玉川心中

キヒ・ロフン

第1話 

 比較的都心に近いエリアで暮らしていたが、何となく息苦しさを感じてきたので、同じ区内の数km西側へと移動した。(引っ越した。)

 元住んでいたエリアも武蔵野の範疇であったが、現在の方がたかが数kmとはいえ、目につく緑も豊かで、遥かに「武蔵野」を感じる。

 

 玉川上水が近くなり、上水沿いを自転車で自宅から更に西へと向かう。行きつけの喫茶店に行く為だ。以前は井の頭公園内を抜け、御殿山を通り過ぎ、その喫茶店に通っていたが、井の頭公園内は休日など人が多く、また公園を抜けた御殿山は自動車が多く、気を遣う事が多いので、最近は少し遠回りであるが玉川上水ルートを使っていた。

 そんな玉川上水ルートを走りながら、フと思い出した。

「そう言えばダザイが入水したのってどの辺だったかな?」

 何年か前、地図上で確認したのだが、何処だったかは忘れてしまった。三鷹駅より東側であったのは覚えている。

 結局「ま、いいや、後でまた調べよう」と敢えて探す事はしなかった。


 ダザイの入水ポイントをネットで調べてみると、何度も通過している道路上に石碑がある事を知った。

「こんなの気付かなかったなぁ」

 己の不明を恥じたりはしなかったが、今まで気付かなかったは自分でも意外だ。

「感じるモノがあっても良さそうだがな」


 改めて、ダザイ入水ポイント確認の為自転車を走らせた。 

 やはり何度も通過している道路の歩道上に小さな石碑を確認した。

「確かにこれじゃ、気が付かんな、石碑がここにあると言う事は、その脇の玉川上水が入水ポイントか」

 フェンス越しに上水を覗き込む、両岸は木が鬱蒼と茂っていて川底は暗く、水はほとんど見えない。

 ダザイ入水時の現場写真を見た事がある。現在いまとは違い、両岸は開けていて、直線的な川の流れは水量が多く、深く傾斜のキツイ護岸は何かアリジゴクの巣を思わせた。

 現在いまでは当時のイメージは全く無い。


 身を乗り出して川底を窺っていると、身体が勝手にフェンスを越えようとしていた。

「オット、危ない危ない」

 自殺者の意識はいつまでもその場に留まって、生者を引込もうとしている。

「ダザイかな?トミエはあまり感じない」


 軽い眩暈を感じた。前屈みにフェンスにもたれて身体を支えた。


 辺りの景色から色が消えた。モノクロームの世界。身体を支えていたフェンスが無い、鬱蒼と茂っていた木は背の低い雑草に代わり。よく見えなかった川底は大量の水がゴウゴウと速く流れていた。


「ひぃぃ、御免、御免、お、俺はまだ死にたくない」

 男が護岸を転げ落ちながら叫んでいる。

「これは、俺か?」

 俺の意識はその男に変わっていた。

 強烈な草の匂い、うつ伏せになって何とか川へ落ちない様に踏ん張ろうとするが、雨上がりの濡れた草は滑り、その草を掴んでも泥濘んだ土上の草は根ごと抜けてしまう。

 護岸に爪を立てる、爪の間に土が入ってくる。口の中にも泥が飛び込んでくる。

それでも身体は護岸を滑り落ちる。

「何でこんなに身体が重いんだ」

 足元に目をやると、女が足にしがみ付いていた。

「ト、トミエ」

ゴボゴボッ

 水の音、息が苦しい。肺に空気を送り込もうと思い切り息を吸うが、口から入ってくるのは水だ。肺に水が満たされる。やっと意識が遠のいて楽になってきた。


 ハッとして気が付くと、フェンスに身を任せて立ち尽くしていた。辺りの景色はいつも通りの玉川上水で、よく見えない僅かな水は鬱蒼とした木々に覆われていた。


 ダザイの入水現場は、ダザイがかなり抵抗した跡が残されていたと言う。

 イブセは言った。

「ダザイもあんな女に引っ掛からなければ、もっと長生き出来たろう」


 しかし乍ら、嫌々とは言え、遺書まで残して心中したのだ。

 愛が無ければ出来ぬ所業である。


 寂しがりのダザイは現在いまでも誰かを呼んでいる。

 しかし、玉川上水の水はチョロチョロと入水しようにも出来ぬ流れでしかない。


 



 

 

 

 

 

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玉川心中 キヒ・ロフン @suesun

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