オタクくん、忍者と決闘する。

梅緒連寸

◆◆◆

 この夜月が出ていれば、障子に飛び散った無数の斑模様が影絵芝居のように畳の上へと写し出されていただろう。静まり返った屋敷を包む夜の闇は濃い血の匂いを伴って揺らぎもせずたたずむ。

 装束の隙間から栗色の髪がわずかに覗く男は濡れた脇差の頭身を厚布で拭い、鞘に納めた。人を殺めた道具はなぜか拭き取ってからの方が強く臭う。顎の下で交差した布を緩めて浅く息を吐いた。

 土足のまま部屋を抜けて裏口の方に回ると、夜目にも目立つ膨らんだ腹を揺らして野暮ったい風態の男が小走りで駆け寄ってきた。


浜万はまどの〜、お待たせして申し訳ありませぬ〜、拙者どうも腹が弱くて」


 いかにも鈍臭そうなこいつと組まされた時点で今日は最初からハズレの仕事だったと、目元涼やかな男は表情に苦みを走らせた。


「オタクくん、マジで毎回なにやってんの?もうとっくに仕事終わったから」

「え、誠にござるか!?浜万どの、流石に仕事が早過ぎますぞ!拙者の出番ゼロでござる……」

「オタクくんがいたところで出番なんか無いよ、たったこれっぽっち回収するだけでよかったんだから。なんで俺がこんな安い仕事やらなくちゃいけないんだか。これちゃんと持って帰ってね」


 浜万は片腕に抱えていた、幾つかをまとめて結びつけた巻物を宙に放った。次いでこの館の主の首も放り投げる。半目で開かれたまま除く眼球はまだ生々しく白っぽい。落下に伴ってまだ生きているかのようにくるりと回転した。


「あー!大事な荷物を投げちゃダメでござるよ!」


 慌てて地面すれすれで受け止め、かろうじて取り落とさずに済んだ事に安堵の色を見せる太った男、その顔が浜万には腹ただしくてしょうがない。奴はなんの働きもしていないくせ、ひと仕事終えたような息をついている。

 男は大袈裟に『荷物』をいったん下ろし、懐から風呂敷を取り出し広げた。なにやらゴチャゴチャした、人の顔のなりそこないを模したような刺繍が布一面に施されている。


「なにそれ」

「『魔導狐娘・玉緒ちゃま』第三巻に出てくる姉キャラの湯雲ちゃまをイメージしたグッズですぞ。グフフ、拙者裁縫は慣れませんが具現化した推しと共にありたかったゆえ、夜なべしたでござる」

「キモすぎるんだけど」


 浜万の辛辣な言葉が堪える様子もなく、オタクは風呂敷で生首と書簡を包んだ。まだ生ぬるさが残る頭部から滲む血が、手製の風呂敷を染めても気にも留めていない。本当に気持ち悪い、浜万の二言目は無意識に押し殺され、誰の耳にも届いていない。

 荷物持ちが出来たおかげで両手が空き身軽になった浜万は雲に覆われ星一つ見えない夜空を見上げた。

 そのまま仰け反りながら喉を震わせ細く高い音を発する。姿が見えなければ誰もが夜鳥の鳴き声だと信じて疑わないその声を合図に、はるか頭上、屋根瓦のへりから飛び去る羽音が応えた。訓練された梟だ。それが指定された場所に向かうことで任務完了の証となるのだった。

 ほんの刹那、白い梟の羽ばたきが夜の暗闇に垣間見えて消えた。あとに残されたのはひと働きを終えた忍と、ろくに働いていない忍の2人だけ。


「しかし今夜は不気味なくらい静かですな」

「下働きの連中も番犬もみんな殺したからね、ここらでいま生きてんの俺とオタクくんだけだよ」


 屋敷に到着して、オタクが席を外し、戻ってくるまで約10分間。浜万は1番初めに屋敷で最も若い小間使いを殺した。この者が見回りや雑多な仕事のために夜更けにもよく屋敷内を行き交っている事は予め調べていた。

 使用人たちが片付いた後はこの家の奉公人の始末に取り掛かった。戦があれば勇ましい武者鎧を羽織り駆ける彼らと正面からやり合うのは、手練の忍であっても出来れならば避けたい。幸いな事にこの夜は誰しもが深い眠りに誘われるような、月のない夜。眠りのうちにあっては誰しもが赤子同然で、柔らかい首筋はまるで自ら受け入れるかのように刃を飲み込んだ。

