勇者殺しは楽園にて復讐を誓う
柴山響輝
勇者殺し
―どうして……こうなった。
高層ビルなど一切ない、中世ヨーロッパを模したような石造りの建物に囲まれた広場。
真っ白な石で作られた噴水からは、水が止めどなく流れ、その周りでは花が咲き乱れている。その光景は、まるで騎士道物語かRPGゲームにでも出てきそうだ。
ファンタジーチックな広場に集まっているのは人だけでは無い。空を自由自在に飛び回る妖精に、金髪碧眼のエルフ、そして獣の頭を持った獣人など作品の中でしか見ることが出来ない空想の生物たち。
幻覚でもなくしっかりと存在している彼らは、揃って一点を見つめていた。
視線の先に居るのは、重たい鉄製の手錠をかけられ汚れた木製の高台の上で、膝を付き俯く一人の男。
何日も洗われていない脂ぎった黒髪は近づくだけで不快な臭いが鼻をつく。男のやせ細り肋骨が浮かぶ体には、赤黒い生々しい傷が何十箇所もつけられている。特に、背中の傷は酷く膿んでいた。
男の落ち窪んだ目には、一切の生気が感じられず、男は歯をカチカチと鳴らす。覇気がない男は、まるで生きているだけの屍のようだった。
そんな男の横に立ち、男を見下ろしている女が一人。
齢24程の身なりの良い女の、絹糸のようなポニーテールが風で左右に揺れている。
芝居がかったように両手を大きく広げると、ぐるんと眼球を動かして空を見上げる。
広場に集まった者達が、女の動きに合わせて歓声を上げた。響き渡る歓声を全身に浴びて、女の口角がゆっくりと上がっていく。
「あぁ……気持ちがいい」
籐也にしか聞こえない声量で、女が恍惚とした表情を浮かべてそう呟いた。女の頬は赤く上気し、はぁと短く息を吐く。
女は歓声に応えるように、高らかに声を上げた。
「皆様!!! よくお集まり頂きました!! 本日、皆様お待ちかねの"エデン"への空流しが執行されます!!
その人物とは、皆様知っての通り、我らの勇者である【フィルドバート様】をこの世界に召喚されてからたった2日という期間で、殺害した“大罪人”雪代
響き渡る女の透き通った声に、観衆達が更に大きな歓声を上げる。
「待っていた!!!」
「フィルドバート様に栄光を!!!」
「早く罰を!!!」
と、広場に居る観衆が声を荒げながら、籐也へと持っていた石やビンを投げる。渾身の力で投げられた、それらが頭に当たれば致命傷になるだろう。
だが、腕や足を拘束されている籐也は動く事は出来ず。そもそも、気力さえ残ってはいない。
ただ、じっと床を見つめ「あれが、当たったら死ねるだろうか」とぼんやり考えていた。
「死ね!!」
という罵声と共に、観衆の一人が投げた石が籐也の額に当たった。
ゴンという鈍い音と共に、当たった石はスローモーションのように高台へと落ちていく。ぼんやりとした視界の中で、落ちた石に視線を向けると、先端が尖っている鋭利な石だった。
当然、当たった額はざっくりと切れ、赤い鮮血がぷくっと溢れだすと目を伝って落ちてゆく。
けれど、籐也は痛がる事も無く、ただ床を染めていく赤い血液を見つめていた。
観衆の瞳は憎悪で染まり、籐也を庇おうとするものはこの場に誰もいない。全員が心の底から籐也の死を願っていた。
抱えきれない程の憎悪を向けられた、籐也は虚ろな目を揺らし、ガシャッと小さく鎖を揺らす。
―俺は……やっていない。
と、声を出そうにも、痩せ細った体は声を出す体力すら残っておらず、出てくるのは「ひゅう」という短い呼吸音だけ。
足掻いた所で何も変わらない。
前の人生でもそうだったじゃないか。
どれだけ頑張っても、どれだけ足掻こうとも、世界は道端の雑草を踏むかのように気にも止めない。
たった一度、ヒーローになれたからって調子に乗ってたんだ。所詮、自分はモブ。
いや、こんな誰もが願う
「ひゅぅ……ひゅぅ」
と、空気音を溢しながら、虚ろな目で観衆を見つめていると、目尻から出た一筋の涙が頬を伝っていく。
本当にどうしてこうなったんだろうか。
……そうだ。全てはあの時、救わなきゃ良かった。そうしなきゃ、俺はこの世界に来ることも無かったんだから。
心の声は、誰にも届くことはない。
「さぁ!! この大罪人に天罰を下しましょう!!」
と、女は高らかに声を上げると、はぁと息を吐き出す。女の瞳には恍惚が浮かび、興奮で体をぶるっと震わせた。
籐也の髪を掴み、強引に顔を上げさせると、睨む気力も無くなった籐也を見つめ口の中に溜まっていた唾を顔面にかけた。
頬に付けられた他人の唾の感覚。
気持ち悪いや屈辱だとさえ思う体力のない籐也に、女はつまらなさそうに息を吐くと、意識をはっきりさせる為にぺちぺちと頬を叩いた。
「勇者殺しの異人。こっちを見なさい」
籐也は焦点の定まらない虚ろな瞳を動かして視線を向けると、女は妖艶な笑みを浮かべる。この場に相応しくない色香を纏った女は、口角を上げ籐也の耳へ顔を寄せると甘ったるい声で囁いた。
「最後に良いことを教えてあげましょう。私、貴方が勇者様を殺していない事を知っていますよ」
女の言葉に、籐也の目が見開かれていく。その表情を、面白そうに見つめながら女は、爪先で籐也の頬をなぞる。
「あぁ……絶望に染まりきった良い顔。勇者様が死んでしまったのですよ? 体の良い生贄が欲しいじゃないですか。あの場に居たのは、貴方だけ。誰だって……生贄にするでしょう?」
頬や唇をなぞりながら女は妖艶な笑みを浮かべる。下等な愛玩生物を見るように、その瞳に狂った愛情を浮かべながら、籐也の耳元にふっくらとした唇を寄せる。
「生贄になってくれてありがとう」
という甘ったるい声と共に、籐也は抵抗する間もなく背後から頭を掴まれ、ガン!と勢いよく床へ叩きつけられ意識を失った。
10月5日 加筆修正
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