第14話

 カランカラン……と、響いたドアベルの音に カウンター奥で新聞を読んでいた店主が顔を上げれば、軽装備の青年がひとり入ってきたところだ。


「……いらっしゃい」


 青年は挨拶に軽く会釈して陳列棚の間をまっすぐに進んだ。ただ歩いているだけなのだが身のこなしに隙が無い。ふと立ち止まると棚から魔法薬の瓶を手に取り 目の高さまで持ちあげて、その怪しげな色をじっと眺めた。


「じいさん、2週間ばかし部屋あいてるか?」


「うちに宿泊するのかね?見ての通り、小さい宿でギルドとも距離がある。ちょっと不便さね」


「厩舎がでかいのがいい。ほかに人がいなさそうなとこも、いいと思うぜ」


「お褒めいただき有難う」


 店主が空白の多い宿帳を出してサインを促すと青年は素直に従った。その間、カウンターにいくつか置かれた魔法薬を精算する。


 ――ジス・ガルファフス


 きれいな字で書かれた署名をちらりと横目で確認し、金額を伝えた。


「シングルは厩舎利用料込みで一泊で80ルトさね」


「前払いで5日分」


「こっちの魔法薬は全部で50ルト」


「えっ、ずいぶん安いんだな」


「本当にね。でもそのランクの相場はそれさね……それと、騎獣は? 馬ってわけじゃないでしょう」


「……竜」


「なんですと」


「野生のやつ慣らしてんだけど…… やっぱまずいか」


「うちは道具屋さね、酒場と宿くらい封鎖してもぜんぜん問題ないふぉ――いぃ!」


 喜色に満ちた奇声と共に店主は厩舎へすっ飛んで行った。その場にひとり残されたジスはまだ鍵を貰ってないことに思い至ったのだが、更に悪いことを思い出して慌てて追いかけた。


「じいさん!そいつ気性が荒いんだ、ブレス吐くかもしれねえ。そいつの傍に行くときは呼んでくれ!」


(そうだった、カレリスじゃなかったんだっけ!)



 白狸亭の酒場には『本日休業』の札が早くも掛けられていた。



**



 魔女イムガルダの毒壺、その深部に入ること3日目である。

 アスレイヤは毒を吸い込まないように薄く防御壁を纏い、採取瓶に施してある魔術式に触れて慎重に魔力を流した。それと同時にアスレイヤは毒性植物――スカルフレジアの毒嚢近くにそっと触れた。ほんの少しの衝撃に反応して放出された毒を採取瓶の魔術式がアスレイヤの魔力制御に従いゆっくりと確実に収集する。頃合いを見計らってしっかり封をすると、採取瓶がきれいな薄紅色に光った。


「上手くなったな」


 シルガが声を掛けてもアスレイヤは掌で採取瓶を包み込み、淡く輝く毒を無言でじっと眺めている。その横顔からは心情を読み取れない。シルガが視線を外したところで徐に問われた。


「依頼書の採取物は毒壺の浅部でも採れるのに、わざわざ深部まで行くのは……俺のため か?」


「そう、君に毒耐性を付けてもらうためだ。行動範囲が広がると楽しいからな、単に俺が君といろんなとこ行きたいってのもあるんだが」


「つ、つまり互いに利益があるんだな」


「そうだ。俺は今、君の下僕なわけだからご主人様のことを割と真剣に考えているよ。君が単独で毒壺の深部探索をできるようになるのを目指してる。もちろん戦闘はなしだけど……だから身体強化と防御の結界魔法、治癒魔法を習得してもらう予定だ」


