第一章 雛沢ももえの誕生

1-1 人並みに

【安沢とし子】の少女期は、清廉な多幸感に溢れる青春からは程遠かった。


人並みに学校に行き、

人並みに誰かの悪口を言い、

人並みに誰かをいじめ、

人並みに誰かを階段から突き落とし、


人並みに教師をいじめ、

人並みに教師を休職に追い込み、

人並みに停学を喰らい、


人並みに体を売り、

人並みにヤリ捨てられ、

人並みにマリファナと大麻を嗜み、

人並みに補導され、

人並みに親に手を上げ、

人並みに親の財布から金を抜き、


人並みに親から罵声を浴びせられ、

人並みにその三倍の罵声とおまけのグーパンチを返した。


「アタシの人生、こんな感じのまんま終わってくんだろうなー。」


 とし子はくわえタバコでパチスロのリールを眺めながら、自分の人生がこのまま永遠に上向きにならないであろう事を悟った。

 とし子、時によわい17。

 本来くわえタバコをしていてはいけない、パチスロのリールを眺めていてはいけない年齢である。


 ちなみに彼女の後ろ向かいの台にはリーゼントヘアーに後ろ髪だけを伸ばしてそこだけを汚らしく脱色した、奇抜ながら安上がりなヤンキーヘアの中学生がくちゃくちゃガムを噛みながら血眼でリールを睨み付けている。

 店員達は当然注意などしない。そして、この店にはこういった荒んだ少年少女達を保護し正しく導く為の補導員や警察官はやって来ない。というより、何故かこの地域にはそういった風習自体がないのである。その事に疑問を持つ様なお行儀のいい奴も、この一帯には居ない。


 店内には入り口近くに設置されている大型ビジョンで流れている子供向けアニメ「カンパンマン」の如何にもキッズアニメらしいけたたましい音が大音量で垂れ流しにされ、ここで手元が狂うと生活が立ち行かなくなりやがては首を吊らねばならなくなるスロッター達の神経を逆撫でしている。

 一ヶ月前、スロ狂のバカ親に連れて来られてそのまま放ったらかされ、店内でギャーギャー泣き喚いたり大騒ぎしたり台にちょっかいを出したりしたガキが「うるせえ!」と他の客からぶん殴られて一生モノのケガをさせられる事件があってから、この大型ビジョンでは同じ様にバカ親に無理くり連れて来られてそのまま放置されるガキ共の為にカンパンマンが垂れ流され続けている。自分の子供を虐待して児童相談所に取り上げられた26歳のパート店員が茫然自失になりながら出したアイデアがそのまま採用されたのだ。


『ごめんねカンパンマン、もう悪い事はしないよ!』

『分かってくれればいいんだよ。』

『うん、ありがとうカンパンマン!僕、これからは心を入れ替えて人の為に役に立つ仕事に就くね!』


 この店の今日の客層は3ヶ月前に突如街工場を襲った発注減に伴い失業したのち働く意欲を失った者が4割、元より仕事に就くつもりなどなく親や親族の稼ぎをくすねて暮らしている下層不労所得者が4割、これといった考えもなくただ破滅へゆらゆらゆったり歩みを進めているだけの者が2割。

 いずれもこの先心を入れ替える事もなければ人の役にも立つ事もなかろう奴らばかりだ。


「うっせぇぞコラァァァ!」


 突如店内にけたたましい怒声が響き渡った。だが、その声はすぐさまそれ以上にやかましいパチスロのピコピコ音にかき消された。


「このしょうもないアニメを止めろこのボケが!ああ!?」


 怒声の源は痩身でピアスだらけの若い店員に食ってかかる小汚い中年男であった。どうやらカンパンマンにトラウマかコンプレックスを抉られたらしい。

 不健康な赤黒い肌、激烈な口臭、威勢はいいが活力のないガサガサの声。なんらかの持病を持ちながら金が無いので医者に行けずにいる、絵に描いた様なド貧乏中年である。

 店内には似た様なビジュアル・同じ様な境遇のジジイババアが掃いて捨てる程いる。皆判を押した様に目がうつろで知性と気力に乏しく、そのくせ生命力だきゃしぶとそうな厄介な雰囲気を醸し出している。絶対に友達や同僚にいて欲しくないタイプだ。


 ピアス店員は中年男を一瞥すると、慣れた様子で素早く中年男の手首を取り、足首を後ろ側から蹴飛ばして受け身が取れない姿勢で勢いよく転倒させた。店内にゴツンという固い物に肉を打ちつける独特のくぐもった音が響く。中年男は後頭部をしたたかに打ちつけて鼻血を吹き、目を開けたまま動かなくなった。

 だが、客の中にコイツの容態を気に留める者は誰一人としていない。当たり前だ。皆自分のパチスロの方が大事だし、これ位の小競り合いはこの店ではよくある事なのだ。構ってなぞいられない。

 死ぬなら一人で死ね、だ。


   ◇


 開店から10年程経つこのパチスロ店の駐車場では、これまでに2年に1人のペースで通算4人のガキが撥ねられたり轢かれたり親に暴力を振るわれたりして死んでいる。

 これだけ頻繁に死亡事故・事件が起きているにも関わらず客は平気でガキを連れて来るし、パチスロが大好きな警察とその警察にしっかりみかじめ料を支払っているパチスロ店の癒着のせいで再発防止の機運が高まる事は一向にない。


 そして案の定、その年の夏にガキがもう一人死んだ。

 どヤンキー丸出しの両親に車の中に置いて行かれ、2人して血眼で良台を探している間に蒸し焼きになったのだ。


 全身を真っ赤に染め、穴という穴から体液という体液を垂れ流し、恐らくは死ぬ間際に味わったのであろう想像を絶する苦しみと恐怖をその顔にこびりつかせた我が子の亡骸を前に、ヤンキー夫婦は口汚くなじりあい、駆けつけた警察に「俺は(アタシは)無罪だ」と主張し、「ガキが死んだのはお前の(アンタの)せいだ」と責任をなすり付けあった。

 低俗な夫婦喧嘩は当然の如く、殴り合いに発展した。警察官は愉快で醜いストリートファイトを2分ほど眺めた後溜息混じりに止めに入り、まずヤンキー夫のこめかみを警棒でぶん殴って黙らせ、ヤンキー妻を羽交い締めにして落ち着かせるフリをしてどさくさ紛れにその無駄にデカい乳を3回揉んだ。


 薄くなった髪をほぼ白に近い金髪に染め上げたパチスロ店店長は警察の調べに「ウチも大概迷惑しとるんですわ。毎回毎回妙な事件ばかり起こされて、また客足が遠のくわい……。」と薄笑いを浮かべてヘラヘラ応じたのち、突如「イイ事を思いついた!」とばかりに破顔一笑し「ねえ、こういう事ってお上から手当なんぞが出たりゃせんモンですかね?被害者救済って必要でしょう?」と何とも珍妙な事を大真面目に言って警官を呆れさせた。


 この町で「人並みに暮らす」とは、こういう事なのである。

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