恩讐の街

令狐冲三

第1話

 初夏の陽射しが照りつける古い街道を、漆黒の911が走り抜けてゆく。


 一目でそれとわかる個性的な美しい車体が行き過ぎるたびに、道行く人々はかすかな妬みと羨望の眼差しを送るのだった。


 その養護施設の煤けたモルタルの白い建物は、落ち着いたたたずまいを見せているが、周囲の住宅街から隔絶されているようでもあり、どこか寂しさを漂わせてもいた。


 黒い911は、その建物の正門前に停車した。


 助手席のドアが開いて、黒いサングラスをかけた二十代後半ぐらいに見える若者が降り立った。


 モスグリーンのダブルのスーツを着、ゴールドのアクセサリーを身につけている。


 歳に似合わぬ贅沢な身なりをしていた。


 表向きはベンチャー企業の社長という肩書きを持つが、その実、一帯を仕切る暴力団室尾組の若頭で、名を氷室修兵といった。


 ドアを閉めると、修兵は運転席の舎弟、大滝祐二に言った。


「先に組へ戻ってくれ。俺は歩いて行く」


 車が走り去ると、修兵はサングラスを外して上着の胸ポケットへしまい、アーチ型の門をくぐった。


 ここは、修兵が幼年期を過ごした思い出深い孤児院なのである。


 まっすぐに庭へ進むと、年配の婦人が花壇に水を撒いているのが見えた。


 老婆と呼ぶにはまだ若いが、白くなった髪を染めることもなく、自然な印象で、彼女自身の生き方を象徴しているようでもあった。


 亡き夫の跡を継ぎ、院長を務めている奥野愛である。


 修兵の気配を察して振り向くと、穏やかに微笑んだ。


 愛は足早に歩み寄り、修兵の手をとった。


 柔らかく、温かな掌だった。


「よく訪ねてくれたわね。さあ入って」


 八畳ほどの和室へ通された。


 部屋の隅に質素な仏壇があり、亡き夫哲朗の遺影が飾られている。


 修兵は線香をあげ、その遺影に手を合わせた。


 立ち上がって中央の座卓へ移ると、お茶菓子を用意した愛が、座布団を勧めてくれた。


 修兵は礼を言って、向かい合わせに座った。


「ガキどもは学校ですか?」


「そうよ」と、愛は紅茶を入れながら答えた。「ゆっくりして行って。じき帰ると思うから」


「みんな変わりないですか」


「ええ。恵太も悟もめぐみも、次郎も春も、みんな元気よ。特に恵太なんて生意気ざかりで大変。昔のあんたにだんだん似てきたみたい。あの頃のあんたときたら、明けても暮れても喧嘩沙汰ばかりで、そのたびにあたしや哲朗が謝りに行ったっけ」


 愛は目を細め、懐かしそうに笑った。


 実際、少年時代の修兵は、親元でのうのうと暮らしているように見える周囲の子供たちが妬ましく、相手構わず喧嘩を売って歩いた。


 中学生になるともう手がつけられず、傷害で何度か補導されたこともある。


 そして、同じ施設に育った御園優希に想いを寄せている自分に初めて気づいたのもその頃だった。


 誰もが高校へ進学していく中で、敷かれたレールをただ歩いて行くのが嫌で、奥野夫妻のもとを飛び出したのが、16歳の春だった。


 ある時室尾組のチンピラといざこざを起こし、その度胸を買われて先代に拾われた。


 以来十余年、今では二代目の右腕として、文字通り組でも一目置かれる存在になっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る