第21話

 早朝の薄明かりがカーテン越しに差し込んでいる。

 アスレイヤはそれはそれはすっきりと目が覚めた。身体を起こそうと意識したと同時に 掌に温度を感じて目を向けると、見慣れぬ白髪はくはつがぱっと視界に入った。


「!」


 元を辿ればよく見知ったローブの フード部分がずり下がって落ちている。


「ピホ……」


(ポグラッチウォーリア2世?)


 左手でアスレイヤの手を握ったまま右腕に額をのせて眠りこけている。アスレイヤは、わずかに上下する肩を見ながら 何とも言えない焦燥に駆られ、中途半端に起き上がったまま動けないでいた。


 ――手を伸ばしてしまおうか


 そっと触れれば気付かれずに素顔を見ることが出来るかもしれない。

 アスレイヤは息を殺して上体を起こし、シルガの顔にかかった白髪に触れた。声の感じからしてこんなふうに生気の抜けた白髪になるような年齢ではない。長いこと魔力不足だと言っていたからそれが関係しているのだろう。人の髪が魔力を蓄える性質があることは誰でも知っていることだ。

 ふと、手を握るシルガの左手が目に入った。手袋を外した左手は白く、指先から手首にかけて亀裂が走っている。


(俺が寝てる間ずっとこうしてたのか…… 痛みはないと言っていたが本当か?)


 しげしげと眺めてみれば、爪の形がきれいだということに気付いた。爪だけでなく、指の形もきれいだ。骨ばった関節の形も、華奢ではないがすらっとしたきれいな線をしている。こんなふうに見るのは魔力制御の初日以来で、あの時は痛々しい亀裂にばかり目がいって気付かなかったことである。


(きれいな手だ……)



「ん……」


「!!!」



 シルガが起きる気配を感じたアスレイヤは咄嗟に元通りに戻った。呼吸を落ち着け、目を閉じて寝ている風を装う。しばらくすると ベッドの端がぎしりと音を立てた。


「う…… … はッ」


 一瞬、空気に緊張が走った。


「……あ、しまった寝てた」


 呟かれたひとりごとは普段通りの呑気なものだ。少しの間、アスレイヤは視線を感じた。目を閉じていても瞼にさした薄明かりが すっと翳ったと同時に額が温かくなった。ほわりと全身を包まれる感覚がして、魔力を注がれたのだと気付く。


「熱はないな……。顔色もいい、魔力循環も……大丈夫、と」


 額を覆ったシルガの手がそのまま移動し アスレイヤの前髪をくしゃりと掻き上げた。


「…………」


 シルガは長いこと無言でアスレイヤの頭を撫でて、そして無言で去っていった。




「は、ぁ――――……」


 部屋から他人の気配が消えたと同時にアスレイヤは深く息を吐いた。自分で思っていたよりも緊張状態にあったようだ。今更ながらドクドクと鳴る心臓の音を聞きながら、ついさっきまで撫でられていた場所に手をやり何となく自分でも撫でてみた。


(あんなふうにはいかないな)


 もっと繊細に、優しく慈しむように撫でて、名残惜しそうに離れていった。

 あのきれいな手が直に触れて体温を分け、あのきれいな指が髪をすいたのだ。


(……無理に顔を見なくてよかった)


