第1話

 ヴィアロサリエは、聖域ともいえる不可侵の大地である。

 海に面した北を除いては四つの大国と国境を接する。西に位置するのがエルドラン、南西がティウォルト、南東がドーラ、東がシンヘミア。これら四大国の争いの歴史は古い。聖域のほぼ中央部に広がるこんもりとした森を海岸に抜けると、白を基調とした小さな城が かわいらしく佇んでいる。この城は北の僻地にあり 常にきびしい潮風にさらされているというのに 変わることなく美しく、庭園は花を絶やすことがなかった。



 暖炉の前で二人の男がチェアに腰かけている。

 一人は濃紺の髪を無造作に後ろに流し、鍛え抜かれた体躯を少々窮屈そうにちぢめ、もう一人は長い脚をゆったりと組んで暖かく燃える火をながめている。蜂蜜色の髪が火のゆらめきに合わせてきらきらと輝いていた。


「この城の主は いつ来ても留守だ。主がいないのに こんなにもてなされるのは気が引けるな」


「お前がそんなに殊勝な奴だったとは、心にもないことを言うのはやめろ」


 なかば独り言のような呟きをぴしゃりと叩かれたのだが、蜂蜜色の髪をした優しげな顔立ちの男は 特に気分を害した風でもなく続けた。


「キミと友好的なのなんて、この城に居る時くらいなんだし、せっかくだから仲よくしよう。雑談でもしてさ」


「こんな奴に隣に越してこられる俺の気持ちも考えろ」


「僕は左遷されたんだ。気の毒じゃないか?お茶くらい注いでほしいね」


 優雅な所作で指されたローテーブルは眼光鋭い美丈夫の右側にあり、ティーセットが鎮座している。男は無言でそれをテーブルごと二人の間に移動させた。


「割に合わないよねぇ」


 辺りに花の香りが漂う。


「ヴァストリが好き放題して荒らしたシエカート公爵領を僕がどうにかするんだけど……キミはあのいかがわしい新興宗教団体の扇動に乗せられる愚民に煩わされることもなくなるし、荒れに荒れたシエカート公爵領からなだれこむ流民による治安悪化のために金を出す必要もなくなるわけだ。全部、僕の骨折りでね。」


「今そっちに攻め込んだら簡単に制圧できそうだ」


「ふん、できるなら既にそうしてるだろう」


 長い間ヴァストリ家が治めていた土地であるシエカート公爵領は、大国エルドランの最も南に位置し、隣国ティウォルトと接する。ヴァストリ家は建国当初からつづく由緒正しい血統で、優れた魔術士を代々輩出してきた。それゆえにエルドラン王家はその力をおそれ、大公の称号を許したのだが、ヴァストリの家名への慢心は次第にふくれあがった。先達の偉業に胡坐をかいた結果、領地収奪のうえ取り潰しとなり ヴァストリ家の血に連なる者はそれぞれ刑に処された。


「キミへのイヤガラセになってる間は多少荒れてても僕は愉快だったんだけど。知らん顔してたら僕が厄介払いされてしまった」


「ざまみろ」


「そんな心にもないコトを言うのはやめてはどうだろう」


 王都から遠く離れたシエカート公爵領はティウォルトと戦争になれば最前線となるうえ、高濃度魔瘴地帯であるルーンシェッド大森林と隣接している。あまり良い条件の土地ではないため、ヴァストリ家が失脚してもその爵位と領地をすすんで引き受けたいと望む者はなかった。


(思ったよりも早く手に入った)


 長い間欲しいと思っていた。となりに腰かけている無愛想な男も知っているはずだ。

 じんわりと暖まった油膜のような空気の中で、燃える火の音が響いている。ちらりと横目で隣の様子をうかがってみるが何の情報も得られそうにない。手元のカップに目を落とせば、お茶の紅い色がとろとろと揺れている。

