第20話

 シルガとアスレイヤが冒険者ギルド エークハルク支部へ入るとカウンターのジェネットが笑顔で手を振った。


「おかえりなさい!」


「お疲れ様、今日はレイブラッサムを見てきたよ」


「ええ――! アスレイヤ様そんなに毒耐性ついたんですか、すっごく頑張ったんですね!」


「べつに……」


「よく頑張ったよ。実は俺、こんな短期間での耐性獲得なんて無理させてるとは思ってたんだ」


「貴様は大概無理させてるぞ。毒壺探索の後に戦闘を入れて毒の巡りをよくしてただろ、気付いてるからな」


「倒れても俺がちゃんと処置するから大丈夫。あとは獣由来の……軽めの毒ならこの休暇中に耐性獲得できそうだ。結構重要だし、もう少し頑張ろう」


「そういうとこだ!」


「ふふ、意外と鬼教官なとこあるんですね」


 ジェネットはクスクス笑いながら言葉をつづけた。


「納めて頂いた毒なんですけど、依頼主さん方がとても喜んでらっしゃいました。それで追加金の請求も嫌な顔されなかったんで、ミクロッド先輩の胃腸も無事で済みましたよぉ~! で、これです!」


 じゃじゃん!と言いながらアスレイヤに渡された粗紙をシルガがのぞき込むと、結構な金額が書かれている。ざっと見て依頼書に提示されていた金額の3倍だ。奥からミクロッドが出てきて説明した。


「あれだけ高品質の毒ですから、本当なら種類と質を細かくランク分けして1本あたりで追加金を計算するんですがはい、なにぶんEランク案件として依頼登録いただいたものですのでこれが精一杯でした、はいあの、……ご不満でしょうか、いえその」


「精一杯交渉したんならこれでいい。手間をかけたな。それと……レイブラッサムだが、もう実がついていた」


 アスレイヤの言葉にジェネットとミクロッドは目に見えてがっかりした。


「それは残念です、はい」


「こんなことなら強制任務にしておけばよかったんですよぉ……って言っても迷宮が出るなんて誰も予想できないですもんね」


「いや でもはい、前からそういう話はしてたよ、いや、レイブラッサムの群生地まで行ける冒険者は限られてるからと、僕も何度か、はい、意見を……」


 ギルド運営も色々と大変そうだ。シルガがぼんやり聞き流しているとジェネットが我に返って仕事を再開した。


「すみません話し込んじゃって。今日は採取物の提出、されますか?」


「ああ、これだ」


「「えっ?」」


 アスレイヤがカウンターに置いたのは薬草類とショッキングピンクに輝く採取瓶3本。


「変異種の、レイブラッサムの花粉だ」


 そしてこのドヤ顔である。


「えっ、え…… 鑑定士さん呼ばなくちゃ」


「いやジェネット、エリースン2種鑑定所長がまだ残ってるからその」


「わかりました! アスレイヤ様、こちら1瓶お借りしますね」


 思ったよりも大事になっているような雰囲気を感じてアスレイヤとシルガは顔を見合わせた。


「いえあの、変異種の存在は以前からギルドで認知されていたことはいたんですが、はい」


 毒壺にあるレイブラッサムの変異種は開花が通常より遅く、花粉を運ぶ無害な虫の活動時期から外れてしまう。そのうえ、アローバドモスのような花を食い荒らす蛾が発生するタイミングと重なるのだ。自家受粉できても花粉を運ぶものがおらず、受粉前に花が荒らされることもあり結実は稀である。


「花粉に魔力循環の麻痺効果があるけど、ギルドに報告はなかったのか?」


「そうなんですか!?よく無事で…… いえ、それはこちらも把握しておりませんでした。いえあの、毒壺にある変異種の花粉が採取されたのは実はこれが初めてでして、変異種の変異部分はそれぞれ異なりますのではい、いえ、申し訳ございません」


「へー そうなのか。あの変異種、ずいぶん長いこと放置されてたんだな」


「はい、強制任務にしようにも変異種ですので事前調査が必須でしてはい、いえ、それも難航していてですね、手をつけられないでいた案件だったんですはい。魔力循環の麻痺作用があるのならやはり妥当な判断だったかと……」


 シルガ自身も以前から変異種の存在を知っていたが 周囲のレイブラッサムで十分賄えるため、わざわざ未知の危険を冒そうとは思わない。毒壺の深部まで行けるような冒険者はそれなりに経験を積んだ者になるので、そういう慎重さもあるのだろう。