「治癒魔法……身体強化の延長のやつだな」


「え? 治癒魔法は治癒魔法だ」


 二人の間にまたもや疑問符が浮かんだ。


「……貴様はどこで魔法を覚えたんだ? まあべつに、今更いいがな」


「うん……俺もいちおう努力はしたよ。でもま、所詮は自己流か」


「自己流でそこまでできるようになるか……?」


「いや……そうだ、協力者がいる。精霊」


 シルガがそう言うと二人の周りに無数の光の粒が現れ、ふよふよと周りを漂った。


 ―――シルガ、なに


「用はないが、そのへんにいてくれ」


 ―――いいよ


 青白い光が灯る魔女の毒壺の中を清廉な光の群れが気ままに漂っている。

 アスレイヤはそれを呆然と目で追いながら驚愕のまま声に出した。


「精霊が……本当に存在するとは」


「言い伝え程の強者ではないようだけどな。元からなのか、それとも時間と共に力を失ったか……それはわからない。俺は名を対価にして精霊と契約を結んでいる。俺の望むささやかなことに彼らが応えてくれる代わりに、俺は彼らのささやかな頼みごとを請け負うことになっている」


 ほとんど独り言の呟きにも律儀に答えが返ってくる。少し離れて同じように精霊を眺めているシルガの顔はローブに隠され相変わらず見えないが、アスレイヤは今なら聞いても構わない気がしてぐっと腹に力を入れた。


「さっきのは貴様の……」


 名前だろうか。シルガと、呼んでいた。


 問いの後半は音にならなかったが、しっかり答えが返ってきた。


「略称だけど、そうだ。でも呼ばないでくれ。あれは精霊にやった名だ。君に呼ばれたらきっと力を持ってしまう。それはどうしてもだめだ」


 契約に差し出す対価はたとえ外野には無価値なものでも、当事者にとって価値のあるものでなければならない。シルガは対価として差し出せるものを何も持ってなかった――わけではなかったかもしれないが、何も思いつかなかったのだ。それなりに考えた末、当時の自分が考え得た最高にカッコイイ自分の名前なら対価にできると思い至った。誰にも名乗ることもなく呼ばれることもなかったが、当時の自分にとっては価値のあるものだったのだ。それは今となっては過失も過失の大過失でしかも黒歴史的名前だ。だが契約の対価を自ら貶めることは許されないことである。


「何故、その名が力を持つのはだめなんだ?」


「契約を交わしたものは精霊でも何でも対価に応じた力をふるう。逆に言えば、対価が力を与えるってことだ。俺の名を契約の対価にやったから、名が価値を持つほどに、精霊が行使できる力は強大なものになるわけだ」


「何が不味いのかよくわからない。でもその名がだめなら ほかを名乗れば済む話だ」


「偽名の位置なら構わない。だが真名とするのは対価を覆すことになるのでだめだ。偽名が真名より価値を持つことも一方的な契約の反故にあたる。違約金として何を要求されるかしれない……その点、ピホポグラッチウォーリア2世は結構いい線行ってるぞ。センスあるよ、アスレイヤ」


「バカにしてるのか貴様は……」


 そのまま二人は黙って気ままな精霊たちを眺めた。時折、くすくすと笑う声がこだまして聞こえる。

 アスレイヤはまだ知りたいことがあった。今それを聞かなければ、この先 彼が答えてくれることはない気がした。直感的に悟ったが、それを言葉として音にするのは何故か酷く恐ろしかった。心臓が早鐘を打ち、胸のあたりから全身が冷たくなっていくのを感じながらも やっとのことで声を出した。


「……名を対価に、貴様が望んだものは何だ」


「そばにいてくれと」





 ――そばに いてよ。そしたらきっとつよくなって、おれきみたちをたすけるよ。


(そんなこと あったな)


 喉元過ぎればなんとやらで……記憶の彼方で薄れていた懐かしい契約の言葉だ。シルガは久々に思い出した。忘れそうになるが、彼らとは契約でつながっているビジネスライクな関係だ。


なんて言うから……おれの要求が”そばにいてたすける”ことになってるんだよな。精霊が力を持ったら何を要求されるか知れたもんじゃないぞ)


 ”つよくなってきみたちをたすける”


(こわ……)


