女の子に生まれ変わったけど幼馴染みの女の子が可愛過ぎてやばい

清水悠生

第1話

 つい先日に雪が降ったばかりだと言うのに、開いた窓からは暖かな日差しとぬくい風が春先の図書室を抱き締めていた。私はと言えば、広げた教科書とノートを前にして微睡みの中に居た。この時期にしては少し高い室温で、抗えども抗えども眠気は増すばかりだ。

 幾度目かのジャーキングを感じた時、対面に誰かが居るのを霞んだ目が捉えた。その視線に何故だか、授業中に寝入ってしまったのが見付かった時の様な罪悪感を覚え、急激に意識が覚醒していく。


「何、見てるの。」

「みゆちゃんの寝顔。」


 私が訊ねれば、目の前の少女は口元をにやつかせる。悪戯っぽく振る舞う彼女から、少し顔を背けた。情けない事に、少しばかり羞恥を感じている。


「恥ずかしいからやめて。」

「えー? あたし、可愛いもの好きじゃん?」


 だからやめない。そう答えた彼女からの視線は増々強くなった気がした。

 彼女の名は羽音はのん。私とは昔からの付き合いで、所謂幼馴染みだ。


 前世と言う物を信じる人がどれ程居るだろうか。それをオカルトの類いではなく、事実として受け入れられる人がどれ程居るだろうか。

 私はこの世に生を受けた時、既に意識と記憶を宿していた。それは成人男性の物であるが、そんな事はどうでも良い。虫食いの記憶と数十年を過ごして培われた人格は無垢な私を塗り潰した。だから私は自分を好きにはなれず、消せない罪を犯した気分のまま生きてきた。

 せめて両親には、可愛い娘でありたい。彼等は知らないけれど、本当の娘を失ったも同然なのだから。そう思って、口下手ながらも聞き分けが良い親想いの子供を演じてきた。親としての経験が無い私には、それが可愛い娘であるのか分からないけれど。

 友人が出来た時もそうだ。好意を示してくれる相手に対し私は幼いフリをして、対等であるかの様に振る舞ってきた。それは羽音も例外ではない。こんな私を好きだと言ってくれるのに、私は本当の自分を隠し続けている。今だって、私は羽音を騙して隣に居るのだ。


「でもさー、みゆちゃん頭良いんだからそんなに勉強する事無くない?」

「そんな事無いよ。復習はしておかないと。」

「勉強よりあたしと一緒に遊ぼー? ね?」

「……ああ、うん。今日はもう終わりにする。」


 急に顔を近付けてきた羽音に気圧されて、私はその誘いに承諾する事となった。まだ幼さの残る彼女は、満面の笑みを浮かべる。私には持ち得ない、とても美しく無垢なる物だ。私はまた、少し視線を逸らした。

 私達の帰る方向は同じだ。家が隣同士だからである。近所に住む仲の良い幼馴染みなど創作の中だけの話だと思っていたが、どうもそれは私の思い込みだったらしい。こんな私と仲良くやってくれている羽音には日々感謝するばかりだ。

 歩く度に揺れるスカートが膝に当たる。穿き始めて一年も経てば、これも当たり前になっていた。そして、隣に並ぶ羽音が腕にしがみついてくるのも、最早日常と化していた。


「みゆちゃんあったかーい。」

「……私はちょっと暑いよ。汗が出そう。」


 帰り道にそんな会話をしたからだろうか。自分の部屋に鞄を置いてから彼女の部屋へ向かうと、入った途端に羽音は鼻をすんすんと鳴らして、私の首の辺りを嗅いできた。歳若い娘がそんな事をするのは良くない。私は彼女の頭を軽く叩いた。


「こら。いきなり何するの。」

「あいたっ! だいじょぶ、良い匂いだよ!」


 そういう問題ではない。急に体臭を嗅いでくるなど、人として不味いだろうから言っているのだ。また私の言葉が足りなかったのだろうか。言葉という便利な物を遣っているのに、相手に何かを伝えるのは、とても難しい。


「違う。はーちゃん、いきなり人の匂いを嗅ぐのは良くないよ。」

「ん-……。んへへ、ごめんね? もっと嗅いでも良い?」

「は?」


 返事を待たずに再度嗅ぎ始めた。この子は一体何を言い出すのだ。羽音が汚れていく様を見ている気分である。それとも女の子の間では案外普通なのだろうか。前世でも今世でも、周りでそんな事をしていたのを見た記憶は無いのだが。


「先に言えば良いんでしょ?」

「……まあ。それは、そうかもだけど。誰にでもそんな事言うのは駄目だよ。」

「みゆちゃんだけだもーん。」


 私は一体何をさせられているのだろう。姉妹同然に育ってきた友人の部屋で、その友人に抱き着かれて体臭を嗅がれている。訳が分からない。

 まあ、知らない人や学校の男子にまで同じ事をすれば間違いが起きると思ったから注意しただけだ。私だけにするのなら大丈夫だろう。

 胸の上部に息が当たって少し熱い。最初は首元だったのに、いつの間にか胸の方に顔を埋めていた。


「ねえ、遊ぶんじゃなかったの。」

「もうちょっと。なんか落ち着くー。」

「仕方が無いなぁ。」


 私は羽音を抱き返して、その頭を撫でる。すると彼女は嬉しそうに身を捩らせて、体を擦り付けてくる。幼い妹が人恋しさに甘えてきている様な物だ。そう思うと、愛しい気持ちが湧いてくる。

 同時に、罪悪感が胸の奥を突き刺した。近頃は薄れてきたとはいえ、中身はい歳をした男だと言うのに。それを全く知らない、まだ幼い女の子と抱き合うなんて。

 何も言わない事は、彼女への裏切りだ。けれど、これを伝える事も彼女への裏切りに他ならない。今まで信頼を寄せていた、姉の様に思っていた相手の精神が男の物だったと知れば、きっと彼女だって嫌な思いをするだろう。いいや、こんなものは言い訳に過ぎない。

 私はただ、彼女に嫌われたくないだけなのだ。彼女を失いたくないのだ。だから、私は言えない。私の秘密は、生涯を通して自分一人で抱えていく。

 せめて、今感じている彼女への愛おしさは忘れたくない。この気持ちは本物だと思うから。心の中で謝罪を繰り返しながら、私は羽音の頭を撫で続けた。

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