰銀の髪の少年が答えた。


「そういえば、あの傲慢で横柄で傲岸不遜なエインダールを全く見ないな。いつもなら傍若無人に振る舞ってるだろうに、何を企んでるんだか」


「取り巻きはCランクとか何とか言って好き放題してんのにな。なぁファル、あれ本当にさ、アイツらが倒したんだと思う? どうせ卑怯な手を使ったんだろって」


 話を振られたファルオンは考えるのも億劫そうに答えた。


「えぇ…… そんなの、正式に認定されてるんだから俺の知ったことじゃないし」


 迷宮で順調に成果を上げているらしい3人と、その後ろをぞろぞろ付いていく集団を見送ってファルオンはため息を吐いた。

 仮に虚偽の申請だとして、倒されたウォーハウンドを偶然手にし それを幸運と判断して一気にランクを上げたとしても、その幸運は彼らの実力のうちということで十分納得できる。それに付随する利益も責任も本人達に行くのだから卑怯だとは思わなかった。


「そんなことより、迷宮行こう」


「お前…… もっと他の生徒の状況をよく見といた方がいいぞ」


「あぁまあ確かに…… 冒険者ランクが学院で変な序列を作りそうだな」


「それかぁ~。俺もちょっと気がかり」



 ファルオン・クアトラードはベルメロワ辺境伯の次男である。兄と姉が一人ずつの末っ子だ。優秀な兄が家督を継ぐことは決まっているので、幼い頃から兄の補佐をするべく伸び伸びと頑張っている。学院の生徒達にある貴族意識のようなものに慣れず、何かと突っかかってくるエインダールに辟易してはいたが、エインダール家との不仲は理解しているので無視することもできずにうんざりしながらやり過ごしていた。


(面倒なことになりそうだ)


 さっきまでのざわつきが嘘だったかのように、数えるほどしか生徒がいなくなったギルドを見て思う。

 自身の優位性を一生懸命誇示しても、優れていると思われる者に取り入っても、そんなのは狭い学院内のことで 自分達はたかが生徒なのだ。あんなふうに熱狂する意味が分からない。


「そうだお前、兄上はもう帰ってるのか?」


 そう聞いたのは灰銀の髪の少年――ヴィクス・ディンフェルダー。幼馴染だ。地元に帰って来た気安さで、うっかり家族のことまで聞いたのをしまったと思ったようだが既に聞いた後だ。


「いや全然……。義姉様を亡くしたのを受け入れられないんだ、きっと。生まれたばかりの双子を抱いてもなんか十日くらいボケっとしてたし。それでふらっといなくなってもう半年以上だ」


 ヴィクスがファルオンに気を悪くした様子がないのをほっとしていると、こちらも幼馴染の砂色の髪の少年――イルメース・フィンレイが相槌を打った。


「よほどショックだったんだろなぁ」


「まあ仕事は、あんな様子じゃどうせ役に立たないからいいんだけど。赤ん坊を母様に丸投げして放浪なんて何考えてるんだろう。父親のくせに全く……」


「子供を憎みそうで怖いんだろう」


「あんな武骨ななりして繊細ぶるの腹立つ」


「いや見た目は関係ないって……」


「俺は、はやく元のカッコイイ兄様に戻ってほしいってだけだ」


「お前けっこうブラコンだよな」


「引くわ」


 二人が言うようにファルオンはブラコンだ。シスコンでもある。クアトラード家は家族仲がとても良く、絵に描いたような美しい家庭である。幼い頃から愛情を一身に受けて育ったファルオンは、年の離れた兄と姉が誇らしく大好きなのだ。成人したら兄の補佐として領地を治め、戦いがあれば先陣を切って出る。そう信じて疑わず努力した結果、幸いにもクアトラード家の武芸の才をしっかり受け継いでいたようだ。成績は常に首位、剣の腕前は同学年どころか体格の良い先輩にも劣らない。学院では皆 表立っては言わないがエインダールとの勝負は圧勝だと囁いている。


(そういえばあいつの弟が入ってくるんだっけ)


 母親が違うその弟は数か月遅く生まれただけで、なんと同学年に編入してくるらしい。

 エインダール一人でもめんどくさいのに二人になるって、すごくめんどくさい。兄の学生時代にいなかった分が自分の時に来てるんだと思うと余計腹立たしく感じる。何より外野が対立を煽るのが鬱陶しくてならなかった。

 ついさっき絡んできたエインダールの取り巻き3人組は、どう動くつもりなのだろう。


(対立は本意ではない、自分達と組むに相応しいのは俺だけ、とか言ってたぞ)


 もしかしたらこれを機に取り巻きを卒業するのかもしれない。

 おそらく騎士養成科に進むだろうエインダールは友人と呼べるものがいるのか知らない。孤立することになってもそれは本人に因るところが大きい気がすると無理やり結論付けしてファルオンはそっと考えるのをやめた。


 ファルオン・クアトラードの記憶にあるアスレイヤ・エインダールは、何もかも侮蔑した冷え切った目をしている。自分の優位性を示して他人を見下すとかいうような、そんなものではなかったのは確かだ。学院で彼と会うまで そんな目を向けられたことなど一度もなかったファルオンは戸惑い、少しの恐怖を感じたのを鮮明に覚えている。


 他の誰もがエインダールを 親の地位を笠に傍若無人に振舞う出来損ないだと評しても、ファルオンは賛同できなかった。彼はいつも愚かな振る舞いばかりが取り沙汰されるが、ファルオンの中のエインダールは孤独な冷たい目をしていた。





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