第21話 念唱

「いやーずいぶん可愛かったわ。ねえ、斗南殿もそう思うでしょう」

「え? そ、そうですね。でも、あの女性の顔は驚きますよ、めちゃくちゃ怖かった……夢で見たのとは全然違いましたから」


「私だって幽霊なんて初めて見たんだ」松宮は恥ずかしそうに耳まで赤くしていた。それをごまかすように続けて、「そうだ女性といえば斗南氏、さっきのは何だったんだ? また声が変わっていたぞ。女性というよりは、前に部室で聞いた『見つけた』とか言った時の少女のような声だった」

 さっきの声? それについて斗南はまるで覚えていなかった。豪切もナビに集中していたせいで聞いてはいなかった。

 三人のやり取りを聞いていた桜紗がゆっくりと車を止めた。


「どうしたの? 兄様」

 桜紗は前を見てみろと言わんばかりに、顎を軽く突き出し、携帯を手に取った。

 いつのまにか電波は途絶え、電話は切れていた。


『立ち入り禁止』の文字が書かれた立板が目に入る。所々に、針金で止められている板には『侵入禁止』や『私有地につき立ち入り禁止』『国指定危険区域』とある。

 行手をさえぎる金網は高さが二メートルほどあり、車のヘッドライトに照らされて森の闇に浮かび上がり今にものしかかって来そうな威圧感を放っていた。


 金網は道幅を超えて森の中に入り、その先は闇に消え、どこまで囲われているかは分からない。

 扉はあるが、チェーンやワイヤーで巻かれ、錠前が掛かっていた。


 桜紗は車を降りて扉の周辺を確認しながらその厳重さにうなずいている。この先に、地図にはない目的の村があると確信していた。

 金網を握り、さらに向こうの闇を見据えて不敵な笑みを浮かべる。

 


 桜紗は車の荷台から特大ワイヤーカッターを取り出した。小柄な為か、それはより大きく見えた。しかし慣れた手つきであやつり、軽々とチェーンやワイヤーを切断していく。

 その様子を車の中から見ている三人は、なんとも言えない顔をしている。

「緊急で、仕方がないとは言え、立派な犯罪だよな。お兄さん、黙々と当たり前のように、バチンバチン切断してるけど」

「松宮殿が斗南殿にやらせようとしたハッキングも犯罪でしょう」

 バツが悪そうに松宮は眼鏡をくいっと上げ、口を一文字に結び黙った。


 しばらくして後ろから車のヘッドライトが一台、加賀島と紫桜が合流した。

 ちょうど作業を終えた桜紗がその車に向けて手招きをしている。




「豪切氏、あれは何をしているんだ?」

 金網に手を添えている紫桜を見て、松宮が首を前に突き出して言った。

いるの。あの金網から情報を、この辺りが現在もよく使われているのか、人が往来するのか確認しているのよ」

「ああ、人がよく来るようだとやたらめったらなことはできないからか……って、そういうのはワイヤーを切断する前にしないか?」

「実際気にしていないのよ、兄様は」

「紫桜さんの力ってすごいですよね。触れたものから残留思念を読むなんて、過去やその時の状況とかも分かるんですか?」と斗南。

「ええ、しえはそっちに特化しているのよ。霊を祓う力は弱いから、札や長めに『念唱』も必須だけれどね」


「……なあ、お兄さんはもちろん、豪切氏たちは一体何者なんだ? 気になることだらけだ」

「話せば長くなるし、あまり話すことでもないのだけれど……事が終わったら話すわ」

 斗南はこの時、初めて会った時の桜紗の髪の変化や言っていたことを思いだしたが訊くのをやめた。


 松宮が小さく言う「それなら、意地でも死ねないな」




 ——『念唱』

 これは豪切たちが信じたっとぶ六魂神道における、魂浄化たましいじょうかの念唱である。

 神道にある、祝詞のりとのようなものではあるが、その系統は別のものであり、六魂神道の伝承古語だ。

 桜紗と豪切の使っていた霊能力の強さは、自身の能力に左右されるものの、それだけでも霊を祓うことは出来る。


 その力に念唱を言葉に、つまり言霊にしてつけ加えることで威力を上げることが出来るのだが、全文を唱えなければ完全ではなく、その効力は発する文字列、文字数によって増減する。

 お札はその力をさらに増幅させる物だ。 


『念唱』の全文字数は五千を超える。

 戦いの最中さなか、全文を唱えることは不可能に近い。そのため豪切たちはそれを端折はしょりながら使用している。




 紫桜と加賀島が車に戻った。問題はなかったようで、桜紗も車の荷台にワイヤーカッターを放り投げ、乗り込んだ。

 金網の扉は錆び、硬く閉ざされたままだったが、桜紗は臆することなく「さあ、行くぞ」そう言ってアクセルをゆっくりと踏み込み、体当たりで扉を押し開けた。

 桜紗たちの乗る白いミニバンは傷とへこみでボロボロだったが、溶接された鉄札だけは落ちることなく結界を維持しているようだった。


 すぐに道はなだらかな下り坂になる。

 時間は午後十一時をとうに過ぎていた。斗南が確認した。電波は入らない。外との唯一の連絡手段である携帯電話は機能しない。


 何軒かの廃屋と枯れ始めの木々を横目に坂を下りると以前は田畑だったのか、草木が生い茂り確認は出来ないものの、平らな開けた場所に車を停車させた。

 人のいなくなった村は荒れほうだいなうえ、月は厚い黒雲に隠されているため、草木と生活圏との境界線は分からず周囲も見渡せない。

 車のヘッドライトに照らされ、右手の山側の廃屋とは反対の方にも廃屋であろう影は見えた。


 桜紗は荷台に積み込んだ道具を、全員に手際よく配っていく。

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