 不可侵の城に行くことは知らせもしていないのに示し合わせたように彼も来ていた。あちらも驚いていたように見えたが 何故いるのか、という疑問よりもなんとなく心が弾んだことの方が 何故、だ。この男とのよくわからない沈黙の空気を、王都で過ごす空気よりも好ましく感じるのは非常に不本意なことだった。




*****



 哨戒に出た竜騎士が帰ってこない、と 砦は騒がしくなっていた。というのも渦中の騎士はノランデーヴァ国内で権勢をふるう貴族の出だったからだ。通常であれば、そういう類の騎士がこの砦に配属されることはない。本人の強い希望で無理やりねじ込まれたのだ。このルルカ砦は 常に高濃度の魔瘴に覆われているルーンシェッド大森林の、主に北部を警備するために置かれた拠点だ。魔瘴地帯は一般の立ち入りを禁じているが、放っておくと悪党の一時的な避難場所になったり、魔化した獣の巣窟になるので国の介入が必要不可欠なのである。ノランデーヴァに点在する魔瘴地帯の中でもルーンシェッド大森林はひときわ危険であるため、ルルカ砦に配置される騎士は身分に関係なく実力を評価された者ばかりだ。


「チッ ……クソ面倒な」


 騎士らしい見た目に反して吐かれた言葉は荒れていた。もう日も暮れているというのに件の騎士を探しに行かなくてはならないのだ。二次災害になったらどうするつもりだ……という気持ちを押しやってジスは竜舎へ向かった。だが このまま彼を高濃度魔瘴地帯に放置しては明日には生きていないことは確かだ。幸い、竜は同族の気配に聡い。帰ってこないのが人間だけなら見つけられないだろうが、竜騎士が騎乗していた竜の気配をたどっていけば見つけられるかもしれない。


「ペアを組んでいた騎士の話によると、大森林の中に何か異常があったらしく……」


「静止を振り切って そこ目指して行ったってわけか」


「まあ 一方的な証言ですから。無事回収できたら詳しく聞いてみないとわかりません」


 上に報告だけすればよかったものを、通常ルートを大きく外れてわざわざ自分で確認しに行った。その結果、魔瘴にのまれて身動き取れなくなったのではないか。彼の普段の振る舞いを鑑みるに、功を焦ったとかそんなところだろう。無駄に身分が高いからかプライドが高く、実力以上のことをやたらとしたがる奴だ。彼の捜索に出動する竜騎士はルルカ砦でも選りすぐりの実力者だが 身分はそう高くない。無事ではなかったときに備えての采配かと邪推してしまう。ジスは自分の竜に鞍を取り付け、自身の目の高さよりも少し高い位置にある相棒の顔を覗いた。賢そうな眼がこちらを見ている。帰ってこない仲間を心配しているのだろうか。


「よろしく頼むぜ」


 余計なことを考えないよう気持ちを切り替え、魔法で自分と竜の周りに障壁を廻らせた。これで風の抵抗を和らげ速度を上げることができる。夜の大森林は 日中よりも濃い魔瘴に覆われている。普通の人間が一度に大量の魔瘴を相殺、もしくは浄化する方法は今のところ存在しない。人体に取り込まれた魔瘴は ある程度の量に留まれば自己治癒力で時間をかけて無害化し排出される、のだが……


(奴の竜はエルメだったな)


 ジスの気がかりは他にあった。というか、捜索に行く竜騎士全員の懸念である。

 竜の身体を構成する物質の割合は人間とは異なる。人間よりも多くの魔瘴に耐えることができる代わりに体内にそれを蓄積しやすく、その量が一定値を超えると身体構成物質の変質が起こる。魔化と呼ばれる変質だ。大抵の生物は体内に大量の魔瘴を取り込むと死に至るため 魔化を起こすことはそうないが、竜は体内に魔瘴を大量に蓄積できるうえ耐性も強いので、魔化を起こしやすい性質ともいえる。獣の中でも精霊に近く基礎能力値が高い竜は 魔化を起こせば手のつけられないモンスターに変貌するのだ。もしエルメが魔化を起こしていたらその場で殺すしかないが、魔瘴地帯で、それも今まで共に過ごしてきた竜と、戦闘なんて冗談ではなかった。

