視線

 周りを。教室内を見回す。

 ああ、そういえば、いつも、あいつは。

 目が合った。今、この瞬間に誰よりもこの場にいてほしくない人物だった。いつも、なぜか放課後の教室にたむろして、漫画だかアニメだかの話を同じような仲間とうだうだと繰り広げている、おれの大嫌いな男。

 南川のぼんやりとした目が、おれの視線に気づいてぬるりと逃げた。普段目が合ったときよりも、随分と緩慢な動きに見えた。気のせいかも知れない。気のせいなのだと思いたい。思いたいということは、つまり気のせいなんかではないのだと、半ば確信しているのだろう。

 聞かれていた。見られていた。これは、弱みだ。だから南川は、おれと目が合っても慌てなかったのだ。

 ああ、なんて憎らしいんだろう。

 頭の中で、何かが暴れるような気配がした。これまで南川に向けたことのない、向けることもあり得ないと思っていた感情が、頭に、指先に、つま先に溜まっていく。

 なんだ、あの態度は。今まではいちいちおれの一挙手一投足にびびって、逃げるように隠れるようにしておれのことを苛つかせていたくせに。弱みを握った途端に、あんな舐めた態度を取りやがって。

 こちらの視線に気づいたのか、ただならない気配を察したのか、丸顔が再びこちらに向いた。あの顔を向けられて喜びが込み上げてくるだなんて、初めてのことだった。おれはこれまでにしたことがないほどの機嫌の悪そうな顔を作って、腹の奥から笑いが漏れ出そうになるのをこらえながら、黒豆のような小さな目を睨みつけた。

 南川は、目をそらした。

 おれの視線にびびって慌てるはずだった南川は、なんだか面倒くさそうに、ゆっくりと、じっとりと目をそらしただけだった。それでようやく、おれは冷静になれた。

 悔しい。何やら楽しそうにおれの知らない世界の話題に花を咲かせる丸い横顔が、無慈悲に敗北感を突き付けてくる。

 あいつの態度に対して悔しがっているんじゃない。

 自分自身が、ほんの一瞬でもあいつをびびらせてやろうと思ってしまったことが、悔しくて悔しくてたまらない。

 おれはこれまでに一度だってあの男をびびらせてやろうとも、いじめてやろうとも思ったことなんかないのに、いつもあっちが勝手にこそこそと逃げるように避けるように振舞っていた。それが、憎らしくて苛立たしかったはずなのに。

 それなのに今は、南川の思っている通りの人間になってしまっている。こんな、屈辱的なことがあるだろうか。

 机に置きっぱなしのカバンを引っ掴んだ。自然と乱暴な持ち上げかたになっていたのか、机がずれてがらがらと大声で鳴いた。直す気にもなれずにそのまま教室を後にする。見下していたはずの目に、終始冷視されているような気がした。

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