懐かしい面影
アレンの滞在している客室に向かって歩き出した私は、白ネコのぬいぐるみをギュッと抱き締めながら、深いため息を吐いた。
愛らしさを極めるためにと、ミア達に無理矢理に持たされたものだったけれど、思いがけずに役に立った。もふもふとした滑らかな手触りは、少しだけ私の緊張を解してくれたから。
ふと視界に入った窓ガラスには、ビスクドールのように愛らしい格好をしたエリンが映っていた。
緊張して強張っているエリンの顔に向かって、そっと手を伸ばす。
……心に傷ができる前のエリンは、純粋で優しい子供だった。あの時のエリンだったならば、アレンを癒やすことができたかもしれない。――では、今は
襲撃者によって、大切な家族と使用人、生まれ育った家を失くしてしまったアレンに、どんな言葉を掛ければ良いのだろうか。
青葉もエリンも両親を失くしてはいるが、アレンとは状況が違う。
窓ガラスに映るエリンの額に、コツンと額を付けた。額から伝わる冷たさは、ほんの一瞬だけ頭の中を空っぽにしてくれたが、その冷たさを感じなくなる頃には、またモヤモヤとした気持ちが頭の中でいっぱいになっていた。
聖なる乙女のリーリエにできないことが、自分にできるとは思えない。
はっきり言えば不安しかない。……アレンに会うのが怖い。
自分で決めたことなのに、どうしてこんなにも弱気になるのか。
「……お兄ちゃん」
ふと思い浮かんだ顔は、クソあたおかヤンデレなんかではない。
前世の――優しかった青葉のお兄ちゃんの顔だ。
いつも優しくて、頼もしくて、妹思いだったお兄ちゃんに無性に会いたい。
「また無力な子供に戻っちゃったよ……」
今の私は、お兄ちゃんに守られてばかりで何もできなかったあの時の私と同じだ。
「……どうしたの?」
涙が頰を伝ったのと同時に、後ろから声を掛けられた。声を掛けられるなんて思わなかった私は、ギクリと身体を強張らせた。
「ねえ、泣いているの?」
私を気遣うような優しい声は、聞き覚えのない声だったけれど……どこか懐かしい感じがした。
恐る恐る後ろを振り返った私は、その声の主を視界に捉えた瞬間に、瞳を大きく見開いて固まった。
「……お、おにい……ちゃん?」
頭の中が真っ白になった。
心臓がバクバクと激しく鼓動している。
髪の色も瞳の色も、見慣れたその顔も全部お兄ちゃんそのものだった。
お兄ちゃんがこんな所にいるはずないと、頭の中では分かっているはずなのに、会いたかった気持ちが大きくなりすぎて、止められない。
「お兄ちゃん!」
……ずっと、ずっと、会いたかった!
ブワッと溢れた涙と一緒に、衝動的に駆け出した私は、二度と離すまいとギュッと強く抱き着いた。
これが夢だというなら、いつまでも醒めないでいて。
戸惑いがちに私の頭に触れた大きな手が、何度も優しく頭を撫でてくれる。
「……会いたかったよ」
更にギュッと抱き着くと、
「ごめん……」
困ったような声で謝られた。
「……どうして、謝るの……?」
ボロボロと溢れる涙を拭うことも忘れて、呆然とお兄ちゃんを見上げる。
「僕には記憶が無い。だから君のことが分からないけど、きっと僕は君の『お兄ちゃん』ではないと思うんだ。僕の家族はもう誰もいないそうだから……」
辛そうに眉を寄せたその人は、悲しそうに微笑みながら、私の涙を指で拭ってくれた。
――記憶が無いということは。
この人が『アレン・ディアーズ』。
こんなにも似ているのに?
「も、申し訳ありません……。ディアーズ卿だと知らずにご無礼を働きました」
アレンから離れた私は、グイッと強引に両目の涙を拭うと、カーテシーをした。
頭の中がグチャグチャだ。
お兄ちゃんだと思った人が、実はお兄ちゃんじゃなくて、アレンだったとか……意味が分からない。
……それよりも、アレンをお兄ちゃんと間違えてしまうだなんて……最悪だわ。
「今日はこれにて失礼させていただきます」
ペコリと頭を下げた私は、また泣き出してしまう前に、踵を返して走り出した。
「待って」
走り出したはずの私の腕が掴まれ、その場から動けなくなる。
「……何でしょうか?」
睨み付けるつもりなんかなかったのに、思わず睨んでしまった。
アレンをお兄ちゃんと間違えてしまったことが、とても恥ずかしかった。だから、早く逃げてしまいたかったのに……。
「急に掴んでごめん。でも、このまま君を帰したら、一人きりで泣くのかなって思ったら、つい」
「……ディアーズ卿には関係ありません……」
私はプイッとアレンから視線を逸した。
「うん。でも、気になるから」
心配してくれているアレンに、また可愛くない態度を取ったのに、何故かアレンは少しも気分を害していない様子だった。
「これは僕のエゴなんだ。後から後悔したりしないように、その時に気になったことには、とことん首を突っ込みたいと思っている。……巻き込んでごめんね?」
掴んでいた私の腕を離すと、子供の私の視線に合わせるように床に膝を付いた。
「ビスクドールのように愛らしいレディ。君の名前を僕に教えてくれないかい?」
壊れ物を扱うように私の手を取ったアレンは、手の甲に唇を落とすと、顔を上げて微笑んだ。
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