 そういうことなので、速やかに竜の気配をたどってもらい、迅速に移動距離を稼ぐ。諸々の不満は今は置いておくことにして、とにかく速攻で捜索を進めなければならない。手綱を握ると どことなく竜の身体が強張っているのがわかる。ジスは竜の背から腕を伸ばして安心させるように首筋を軽くたたいて言った。


「きっと見つける、行くぞ カレリス」


 ゴウッと風を起こしてジス達は飛び立った。夜の冷たい空気の中、はるか下に黒い影となった砦を尻目に更に上空を目指す。息をするだけで肺の底がちりちりと焼けるように冷えていくのを感じながら ジスは目を細めて東に広がる黒い塊を眺めた。ルーンシェッド大森林から少し距離を置いたルルカ砦からでも 禍々しい魔瘴が星明りすら塗りつぶす勢いで渦巻いているのがわかる。まるで巨大な生き物が 森を抱き込み守護しているかのようだった。



 刃物のように襲いかかる風をものともせずにジス達は猛烈なスピードで竜を駆って進んだ。第二捜索隊はジスを含めて6騎で、2騎1組で行動する。3騎が高度を下げて捜索し、他3騎は比較的魔瘴の薄い上空で待機する。これを交互に繰り返すことで魔瘴による汚染を抑え捜索距離を稼ぐのだ。事前にアタリを付けた地点で6騎は魔瘴を避けて上空に集まると、デュランが言った。


「彼――ルクスが異常を見つけて通常ルートから外れたのはこのあたりですね。コッドによるとルクスはここから更に東に進んだそうですよ」


 指されるままにジス達は目を向けた。普段立ち入ることのない見知らぬ森を前にして まとう空気に緊張が走る中、ジスはふと疑問に思ったことをそのまま口にした。


「ここから更に東なら シエカート公爵領…… エルドランの管轄域に入ることになるかもしれねえな。何してくれてんだ」


「ジース!お前説明ぜんぜん聞いてねぇじゃん!大丈夫!?」


「うるせぇな、出動2分前にたたき起こして召集しといて……デュランがキッチリ聞いてるから い い ん だ よ!それよりシエカート公爵領に入ることは断り入れてるんだろうな?入れてないような気がするぜ」


「お察しの通りです。バレないようにギリギリのラインで攻めましょう」


 探す気あるのかわかんねえな……


 というのは第二隊全員の感想であった。

 ルーンシェッド大森林を超えた先はシエカート公爵領だ。最近では少々荒事があったようで、長年の領主であったヴァストリ家を退けエルドラン王家筋の者がその座を引き継いだばかりである。古くからヴァストリ家のものだったルーンシェッド大森林の北東部は不毛の地であるにもかかわらず、ヴァストリ家の魔法の叡智を以て巡らされた結界障壁網が敵の侵入を感知する、らしい。らしい というのは、わざわざこんな魔瘴地帯を通って領域を侵そうとする者がいないためだ。本当のところは誰も知らない。とにかく、シエカート公爵領はなかなか謎の多い土地であった。


「公爵領の情勢がちょっとあれな時にぃ、領域侵犯がバレた時のこと考えると……  バカだと思いますぅ」


「竜騎士、というか軍属の竜が魔瘴地帯で行方不明なんて できれば知られたくないというのは理解できなくもないが……」


「それでもルクスは探さないといけないし。ルクスじゃなければとっくに諦められてたんじゃないすかね」


「バレないようにって言うけどさ、どーしても公爵領に入んないといけない時はどうすればバレないの?」


「知るわけがないですね」


「んじゃ各自気を付けるってことで。デュラン、先 行くからな」


 言うなり竜の首をぐっと下げさせ急降下すると、ほか二人――リッタとアトラトもジスに続いた。障壁を重ね掛けしてぐんぐんスピードを上げ、薄黒いもやを風圧で飛ばし進むと汚泥のようにどろりとした 澱となった魔瘴が木々を覆い尽くしていた。いくら障壁を張っていようが この中に突っ込んで行くのは御免被りたい。後方で魔法を使う気配を察知したジスは竜を斜めに逸らして動線を譲った。