 最後にこの屋敷の主人のもとへと向かった。

運がいいのか悪いのか、この日奥方と子供は里帰りをしており不在にしていた。そこそこ裕福な家の当主にしては妾を持っていないという前情報通り、独寝のまま締め切られた部屋の中へと浜万は夜這うが如く滑り込んだ。そのまま布団の中で努める仕事もないわけではないが、今日の目当ては首だ。歩みを止める事もなくそのまま刃を振り下ろし、断末の言葉もなく迎えた終わりはこれまで入念に邪魔立てされぬ様根回しした割に呆気なく、物足りなさすら覚えさせた。


 細かな経緯を聞いたオタクの顔は強張っていた。言葉を探すように何度か口ごもり、ただでさえ四六時中滲んでいる汗を殊更に垂れ流し、やがて意を決したように声を上げる。


「拙者……今日獲ってくる必要があったのは首ひとつと聞いておりましたが」

「オタクくん、仕事の追加項目ちゃんと確認した?してないならマジで怠慢だから殺すよ?書簡の奪取とこのオッサンの殺害は最低要件だよ。出来るだけ野盗の仕業っぽくしたいから事は大きくしろっていうのが、最終的な依頼主の御希望だったろ」

「……その希望、沿う必要がありましたか?それこそ浜万どのの器量なら、如何様にも済ませられた話ではござらんか?」

「ロクに働きもしない癖にぬるい事ばっか言うね」


 苛立ちが込み上げ自制のタガが段々と緩み始めているに気付いた浜万は、覆われた口布の下でゆっくりと深呼吸をした。大丈夫、まだ軽口を叩く事はできる。浜万は心から激怒した時には言葉を無くす男だった。しかしそれをここで認めれば、この穀潰しで役立たずの男の言葉にムキになった事になる。


「だったらさあ、オタクくんが最初からやればよかったんじゃない?でもオタクくん下痢ばっかしてるから無理か。なんで任務の度に腹壊してんの?ストレス?やりたくないの?じゃあ仕事辞めたら?里抜けまではしなくても、裏方の仕事なんかいくらでもあるし最低限やってればオタクくんの好きな御伽草子だの絵巻ぐらいはじっくり楽しめるだろ。いや、ホントそっちの方が余程いいと思うよ。忍の恥晒しのくせによく俺と対等に口を利けるよね」

「……拙者の適性は、今どうでもいいでござろう。仕事を与えられるうちはやるだけでござる。……あと前から気になっていたのでござるが、なんですか?その拙者のことをオタクというのは」

「あー、オタクっていうのはさ。世間じゃお前みたいに気持ち悪い事ばっかりして、存在が鬱陶しい事のやつをいうんだって。だからだよ。どうせお前は〝名無し〟なんだし、良いだろ?ぴったりで」


 里の幹部にも認められた正式な名前を持つことが許されているのは、忍の中でもごく少数の優秀な者ばかりだった。浜万はオタクを含めた同輩たちだけでなく、歴戦の忍と比べても抜きんでた暗殺の才能と任務遂行への執着を見せており、それ故に若くして名を与えられる事となった。

 名を持たざる者は任務の度に適当な番号を割り振られたり、もしくは外見上の特徴を指して適当に呼び付けられたりといった様子で特に困る事もなく暮らしている。困る事はないが、名を与えられる事は彼らにとって大きな誉れとして考えられている。

 浜万にはそれがあまりにもくだらなくて、馬鹿らしかった。

 持たない者たちが憧れたこの名に大した意味は含まれておらず、元々あらかじめ用意された巻物に記されたうち、まだ当世での襲名がないものを割り当てられただけという事を浜万は知っていた。名前ひとつ与えられたところで、1人の忍には特別な価値も意味もない。

 名前なんかどうだってよかった。だからいつだって手放してもよかったが、目障りな人間をおちょくる道具として使えるところだけは悪くないと思っていた。



 夜空を煌々と照らす火柱に焦がされ、かろうじて残っていた館の柱が轟音を立てて崩れ落ちた。

 壁も床も柱も、使い込んだ家具も、大切に仕舞われた着物も、すべてを薪にして燃え盛る民家の数々。その隙間を縫うように浜万は歩いていた。

久方ぶりに大きな戦が諸国で起こった。人と人、家と家、国と国が争い、いずれかが負けて逃れてゆく。その後を追い、要人を排除して戦略を削ぐのが浜万に与えられた任務だった。