 本来、差し出す対価と要求するものは 双方が等しいと納得するまで契約時に交渉するものであり、その時点での価値が最終取引値だ。対価に後から値打ちが出ようと差額分を請求することは出来ないし、割に合わないと要求を減らすこともできない。

 しかしこの契約の場合、契約行使のために使うことが出来る双方の能力――権限の指針として、シルガは唯一かつ価値変動のある名を差し出した。

 つまり、契約内容自体を等価交換の天秤型で提案したのである。よって最終取引はここで決定される。


 だがこれでは、先に”名”という対価を支払っているのに、シルガが行使した精霊の力に対する等価を要求されるという二重払いが問題になる。シルガが差し出した”名”は、正確には対価ではなく、限りなく対価に近い ”契約成立の証”という位置付けである。これは双方が行使できる力の指針という役割を果たす。


 精霊は、いつでもシルガの要請に応える義務を負う証として、シルガの”名”を 価値が変動する状態で握っている。価値が上がれば精霊は強大な力を得、シルガはその強大な力の行使を請求できる。しかし、最終取引は常に等価交換であることを忘れてはならない。


 名が価値を持てばシルガが行使できる精霊の力は強大になるが、行使した力の等価を請求されるわけだ。使うに使えない、精霊に力を持たせるだけの非常に不利な契約である。


(ただそばにいてほしかった)


 上手くいかないものだ。

 当時はたださびしかった。たわむれに言葉をくれる何者かに留まってほしくて必死で声を掛けたのだ。だがシルガは縋る言葉を知らなかった。自分が呪われた化物でも利益さえもたらせば何かしら得ることが出来る、利益は何物をも凌駕する。当時はそれだけが真実だった。

 言葉を知らないというのは不幸なことである。


 この契約はシルガの まれに見る大過失なのだ。



 二人並んでぼーっと空中を眺める、間抜けな絵面だ。


「君が」


 隣りでぽつりと落とされた音にアスレイヤは視線だけ向けて続きを待った。


「俺にくれるものが、大きくて……」


 ――眩しくてくらくらする。


「逃げたくなるんだ」


 そう告げたシルガの姿をアスレイヤはまじまじと見つめてしまった。

 何か自分が与えただろうか?魔力は確かに奪われているがそういうことではない。


 この魔術師は、アスレイヤがいつの間にか彼に向けて抱いた信頼や親愛の情、それを受けて拙くも応えようとしている。今アスレイヤの目に映っている魔術師は、あの不気味な曖昧さを感じさせない。そのことが急激にアスレイヤの血を沸き立たせた。


「逃げたいなら……逃げてもいいが」


 ――何故、出会った当初から激しく勘違いしているのか未だに謎だが、


「俺はひたすら獲物を追いかける狂戦士、らしいぞ」


「そうだった」


 そう言って微笑むシルガに笑顔を返して アスレイヤは精霊を見据えた。

 この魔術師の名に価値を持たせることがどれほどの脅威となるかはわからない。


(俺は、怖れることなく名を呼びたい)



「そうだ、アスレイヤ。午後はウィッツィの湖で俺と一緒に戦闘しよう」


 シルガの言葉に、アスレイヤの意識は一気に日常に戻された。

 おとといは獣寄せの材料とも知らずにせっせと素材を集めさせられ、昨日は次々と襲い掛かるキラビットを斬っては解体斬っては解体を繰り返し……


「……昨日は散々だった」


「あれでも楽しんでくれてたようだが、まだまだこんなものじゃないぞ。あれはただの序章だ。釣りにおけるゴカイ採りみたいなものだ」


 アスレイヤの背中をなんだか嫌な悪寒が駆け抜けた。


「今日はソロじゃなくて、後衛に魔術師がいる想定だ……楽しみにしていてくれ」


(こいつはほんとに俺を何だと思っているんだ)


 未だに認識を訂正できないほど頑なに勘違いしているのを どうにかできないものだろうかと、アスレイヤはシルガに生温い目を向けた。



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