「アスレイヤ、君が第一報告者だって。やったな」


「ふん」


 なんだかんだで嬉しそうである。ギルド内では職員が皆忙しそうにしているが、鑑定結果が出るまでは時間がかかりそうだ。そろそろ夕食の支度をしなければならない。


「夜は何を作ろうか……」


「ハンバーグがいい。おい、今日はもう帰るぞ。明日また来る」


「はい、ではまた明日。よろしくお願いします、はい」




 白狸亭へ着くと丁度ジスが戻ったところで厩舎に竜を繋いでいた。それを見るや否やアスレイヤは地を蹴ってジスへと飛び掛かった。ジスはそれを正面から受けたにもかかわらず、軽く力をどこかへ流して往なしてしまった。シルガが二人の攻防に肩をすくめて厨房へ入るとしばらくして剣を打ち合う音が響いてきた。刃を潰した練習用の剣を持ち出したのだと思われる。本当に仲の良いことだ。


(うん、俺も…… そのうち戦う)


 シルガは待ち構えていた店主にエプロンを渡されたので有難く受け取った。ローブの上にエプロンというのもよく考えると変な格好だが……そもそもエプロンなくても普段は自動清浄効果付きの防御壁を張っている。なぜか店主と一緒に作ることになった夕食である。


「魔術師殿、今日は何を作りましょうかね」


「ハンバーグを作る。それより、白狸亭の宿と酒場はいつまで閉めるんだ?」


 道具屋は開けているにしてもメインは宿と酒場のはずだ。客足はまばらだったとはいえ、こんなに休んで大丈夫なんだろうか。


「ご心配は無用。さ、始めましょう」


 店主が手際よく食材を捌いていくのはさすがで、これならいつもより早く仕事が進みそうだとシルガは頼もしく思った。たまに指示を出しながら黙々と作業する合間、人手が増えた分 普段より考える時間が出来てしまった。


 いつの間にか消えた護衛……アスレイヤだけでなく複数の生徒の護衛も消えたのが気になるところだ。3人の生徒が森から駆けてきた後にウォーハウンドが出てきたことを鑑みると、彼らの護衛もいなかったのではないか。アスレイヤのとりまきの生徒に護衛がいるのは都合が悪いから消されたのではないだろうか。


(グイーズをもっと締め上げるべきだった)


 箝口令が厳しいとか言っていたことから 割と力のある貴族が関わってることは想像できる。貴族にありがちなお家騒動なんかで悪意を向けられているのではないか。


(責任問題を避けて調査を始めたと言ってたな)


 学院にはあまり期待できそうにない。


「……アスレイヤは家族とうまくいってるのかな」


「坊やはシグレイス伯爵の嫡男さね。今のところは」


 うまくいってなさそうだ。


「護衛が消えてたらしい」


「……そんなこともあるでしょう。貴族様はそういうもので……わしらはしてやれないことの方が多い」


「直接的に命を狙ってこない今ならまだいいが、今後 刺客が放たれるような事態になったら、アスレイヤが頼れる人は誰かいるのか?」


 シルガの脳裏にちらとウォーハウンドが過る。もしかしたら仕組まれていた可能性もあるのだ。


「魔術師殿もご存じのとおり、坊やは誰が見ても素行の良くない横柄な貴族で、それでもまだどうにかしてやれる程度の可愛らしい不貞腐れ具合だったでしょう。でも誰も、どうにもしなかった。普通なら正してやるところも貴族様だから見ないふりして、坊やをいないものにしていたんだ」


 シルガは初めの頃のギルドの様子を思い出した。誰もが遠巻きにアスレイヤを見るような見ないような、腫れ物を扱うような空気だ。


「魔術師殿。これでも わしも祝福したもんさね、坊やが生まれた時……。だからあんたには感謝してる。坊やが魔術師殿と、日に日に成長するのを見るのがわしの楽しみでもあるわけだ」


「そうなのか。俺はここに泊まることはないはずだったんだが、今では気に入ってるよ、白狸亭」


「それは嬉しい。いいかね魔術師殿、わしは何も迷惑だなんて思わないよ。どういう事態を引き起こそうとあんたと坊やが泊まりに来るなら歓迎するとも。たとえ魔術師殿が色々とつっこみたいとこばっかりでも、あんたが言わない限りはなんにも聞かない」


「そんなにつっこみどころがあるか……? でもなんか……そうか。よかった」


 こんなふうに気にかけてくれる人がいるというのは心強い。店主の言う通り 普通に暮らしている人が貴族に対して出来ることは少ないだろう。それでも アスレイヤの周囲に温かい感情があるというのは頼もしいことだ。


 この主従契約は冬期休暇の間だけだ。学院に戻ってしまえばシルガがしてやれることは ほぼない。せいぜい魔道具を作って持たせてやるくらいだが、あまり高性能のものだとトラブルの原因になりかねない。


(かといって窮地に立ったとき役に立たないんじゃ仕方ない……)


 Aランク冒険者として依頼を受けて動いているグイーズは学院と繋がりがあるわけだから、アスレイヤの事情に詳しそうだ。探し出して和解しておく必要がある。


(くっそ…… あいつに謝るのか)