「穴 あけますねぇ!」


 強烈な熱量を持った閃光がまっすぐに澱みへと向った。鋭い光線は高い音を鳴らしてジスの横を通過し 凍っていた髪の先を溶かして厚い魔瘴の層に切り込んだ。ドッ ドッ と鈍い音を立て霧散した一瞬の間隙からジス達3騎は森の懐へ突入した。

 魔瘴の澱に覆われていた木々がそれぞれに伸ばした枝は 絡み合い重なり合い、籠の網目のようになって空を塞いでいた。森の内部では しっとりと湿った生ぬるい空気が魔瘴を孕んでまとわりついてくる。普通の人間が魔瘴防護のための装備もせずに森に入れば5分ともたずに死んでしまうだろう。常に魔瘴にあてられている植物は立ち枯れているものも多いが、ルーンシェッド大森林特有の進化を遂げたものも数多く存在している。そういった植物を採取し調査するのもジス達の仕事の一つなのだが、今は興味深く観察している場合ではなかった。


 3騎は更に高度を下げ速度を少し落とすと 行く手を遮る枝も幹も岩も容赦なく粉砕しながら捜索を進めた。もしルクスがエルメとはぐれていたら救助は絶望的だ。黒々とした木々の間を 進路を竜に任せて各々目視できる間隔を取りながら 集中力を総動員して人影を探す。ほとんど調査も出来ていない地点の大森林を、存在するかもわからない索敵網を避けながら、隣国に悟られることなく人探しなんて無茶苦茶な任務だ。何度も哨戒に出て見慣れたルートですら夜は全く別の様相をしているというのに。

 ジス達より先に出動した第一隊は主に通常ルート周りを捜索しているため、ルクスの生死は主に ジス達第二隊の働きにかかっていた。


「時間です、交代します」


 魔道具からデュランの声が響いた。竜騎士同士で連絡を取り合うための通信機である。ジスは片手で合図をし、リッタとアトラトがあとに続いて上昇するのを目の端で確認すると魔力を身体に纏わせた。ジスが魔法展開式を構築するのに数秒もかからなかった。上空に浮かび上がった複雑な展開式は質量を持った魔力をジスから一気に集めて爆発した。


「うわぁ  魔瘴って蒸発するんですねぇ」


「ジスの魔法は脳筋ってわけでもないのに…… 脳筋だな」


「ああ!?」


 厚い魔瘴の層に出来た大穴から3騎が出ると、待機していたデュラン達が入れ替わりに入った。時折風に乗って耳に届く警笛の音を聞きながら視線を向けると、ついさっき自分があけた大穴はじわじわと傷を治すかのように狭まっていた。


(自己治癒力みたいだ。魔瘴ってのはたまに生き物に見える時 あるな)


 森に入って捜索する時間は短く それぞれ交代に行うが、これだけ高濃度の魔瘴にさらされてはそう何度も繰り返せないだろう。待機している時間も惜しいのか、竜――カレリスが焦れたように激しく両翼を揺すり、ジスの制御をしきりに拒否して自ら進路をとろうとする。


「……デュラン連れてくけど構わねえか?」


「むしろ連れて行ってもらわないと安心できない」


「通信機の範囲内には居るようにしますぅ。ルクスがエルメとはぐれた可能性もあるからいちおうこのまま捜索するけど……位置情報だけはマメに連絡してくださいねぇ」


 そういうことで、ジスとデュランはカレリスの示すままに手綱をとった。木々は夜よりも深い闇となって二人を飲み込んでいった。


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