少しでも追っ手からの目を掻い潜るためか、みすみす敵方に渡すのが惜しい為か、彼らの館は皆残らず焼き捨てられ、その炎が近隣の街へと移る惨事が各地で起こっていた。

逃げられる者はあらかた逃げ尽くしたようで、つい数刻前までは騒がしかった喧騒も今はずっと遠い。

人気も無くなったこの場所に留まる理由もなく、今すぐにでも追っ手にかかるべきだった。しかし。

前方に大きな人影があった。相撲取りとまではいかないものの、横にやたらと大きいその人影には嫌になる程見覚えがある。女の肢体よりなお細いと揶揄された体つきの浜万の行手を遮るには十分に過ぎるほどだった。


「オタクくん、なんか用?俺は仕事で忙しいんだけど。逃げた領主様の首を持って帰らないといけないんだから」

「浜万どの。あれじゃ野盗の仕業には到底見えないでござるよ。誰も犯されてないし殺し方も綺麗すぎる。本当に汚い仕事が出来ないのは致命的でござるな」


夜にも眩しい炎を背に立つオタクの顔は影が差し真っ暗で見えない。いつもはうるさい呼吸の音が今日は聞こえない事に浜万は気付いた。それどころか、姿が正面にあっても蜃気楼を目の当たりにしているような錯覚を覚えるほど気配なく佇んでいる。

殺意を全く感じさせない自然な立ち姿のくせ、その片手にはしかと光る獲物が握られている。いつ始まってもおかしくないと直感した。


「ふーん、じゃあオタクくんも今日こそはちゃんと働くって訳。こないだの件が関わってるって事は、依頼人は奥さんとか?」

「拙者は預かり知らんなあ」

「まあ何でもいいけど、大丈夫?トイレ行っとかないで」

「お優しいこと。拙者の心配はご無用でござる」

「俺はオタクくんの腹ん中の汚いもんがぶち撒けられるのが嫌なんだけど」


 金と正式な依頼の手続きさえあれば、忍は身内ですら殺し合う。情に流される事はなく、ただそれぞれの仕事だという理由で朝に笑い合った仲間を夜に滅多刺しにする。彼らが必要とされ、忌むべき存在とされる最も大きな理由がここにあった。

 忍同士の殺し合いは常人から見ればわずか刹那の内に終わる。2人の戦いもまた同様、寒緋桜の花が風に揺らされて萼ごと地面に落ちるまでの束の間に決着が付いた。

 ふっ、と吹いた風がぶつかりあったかのような一瞬の間、実に百を超えた斬り合い組み合いの応酬があった。高く飛んですれ違い、ほぼ同時に2人は が着地する。

 低く構えた姿勢のまま浜万は振り返った。己の刃がオタクに届いたかどうかをこの目で見たかった。普段ならちょっとしたことでふうふうひいひいと肩で息をつくオタクは身じろぎもせずに背中を見せたままだ。

 鋼の像を相手にしているようだった。傷ひとつすら付けることもならなかった。


「クソが」


 一呼吸後、浜万の左肩から心臓を横切って鳩尾までの直線までを割いた傷口から血が噴き出す。かつて負った手傷を全て合算したとしてもここまでの見事な袈裟斬りには及びはしない。明らかな致命傷。己の顔に振り返ったことで、自分の血が熱く煮えたぎっていた事を知った。

 こうなる前から浜万は薄々気が付いていた。正確には、気付いていたということを、今になってようやく認めた。

 この男が今まで実力を見せたことなど1度も無い。子供の頃から共に訓練してきた同輩たちにも、誰ひとりとして本当の力を見せていない。

 見せるまでもなかったのだ。

 自分たちと同じように他所から売られてきた子供が、訓練の最中で片っ端から次々と死体になっていく時も。

 山に放られ、灯ひとつ見えない暗闇の中で手当たり次第に土を弄り、見つけた虫を食って飢えを凌いでいた時も。

 忍の派閥同士の小競り合いが拗れた末、同じ里に住む者同士で殺しあい、小銭の褒賞を受け取った時も。

 この男はずっと無能の振る舞いをして、誰よりも忍らしく爪を隠していた。今になってみれば合点がいく。なぜロクに任務に参加しない癖に、次々と仕事に取り付けられるのか。この男は監督役だったということだ。組んだもう片方の者を監視するため。或いは使う価値を見極めるため。或いは、不要になった者を判断するために。自分はどうだったのだろう。あの男の目には、よく吠える犬のようにしか映っていなかっただろうか。

己の末期が見えてから浜万の心に押し寄せるのは悔しさの感情ばかりだった。何でもいいからこいつを始末しておけばよかった。真正面から戦って敵わないのならば不意打ちでもいい。とにかくこの男の存在を行動から否定するべきであったと。

