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「変わった方がいいんじゃないかな。おれは、変わる人生が見てみたい。だって、先生だと変わらないから」
彼の言葉が鳴り響く。
私は、彼の言葉にどこまでついていくつもりだろうか。
気が付くと、私は高校時代の制服を着ていた。スカートは膝が隠れるくらいで、髪は長くなっていた。
そこには青空が広がり、草が生い茂っていた。
そして、私の目の前には彼の後ろ姿が見えていた。
永遠についていってみたいと思った背中。
彼と話したいと数回誘うようになり、私は彼と約束をした日、彼の受け持っている教室の前で彼の掃除が終わるまで、無機化学の暗記をしながら待っていた。
彼は特に手伝う必要もないのに、生徒の中に混じって掃除を手伝っていた。彼が私の副担任だったころは、そのような彼を見ることがなかったので、見ているだけで微笑ましかった。
掃除が終わり、彼が教室から出てくると、私はスマホをしまい、彼の方へ歩いていく。
彼は私を発見すると、何も言わず、私と目を合わせ、いつも話している職員室前へと私を導いていく。
私は彼の後を追い、しばらく廊下を進む。
彼はときどき後ろを振り返って私を確認し、私はマスク越しに笑っているのが悟られないといいな、でもばれてるだろうな、ばれてもいいやと思いながら、彼の背中を見つめる。
私はしあわせだった。
「北添先生……?」私は失ったものを埋め合わせるかのように、彼の名前を呼ぶ。
彼が何かに気付いたかのように振り返り、私の方を向く。
彼と話し込むようになってから、彼は私が彼に気づいていないときでさえも、目にすれば私に声をかけていた。私は、彼がそのように私の日常に存在したのがとても嬉しかった。
彼の眼鏡、彼の瞳、彼の髪、彼の顔立ち、彼の少し高い身長、彼の骨格……
それは私が推しているアイドルがステージで見せる、他人によって整えられた華やかな美しさとは違うが、美しく、そしていとしく感じられる。
私の髪が風に揺られ、少しゆらゆらとなびく。
「……話したかった。でも、これは夢でしょう?」私は視界を潤ませな がら話した。
「分からんよ。夢じゃないかもしれんじゃん」彼は答えた。
その瞳には闇と光を通り越し、どこか、北側大学が映りこんでいた。
私は泣きたかった。
私がずっと考えていたことで、でも彼にとっては唐突に聞こえるような言葉を投げつける。
「どっかの誰かのせいにしたくなるような私の高校生活を正当化してよ、他の誰でもない先生の言葉で私を救ってよ」
「それはさあ、……おれが言うことはきっと美南が心のどこかで思っていることなんじゃないのか? それを『北添先生が言ったから』って美南の中でなるだけで。……本当に自分を救えるのは、自分だけだよ」
彼の声が聞こえる。温かく、時には厳しく優しい彼の声……。いとしい彼の声……。
「おとうさま……。」私の中で言葉にならない想いが、浮かんでは消えていく。私は彼から離れられないんじゃない。離れたくないだけだ。
「おとうさま、私、もっとお勉強するわ……」私は彼に向ける言葉を探し、微かな声を響かせるようにつぶやく。
「陰ながら応援しているよ」彼が話す。
涙が少しずつ引いていき、彼の表情をうかがうと、その眼差しは微笑んだようだった。
了
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