 よく考えると自分が悪い気もしないでもないが。自分が仕掛けたトラブルを和解のために謝罪するような事態は数えるほどもないように思う。


(まあ確かに、いきなり殺しにかかったのは悪かったな)


「魔術師殿、ハンバーグに恨みでもあるのかね」


 どうやらたねを激しく叩きつけすぎていたようだ。なんか騒音がするとは思っていた。


「いや。そういえば……ミンチにしてやりたいなんて思ったことは初めてだ。感情的になるのは良くないな」


「……実行さえしなければ、たまにはいいさね」



 丁度良い時間でアスレイヤとジスが戻ってきた。二人は汚れをざっと流してくると部屋へ行ったので仕上げに入る。店主が火を使う間、シルガはテーブルを拭いたり細々と準備した。気に入った異世界の料理を白狸亭のメニューに加えたいらしい。

 程なくしてさっぱりしたジスが階段を降りてきた。


「ピホポグラッチウォーリア2世だっけ」


「ああ」


 ジスはごく自然に手伝いながらシルガに尋ねた。


「毒壺で何かあったのか? アスレイヤ、調子悪そうだったぞ」


「だろうな。大丈夫だ、変異種でちょっとな」


 あっさりしたシルガの態度にジスは少し拍子抜けした様子だ。


「冷静だな。過保護だと思ってたが」


「必要なことだ。明日の午前中は休ませる」


「わかった」


 知り合って数日、ジスとの会話は主に大森林の調査に関することで 事務的なことばかりだ。同僚なんて出来たことがないので何を話せばいいのかわからなかった。人間関係構築において異世界の自分はあまり参考にならない。


 すっかり夕食の準備が整ったが アスレイヤはまだ降りてこない。シルガは席にはつかずに二階へ続く階段へと向かった。


「様子を見てくる。多分戻らない」


「夕食はどうするかね」


「二人で食べてくれ。多めに作ってあるから気にしなくていい」


「手伝えることがあれば呼んでくれ」


「ありがとう」


 こういうとき助けを得ることができるのは有難い。シルガは初めての同僚(たぶん)の存在が少しだけ嬉しかった。



 ****



 シルガがノックをしても返事がないので解錠魔法で扉を開けて入った。完全に侵入者だが仕方ない。


「アスレイヤ、大丈夫か?」


 シャツとズボンだけの簡単な服装で上半身だけベッドに突っ伏して倒れ込んでいる状態だ。シルガは肩を貸してベッドに寝かせた。アスレイヤは苦しそうに息を吐き、顔色は蒼白で汗がにじんでいる。


「……目、回る……吐きそ、だ」


「魔力循環が麻痺すると、酷いときは呼吸困難になって指一本動かせなくなる」


 じわじわと長いこと苦しみながら衰弱するのだ。


「しぬ、てこと……か」


「まあ何も対処できなければそのうち死ぬ」


 シルガはアスレイヤの手を握り、いつもの魔力強奪とは逆に自分の魔力を少しずつ送り込んだ。アスレイヤの麻痺して滞った魔力がシルガの魔力に押されて強制的に巡り始めると、徐々に呼吸が落ち着き少し顔色が良くなった。


「魔力、循環の麻痺……対処できる奴なん……俺が知ってる限り、いない」


「そうなのか? でもちゃんと処置できるから君の判断に任せたんだ」


「こ、なると……かって、たな……」


 アスレイヤの抗議の視線をまるっと無視してシルガは続けた。


「こんなふうに時間を置いて異変が起きることもある。吸い込んだ花粉はわずかだろうがこの状態だ。変異種は正確に鑑定できたとしても危険だってことがわかったな」


「……」


「変異種に出くわしたときは、君が単独でも仲間がいても、今日のように自ら進んで突撃してはだめだ」


 だめだ、というシルガの声が、アスレイヤにはとても厳かな音に聞こえた。


「……わかった」


「約束だ」


 念を押すシルガにアスレイヤは頷いた。


「状態が良くなるまでこうしてる。明日はしっかり休もう」


 アスレイヤは冷え切っていた身体に温かいシルガの魔力が注がれるのをぼんやりと感じていた。それは初めて経験する感覚で、ゆりかごを優しく揺らすようにして摩耗した何かを満たして眠りに誘った。


「ハンバーグ…… 食べそこなった」


「残念だったな、ジスが片付けたぞ」


「チッ……」


「ちゃんと残してあるから 明日調子が戻ったら焼くよ」


「……りが… と 」


 すうすうと安らかな呼吸を聞きながらシルガは なんとなく養い親のことを思った。彼はどんな気持ちで傍にいてくれたのだろう。掌にアスレイヤの熱を感じ、シルガは今になってかつてないほどにそれを知りたいと思った。



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