悔しい。どうしてそれが出来なかったのか。どうして敵わないかもしれないと無意識に思っていたのか。悔しい。自分が足元にも及ばない存在が、よりにもよってこの男だとは。

大量の出血により意識が朦朧とし始めた浜万の脳裏に断片的に幼い頃の光景が蘇った。走馬灯など面白みもないと否定したいのだが、目の前が朦朧としてきた浜万の前に立ち尽くすオタクがどうしても初めて出会った頃の子供の姿に見えてしまう。

あの頃ならば差はなかったのか。それとも既に超えることの叶わない差があったのか。もっと自分に何か欠けているものがあったのならば、それを埋められていたのなら、何かが違っていたのか。


最初からあの男には。

お前には、名前なんかいらなかった。


「………オタクくんさあ……」


 浜万は、せめて何かひとこと残して、その言葉で少しでも傷つけてやりたいと思った。

 けれど次の言葉の前に喉奥から溢れ出る自分の血で溺れ、後には続かなかった。
















 暗闇。

 前後もなければ上下もない。漂う身体すら存在しない。時間の感覚すらない、ただそこにある暗闇。

 それがだんだんと薄まり、白けていく。一筋、切り裂かれたかのように光が走る。


「浜万どの、お久しぶりでござるね!」

「…………は?」


 嫌というほど耳にした呑気な声に反射的に口をついて出た言葉にはそぐわず、目が開けた瞬間に浜万はなぜ今自分がここにいるのかしっかりと理解していた。答えは一つしかなかったからだ。理解できなかったのは、その背景だった。


「オタクくん、おま、お前………なにしてんの?なんで……禁呪使ってんの?」

「おっ、さすがは浜万どの!ついさっきまで干からびた死体だったにしては、頭の回転が早いでござるねえ」


 目の前に広がるのは、自分の周りを取り囲むように床いっぱい緻密に書き込まれた経文。どす黒い筆跡はその文字が全て書いた者の血で書かれている事を示している。話には聞いているがまさか本当に成功するとは信じていなかった死者蘇生の術。誰しもが蘇られるわけではなく、死者側にもある程度の忍術を使いこなす技量が必要となる。かつては蘇られせたものを死忍しにんと呼び、棟梁の身を守る兵として使われていたと聞く。

にわかに信じがたいような話だが、自分自身の身で感じている事が何よりも確かな証明となってしまう。

さっきから体全体の皮膚に擦れて不愉快に纏わりつく、かさかさに乾いた着物は死者が埋葬時に着せられるもの。

少しぎこちなく動く手足に違和感はあるが、確かに自分のものではある。目の前で開閉する手のひらの色は灰色がかった色味をしている。


「あ、肌の色は一晩か二晩したらもうちょっと良くなるらしいでござるよ。拙者の生気を分けて回しているので、それが馴染むのにちょっと時間がかかるそうで。この『禁呪・大解説』に書いてあったでござる」

「いやいやいや、おかしいだろ普通に考えて。何で自分で殺した奴を自分で蘇生させてんの」 

「浜万どの〜、聞いてほしいでござる。拙者もうねー、全部嫌になっちゃった」

「ハァ?」

「拙者は里の長たちがやれというからやってきたのにどんどん忍の頭数は減る一方でなのに世の中は働き手をどこでも欲しがってるから子供の数も昔ほど余ってないしその割に受ける任務の数も減らないしちょっと後進が育ったかと思ったら意味不明な理由で始末させられるし現場は育成の余力も残してない癖に即戦力志向が永遠に変わらないから拙者はいつもいつもクソ忙しくて夜布団で寝られる日なんか月のうち片手で数えるほどしかなくて飯もまずいというか味がどれも変わらないし今期幻燈も週間絵巻飛翔も月刊夕暮も巨大劇画魂も全然追えていないでござる修羅でござる地獄でござる生きる喜びがないでござる」

「ヤダもうなんかキモいキモいキモいほんとやめてその捲し立てるやつ。やめられないなら死んで」


早口で捲し立てるオタクのテンションは相変わらずだが、確かによく見ると調子が良くなさそうだ。痩せてはいないが顔色に艶が足りない。全体的にしおしおと萎れたようなくすんだ色味となっている。


「それはそうとして、だから何でこんな事してんの。これさあ普通、つがいの片割れがやるやつでしょ。何てことしてくれんの。他の奴らは皆、俺たちのことそういう奴らだと見てくるんだぜ」

