第28話 袋の鼠

 松宮も言葉を失っていた。

千目里ちまりはどうでしょう?」

「あいつは兄様の婚約者を捜して日本中を駆け回っているだろうから……そうか、この近くにいる可能性もあるのね」

 そこで豪切は、加賀島の言った千目里という名の人物と豪切家に連絡を取ることを決めた。しかし、携帯電話は圏外のままだった。


 次に、あの女について調べるには何から手をつければいいのかと考える豪切に松宮は、斗南の祖父が母親と施設にいたということから、周辺の児童養護施設——当時でいう孤児院と、それに協力した可能性のある、村の診療所の医師を調べるのが早いのではと提案した。


 もっとも、村は地図上から消されていて、医師についての情報はなにもない。

 雲を掴むようだが、とにかく一つづつ片付けなければならないな、と言ったところで松宮は再び携帯を確認した。


 やはり携帯電話は圏外のまま——。

 やけに長いな——と、窓の外に目をやる松宮に、「たいていどこかに出かけた時は行き道よりも帰り道の方が早く感じますけどね。暗くてよく分かりませんけど、見えるのは木ばっかりで同じところを走っているみたいですよ」

 と斗南が言った。


 はっ! と松宮と豪切が見合った。間に挟まれる斗南は二人を交互に見る。

「下りても下りても同じフロアに行き着く階段!」

 松宮は学校でのことを思い出した。

 豪切も車の窓に張り付くようにして外の景色の変化を探した。


 後席の二人の騒ぎで、加賀島も異様に長く下っていることに気がついた。ほとんど変わらない暗い景色と、これからのことを思考していたためか気づくのが遅れてしまった。


 豪切と紫桜の二人が念唱を唱える。

 だが、かわらず同じ景色が繰り返されているように見える——豪切は車内を確認する。


 斗南が落ち着かない二人に声をかけるも、その声は聞こえていないようだった。松宮は慌ててゴム手袋と軍手をはめてヘッドライトを装着している。

 視線に気づき、斗南にもそうするように松宮は促した。


「だめなのか? なにもかわっていない?」

 豪切は唇を噛む。


 とたん、車外の景色が流れるように変化していく。

 

 廃屋——廃屋が右手に現れた。


 入り口からの坂を下っている。加賀島は慌てて車の速度を落とした。


 開けた場所には白いミニバンが——まるでこの車を待っていたかのように停まっていた。

 

 もう一度転回するか、そう考え、加賀島がハンドルを握る手に力を込めるが豪切は無駄だと言った。

 

「われわれの力では、もうこの村から出ることは出来ないってこと、応援を呼ぶ手段もないわ」

「……ということは、お兄さんでもあの女を祓うことは出来なかったということだよな」

 ショックを隠せない松宮だった。

 同じように豪切も斗南も意気消沈した。


 加賀島はあきらめて、先ほどと同じ場所に車を停めた。

「ん——?」

 再び車のヘッドライトによって闇に浮かび上がった白いミニバンと手形。やはりそれを見ていた松宮は先ほどとは違う印象を持ち低い声を出した。


 停車した車の中で準備を整えて警戒している豪切たちをよそに、松宮はふらりと車から降りて懐中電灯で白いミニバンを照らした。

 外は危険だと、あとを追ってきた斗南にも耳を貸さずに車体に触れ、黄土色の手形に触れて——「いま気づいたよ。これ、左手じゃないか」

「え? ああ、そうですね。左手の手形ですね」

 何も不思議なところはなかった。霊の手形自体不思議なものではあるが、それが実在すると知ったいまでは、霊は言葉も話すし、手足もある。手形くらい残すのだろうと斗南は思ったからだ。しかし——。


「そうじゃない。左手だけなんだよ。この手形、いくつもあるのに全部左手じゃないか。なぜだ? あの女は確かに両手でベタベタやっていたよな?」


「見た目がすべてじゃないってことよ」豪切たちも準備を整えて車外へと降りていた。

「目に見えるものがすべて本物ではないってことなら実際は右手は無いってことか?」

 言って松宮は、くっ、と眼鏡を上げた。


「学校で襲われて、マチに首を絞められた時は両手ともものすごい力でしたよ」と斗南。

「首を絞めたのは憑依した伊予乃殿の体でしょう。そんなにこだわることなの? 松宮殿」


「ん……そう言われるとなんだろうな? なにか引っ掛かるんだ。だって、伊予乃氏は、左利きだったよな」

「え? そうですけど。それがどうかしたんですか?」答えるが、斗南には松宮が何を言っているのか分からなかった。

「たとえば生前右利きで、左手一本になってしまった霊が憑依した場合、やはり憑依した人間の右手をメインに使うものなのか?」

 

 そんなことは考えたことも気にしたこともないと豪切は言い、加賀島と紫桜もそれについての答えは持っていないようだった。


「それにしても、三人とも眩しいな」松宮は目を細める。

 「両手を空けておきたいからね」豪切たちは照明を、装着しているヘッドライトに切り替えていた。


「! ともかく、右利きだろうが左利きだろうが——」

 言って、豪切はポシェットから札を二枚取り出して後ろを振り向き「祓うだけよ、松宮殿」


 豪切の視線の先——五十メートルほど先に八枝子が静かに立っていた。

 視線を交わすと同時に静かにこちらに歩いてくる——歩いてくる。

 いまはまだ無表情に。

 いまはまだゆっくりと。

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