望み通り

「あれっ。北沢さん何してるの」

 三人のアニメ好きとは違う声。見ると、いかにも華奢そうなお下げのクラスメートが廊下から顔を覗かせている。彼女は私と目が合うと、南川くんたちに遠慮するようにただでさえ小柄な身を低くしながら教室へ入ってきた。

「ええっと、帰りの支度」

 そうなんだあ。五人だけの教室に、遠慮のない声が響く。各務原さんは、小さくて大人しそうな外見とは裏腹に声が大きい、そんなキャラクターだ。

 私の席の前までやってきた各務原さんがやはり大きな声でねえねえと言うと、男子三人組はそれに弾かれるようにして、じゃあまたなー、と立ち去った。

「あー、行っちゃった。邪魔しちゃったかな?」

 少し抑えた声。大丈夫だよと返すと、そっかあ、という能天気そうな声が再び教室を震わせた。

「でさー、北沢さん、ちょっと用があるんだけどさあ」

 そこまで言って、各務原さんは何かを思い出したように手を打つ。

「そういえば北沢さんと話すの、初じゃない? これは記念日だよ、北沢さん記念日。これから仲良くしようね、北沢さん」

「あ、うん」

 どう反応すればよいのか分からなくて素っ気ない返事をすると、各務原さんは分かりやすくむくれた。

「あー、そういえば、それは今は置いといて、本題ね」

 各務原さんは私の机に手を置いて、こちらを見下ろすようにした。声の大きさだけではない賑やかさに、この教室に私と彼女の二人しかいないのだということを忘れてしまいそうになる。

「北沢さんって部活やってないよね」

「うん」

「忙しいの?」

「ううん」

「だったら、今からベイバン行かない? あられシェイク食べようよ」

「あられシェイク?」

 耳慣れないコラボレーションを思わず復唱してしまうと、各務原さんはなぜか得意げな顔になって、期間限定のチャレンジ商品だよー、と囁くように言った。

 ベイバンか。見慣れた店構えを頭の中に浮かべると、気持ちが急に浮ついてくる。ベイカーズバンズ、略してベイバンは全国チェーンのハンバーガーショップである。各務原さんが言っているのは、駅前のお店のことだろう。

 友達と学校帰りにファーストフード店に寄る。そんな些細な、ほとんど諦めていた高校生活の一幕が、とうとう現実になるのだ。

「新しい味を試したくってさ、部活ない子誘ってるんだよね。他にも何人かいるんだけど、来る?」

 各務原さんはちょっとだけ顔を近づけて、くりくりとした双眸で人懐っこそうに言った。私は少し考えるふりをした後、うんいいよ、と涼しげに微笑みかける。

 本当はすぐにでも二つ返事で駆け出したかったのだけれど、そんな態度をとることはなんだか恥ずかしかったのだ。

「すぐ済ませるから、待ってて」

 なかなか進まずにいた帰り支度をいつになくてきぱきとこなしながら、全身がほかほかと高揚するのを感じていた。

 世界が、変わった。間違いなく。

 もう、昨日の相談室で感じていたような胡散臭さや恐怖は、思い出そうとすることさえ難しそうに感じられた。

 お守りに、おまじないに効果があるのか、それともただの偶然なのか。そんなことにすら興味を抱く余裕もないほど、私の関心は一人ぼっちではない未来に向けられている。

 どういうことだか分からないけれど、世界が変わってくれたのだ。それも、私に都合の良いように。

 今、私の望んだ世界がここにある。それが全てで、だから、それで良い。


 こうして私は、私の思うところの「一般的な学校生活」を手に入れた。



第二話 おわり

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