「浜万どの、他の忍のことなんてどうでもいいって昔はよく言ってたじゃないでござるか?」

 確かに、そんなような記憶はある。言ってはいたが、それも時と場合による。


「もうねー、拙者ウンザリでござる。忍以外の道で生きていけないにしても、泥舟に乗ったまま沈むぐらいなら溺れた方がマシでござる。これからはもう誰の言うことも聞かないでござるよ。この国もいつのまにか外国との国交が始まっておるのだし、拙者と浜万どのは新しい時代の忍になるでござる。いうならば新日本忍者に」

「新日本忍者」

「悪い奴らはみーんな仕置きでござる!」


 ドゥフドゥフと気味の悪い笑い方をするオタクの顔が至近距離にあっても、浜万は離れることができない。死忍として甦らされると影のように術をかけた本人に貼り付けられ、四六時中その者に付きまとう事となる。自分の身体を袈裟懸けに斬られた時の痛みはしっかりと覚えている。その傷を与えた本人と、これからずっとつがいの鳥よりも近く寄り添い続けなければならない。眩暈がしそうな浜万をよそに笑い続けるオタクからしまいには唾が飛んできたので我慢の限界を迎え、たっぷりと肉のついた顔面に拳を入れる。すると即座に自分の視界にも火花が走った。


「もー、痛いでござるね!ところで死忍が術者に与えたダメージはみんな死忍にも返ってくるでござるよ。浜万どのも『禁呪・大解説』に目を通された方がよいかと」

「もう痛覚の方は殆ど働いてないみたいでさ、だからダメージつっても多少の振動ぐらいなんだけど」

「マジでござるか。これは加筆案件でござるね」

「つまり、オタクくんは里抜けしたくて、でもその後の話し相手が欲しくて、わざわざ人生で一回しか使えず寿命も半分は削ってくる禁呪を使ったってこと?」

「左様!」


浜万はもう一度死にたくなってきた。こんなどうしようもない男に実力で敵わず、死に際に青臭い事ばかりを考えてしまった。死にたい。いや、その前にせめてこいつは殺したい。


「浜万どのに拒否されたらどうしようもないで御座るが、多分浜万どのはチャンスがあったら絶対逃さないと思いましてな」

「何のチャンスだよ……」

「拙者を殺すチャンス」


浜万は抱え込んだ頭を上げた。先ほど殴られたオタクは鼻血を出しながらニヤニヤと喜色満面の笑みを浮かべている。心底気持ち悪く、浜万の冷えた体に怖気が走る。それはまるで小さな火種に与えられた燃料のようでもあり、だんだんと苛立ちや怒りに変わっていく。まるで人を動かす燃料のようでもあった。


「死忍である以上相討ちになる事は免れられないでござるが、まあ多分浜万どのはそんな事気にしないでしょ?拙者も当分はやられないとは思いますが」

「何で俺のことちょっとわかった感出してんの?人の事殺して蘇生した挙句に距離縮まったふうにしないでくれる、マジで非常識だから」

「ねぇ〜〜浜万どのそんな事言わず〜〜。せっかく唯一の同世代なのだから〜〜」


甘えるように身を寄せるオタクを全力で蹴り飛ばしながら浜万は、しかしこれは確かに自分にとっての好機であると思っていた。

最後に敗けた事以外での未練はほぼ無いに等しい。相討ちであってもオタクを地獄に堕とせるのなら全く構わない。しかし真っ向からの戦いではおそらく敵わない。いつの日かこの男にとっての心残りが多く残るようなタイミングを見計らって不意打ちを仕掛けてやろうと浜万は心に決めた。それは幼少より荒くれた性分を持つ浜万が久しぶりに得た慰めにも似た感触であったが、それもオタクが半強制的に『魔導狐娘・玉緒ちゃま』全十五巻・外伝二巻を読み聞かせ始めるまでの事であった。


2人が騒ぐ場所からしばらく離れたところ。

新雪よりも白い羽を広げた梟はあてどなく空を滑るように舞っていたが、やがて似たかたちの連れ合いを視界に認め、共に何処かへと飛び去った。



汚らわしくも大きく卓越したもの。

風に聞く噂からそのような意味合いを込めて、人々はその男をオタクと呼び、酒の肴の与太話として語り続けた。忍者が滅び去った最後の日も遥か遠くに過ぎた時代にあっては実在が疑われる人物となり、当時その男が誰にどう呼ばれていたのか、定かではないとのこと。


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オタクくん、忍者と決闘する。 梅緒連寸 @violence_

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