 何故かはわからないがアスレイヤは、素直にそう思った。



 *******



 シルガが朝食を作るために厨房へ入ると先客がいた。少し驚いていると挨拶されたので挨拶を返す。


「アスレイヤの調子はどうだ?」


「ああ、もう平気だ。起きたらきっと空腹だろう」


「朝食は俺が作っとくから寝といていいぜ」


「え……意外だな。君も料理するのか」


「そりゃ、野営なんかじゃ必須だ。でも魔術師殿ほど上手くはない」


 腹減ってれば何だって美味いだろ、とジスは料理を再開した。シルガはジスが危なげなく芋の皮を剥いているのをボケっと見ながら思った。


「……俺もご馳走になっていいのか?」


「変なコト聞くな、あんた。当たり前だ。俺の生まれた地方の、普通の家庭料理でよければ」


「家庭料理!?」 


「なんだよ」


「こっちの家庭料理なんて初めてだ。見ていてもいいか?」


 期待に満ちた目を向けられて ジスはいたたまれなくなってきた。


「……本っ当に たいしたものじゃないぞ」


「家庭料理がどんなものか、ずっと知りたかったんだ」


「……」


 シルガは適当に椅子を持って来ると、あまり行儀が良くないが椅子の背に腕と顎を乗せた格好で掛けてジスが料理するのを眺めた。

 トントンと食材を切る音が心地よく響く。シルガは目の前の風景が、どこか遠い世界の出来事に思えた。



「…………」


 寝てる。

 一応確認のためジスが振り返ってみれば、やはり寝ている。


(部屋まで運ぶか?)


 疲れているだろうに、そのうえ昨夜は夕食を食べてない。ジスとしては、椅子で変な体勢で寝るくらいならベッドできちんと休ませたいところだ。


(いや、近づいたら起きそうだ)


 ジスはやたらと性能のいいローブのことを思い出した。おそらく緊急時しか発動しないだろうが、あの自動防御で張られた結界は、壊すどころかローブへの付与魔術式すら解析できなかった。結局のとこ、自分に結界を張ってバチバチ弾かれるのを相殺しつつ、相殺しきれずガリガリ削られ負わされた怪我を治癒魔法で回復しながら魔術師を白狸亭に持って帰ったのである。


(正直……カウロックスでグダグダ戦ってたよりキツかった)


 白狸亭で買った魔法薬の効果は抜群だった。

 店主に事情を説明したら心底呆れた目で見られたのはまだ良い方で、気を失った魔術師を担いだまま店主と話していたところ、その主だという少年が現れてちょっとした修羅場になったことは黙っておく。


 部屋まで運んだ頃には自動防御の威力もだいぶ大人しくなっていた。ベッドに寝かせるついでにローブを脱がせたジスは、魔術師が自身の姿を徹底して隠す理由を察した。と同時に自分の行動を後悔した。

 魔術師がどんなふうに魔法を使うのか興味があったとはいえ、あれほど悪ふざけが過ぎる軽率な行いは普段ならしない。あの時の自分は子供みたいにワクワクしていた。


 今更わかったところでどうしようもないのだが、ただちょっと、仲良くなりたかったのである。


(十かそこらのガキじゃあるまいし、何やってんだ俺は)


 魔術師がアスレイヤに向ける眼差しは、ルーンシェッド大森林で会った人物と同一とは思えない深い情に満ちていた。グレーの瞳はアスレイヤを映すと新緑色に変化し、魔法を使うと黄金色に輝く。先程何気なく言った家庭料理という言葉に、期待をのせた新緑色の瞳を向けられて少し戸惑いはしたが、何と言うか嬉しかった。あの双眸に緑が芽吹くように色がさして輝く様はきれいで、そうさせたのが自分だと思うと気分が良い。

 魔術師はアスレイヤの前ではよく笑う。それ以外は、大森林で世話になった時のように淡々としている。魔瘴噴出孔の密集地帯付近の調査結果を楽しそうに聞くくらいで ほかは必要な事しか話さない。竜騎士が他国でふらふら遊んでることについて何も聞いてこないのは、そう気安く聞ける仲でもなし、干渉する気もないのだろう。大森林に住んでいることから人との関わりを避けているのは明らかで、その対象に自分も入っているのが何故か不服に感じるのである。



 長い休暇に入ったその朝、ジスはルルカ砦を発った。馬に身体強化と治癒魔法をかけて走らせ南下し その日のうちに故郷のベオペントに到着した。ガルファフス家が代々治めているベオペント地方の 最も歴史のある町を特にベオペントと呼んでいる。険しい山岳地帯の麓にあり、はっきり言ってしまうとカビの生えた古ぼけた町であるが、人の行き来が多く割と賑わっている。この町に来る者のほとんどは、険しい山岳地帯――クルクシュケ山脈に用がある冒険者か、ギルドに用がある商人である。ルーンシェッド大森林から溢れる魔瘴の侵食を阻むように聳えたクルクシュケ山脈は 多くの富と災害をベオペント地方にもたらしてくれる。主な災害は水害と、竜の襲撃だ。狂化した竜もいれば魔化した竜もいるし、ただなんとなく襲ってくる竜もいる。そんなわけで、ベオペント地方を統治したがる者はいない。


