返事は

 いつの間にか、教室は静かだった。淡く、夕陽と呼ぶにはまだ青い光が、窓側の机に白く反射している。矢野はどういうわけだか何も言わなくて、それはもしかしたら、おれの下心が見られてしまっているせいなのかも知れない。

 一応、いろいろと言葉を選んだつもりだった。一瞬のうちに「どうせなら」を「せっかくだから」に言い換える配慮ができたという事実に、自分のことながらおれは酔ってしまっていた。だけどその自己陶酔が冷め始めてしまうほどには、矢野の無言は長い。

 そんな気がした。

「矢野は、おれが」

 耐えきれなくなって声を発した瞬間に、屈託のない矢野の笑顔が見えた。彼女の口が何か、おれの想像の範疇にあるのであろう言葉を紡ぎかけたのを悟って、おれはどうしようもなく後悔した。

 その時にはもう、おれの頭は宙に浮いて、身体の、言葉の操作権を失ってしまっているようだった。

「大原と仲良くなってほしいって思ってるんだろうけどさ、おれは矢野の方がぜんぜん、良いと思うし、だから、何て言うかさ」

「ちょっと待った。待って」

 言われた通りに黙ったのは、矢野らしくない細い声に戸惑ったからだった。カバンの肩紐を握ったまま俯く姿は、ほんの数分、いや数秒前に比べて信じられないほどに細い。

「それって、つまり、何?」

 答えの分かり切った質問に、答えられない。そういうこと? と続けざまに尋ねられて、おれは無言で肯定した。

「ええっと、あたしさあ、そういうのあんまり慣れてなくって……だから、そういうことなら――そういう返事なら、ちょっと、待っててくれないかな」

「わかった」

 どうしてそう応えてしまったのか、自分のことながら理解ができない。ここまでのやり取りを矢野の勘違いだったことにしようとすれば、まだなんとかごまかせたような気がしなくもない。ありがとう、と一歩下がるその姿は、なんだか更に細くなってしまったように見える。

「じゃあ」

 明日ね。細い背中が教室から去っていく。ああ、と身のない挨拶のようなものを上ずった声で返した。何が明日、なのか。

 さっきの、告白の返事か。

 いや、そもそも、告白なんてしたのだろうか。

 一言だって、好きだとも付き合ってくれだとも言っていないじゃないか、おれは。

 本当に、今のは恋心の告白になっていたのだろうか。そう聞こえたのだろうか。矢野には、他人には、周りには本当にそう聞こえるような言い方だったというのだろうか。

 周り。頭の中に浮かんだ言葉に、はっとした。ぞっとした。

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