 久しぶりに帰った故郷で声を掛けてくる馴染みの顔に挨拶もそこそこにして実家に戻れば、昔から勤めている家令とメイドと、じいさま――ジスの祖父が出迎えた。現ベオペント男爵である。ジスは幼い頃からよく拳骨をくらわされていた。なんだまだ死にそうにないな……と思ったのも束の間、休暇を過ごすと言ったそばから用事を言い付かったのである。


 ルーンシェッド大森林の主に南部を警護するザカ砦の騎士長は祖父の親友の息子で、ジスの父親くらいの年齢だ。遊び呆けるのはそこに届け物をしてからにしろと追い立てられて実家を後にした。適当に裏山……クルクシュケ山脈に入って竜を調達したのちザカ砦に行き、迷宮が出現したことを聞いたジスは、それを理由に旅券を作って出国手続きを済ませた。迷宮はどうでもよかったのだが、謹慎の延長みたいな休暇で他国に行くのはまずかろうと思っていたところに良い口実となった。暇つぶしに大森林を探索するにあたって、竜騎士と鉢合わせたくなかったのでティウォルト側から入りたかったのだ。迷宮を理由にしたからには軽く探索しておかなくてはならないのが面倒なところだ。ザカ砦の騎士長も何かしら探索成果を期待しているだろう。



 すうすうと寝息をたてて本格的に寝始めた魔術師に、ジスは思わず苦笑した。

 休暇の目的地をルーンシェッド大森林に決めたのは、もちろん古代竜の件もあったが、この魔術師にまた会えるかもしれないという淡い期待があったのではないだろうか。独房で過ごす間、古代竜と魔術師のことがジスの思考の大半を占めていた。


 思わぬところで思わぬ再会を果たしたことで少し浮かれていたかもしれない。倒れた魔術師を宿まで運んでローブを脱がせたことで、他人が隠したくて隠している事を うっかり暴いてしまったのである。申し訳なく思っているが、気付いているだろうに言及しないということは触れてほしくないのだろうと、ジスは謝罪の機会を得られずにいる。


(たしかに初見じゃ驚かれることの方が多そうだけど、)


 晒された素顔に走る痛々しい亀裂にジスは一瞬意識を持って行かれたが、ふとみると、きれいだと思った。


 すっと通った鼻筋、閉じた瞼のふちを飾る睫は長く、輪郭はすっきりと硬質な線を描いていた。唇は力なくしぼんでいたが、きれいな形だ。魔力不足でそうなったと思われる白髪はテキトーに切っているのが丸わかりの雑さで、肩よりすこし上くらいの長さでザクザク切られて襟足だけ少し長い。


(魔力を補給したら元の髪色に戻るんだろうな……)


 そう、それだ。


 おそらくこの魔術師は 他人から魔力を奪える、のである。

 なんとなく手を握ったらゆるく握り返され、それと同時に脳天が冷えた。ジスが思わず手を離すと、ほんの数秒 目の奥がグラグラ揺れた。

 それだけでも衝撃だが、魔術師は精霊を使役していた。大森林で見た精霊は多分 この魔術師の関係者だ。竜騎士長に報告したのが悔やまれる。


 ジスはアスレイヤがシグレイス伯爵の嫡男で 結構な権力を持つ貴族であることを知ってはいるが、それには言及しないでいる。典型的な権力者の我侭放題の子供だろうと思っていたのに反して、根性があって努力家で変なとこで意地を張るのは、確かになんか可愛いなと、魔術師が情を注ぐのも頷けた。



 というか、ふつうに仲良くなりたいのである。この魔術師は色々と上に報告すべき案件が多々あるが、報告義務をすべて放棄して友人として付き合いたい。ジスはここまで興味を持たされてああもよそよそしくされるのが腹立たしかった。こんな気持ちは無邪気な子供やってた時でも無かったことである。


 件の魔術師は そんなジスの気も知らずに呑気に熟睡している。

 そこまで乗り気じゃなかった休暇が 今では充実したものになっていた。


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