3-8 中本才雅の秘密

「才雅さんっ!」「才雅!」


 場所はリビングから外に出た、屋上庭園のプールサイド。

 柵にもたれかかって夜空を見上げていると、後ろからふたりの声が聞こえた。


「才雅のバカ!」リリが叫んだ。「どうしてっ……どうしてのよっ!」


 そうだ。

 俺は結局24時を過ぎても。


 那由が待つ部屋にも、リリが待つ部屋にも行くことはしなかった。


 ――リリさんと那由わたし、どちらと【恋愛の練習】をされるのでしょうか?


 そんな2択に対して。

 つまりは〝どちらも選ばなかった〟ということだ。

 

「だったらどうして、こんなにまどろっこしいことしたのよ! わざわざリリたちのこと待たせて……期待、させておいて」


 リリが頬を膨らませながら言った。


「ふむ、そうだな。俺が何故どっちの部屋にも行かなかったかはとして――わざわざ時間を置いたのは、ちょいと時間稼ぎをしたくてな」

「時間稼ぎ……?」


 リリが怪訝な表情を浮かべていると――ぴん。ぽん。

 タイミングよく、インターフォンが鳴った。


「すまん、那由。開けてやれるか?」

「はい……ですが、どなたでしょう」

「俺たちもよく知ってる――ただのだ」


 

       * * *

 

 

「やっは~! あれあれ? 3人とも揃ってどうしたのさ~?」


 プールサイドに、我が酒豪幼馴染で同僚の江花晴海えばなはれみがやってきた。


「くんくん……お酒の匂いもするし、さては飲み会だったな~! ウチを誘ってくれないなんてひどいよ~ふえふえ~」

「外でも匂いで分かるって、嗅覚犬並みか!」俺はたまらず突っ込んだ。「しかもすでに出来上がってるべろんべろん状態だしよ……」

「あ、会社の近くのバーでひとりで飲んでたんだ~」晴海はあっけらかんと言った。「帰ろっかなあって思ったら、ちょうど才雅から連絡が来て……なんでなんだろ~? って思ったけど、そのままタクシーで来ちゃった~えへへ~。あ、これ差し入れね~」


 ずどん、と彼女は手にしていた酒をプールサイドのテーブルに置いた。


「おいおい、仮にも元トップアイドルへの手土産が一升瓶かよ……」


 才雅の呟きむなしく、月城家に一升瓶(琉球泡盛・ちゅじま)が増えた。

 

「ちょっと待ちなさいよ!」リリが納得できないように叫ぶ。「時間稼ぎって、もしかして江花さんが来るまでのってこと⁉」


 俺はこくりと頷いた。


「そもそも、どうして江花さんを……?」那由も首を傾げている。

「あ……もしかして」リリがなにかに気づいたように俺を睨んだ。「あんたたちふたり、リリやなゆたさんの知らないところで既にってわけ?」

「ほへほへ⁉」と晴海が目を丸くした。

「だったら最初から言いなさいよ~!」未だ酒が回っている様子でリリが憤る。


 そんな様子に――俺は深く溜息を吐いて訂正する。


「何を勘違いしているんだ。晴海と俺はそんな関係にはなっていない。……少なくとも、今はな」


 ことを話そうと思ったが、ややこしくなりそうなので今はやめておいた。

 

「だから、リリが想像しているようなことは何もない。さっきのの時間に――例えば候補者として【晴海】もどこかの部屋に待っていたとしても――その部屋に俺が訪れることはなかっただろう」


 屋上を夜の風が吹き抜けた。

 それぞれの髪が空の中で不穏に揺れる。

 水面が波打って、プールの底から伸びる光を散らした。


「だったら、どうして……?」


 未だに不満そうにリリが訊いてきた。

 

 俺がをここに集めた理由。

 そして、俺が〝恋愛の練習相手〟としてだれも選ばなかった理由。


 それはただひとつ。


「――俺には、選ぶ資格なんて、なかったからだ」

 

「「……え?」」


 俺には選ぶ資格がない。

 それが目の前の――遥か遠くの空に浮かぶ【星たち】と恋愛ができない理由だ。

 例えそれが、練習であったとしても。

 

「お前らにな……しなくちゃいけない、話があるんだ。そのために晴海も呼んだ」


 俺はこくりと何かを飲み込んでから。

 言葉のひとつひとつを喉から絞り出すように、ゆっくりと続ける。

 

「何をするにせよ――俺にはが多すぎる」

「秘密……?」


 リリが眉をしかめる。

 那由は不安そうに唇を薄く開いている。

 晴海は事態が飲み込めないように目を瞬かせている。


 そんな3人を前にして。


 俺は部屋から事前に持ってきていた【スーツケース】に手をやった。


「なによ、それ。なんかの荷物?」リリが訊いた。

「ああ、そうだ」

「なになに~? そこに才雅の〝秘密〟が詰まってるの~?」

「ああ」俺は力強く肯定する。「まさしく――その通りだ」


 俺はスーツケースを横に倒して。

 そのロックに指をかけた。かちゃり。

 開錠して蓋に手をやる。


「才雅……?」


 もしも。

 これを開けてしまったら。


 ――すべてが終わってしまうかもしれない。


「才雅~?」


 これまでに築き上げてきた関係が。

 これまでに積み重ねてきた時間が。


 せっかくつむいできた、みんなとの縁が。


「才雅さんっ……?」


 このケースの中身を晒すことで――がなくなってしまうかもしれない。


 それほどまで強力な〝秘密〟がこの中には詰まっている。

 

「く、う……っ」

 

 口から言葉にならない声が出る。汗がじんわりと吹き出る。心臓が強く脈を打つ。

 人と人との関係性を変えるためには何かしらのが必要である、と過去の俺は言った。

 

(まさしく、だな)


 この行動によって、きっと俺たちの足元はどろどろに溶けてしまう。

 関係性が解けて崩れて壊れてしまう。

 

 それでも。


「このままじゃ、いけないんだ……! 心に空いた穴は大きくなるばかりで、いつかきっと、取返しのつかないことになるっ……‼」

 

 俺はその蓋にかけた腕に力を込めて。

 中身をみんなに見せつけるように。


「これが、今まで隠してきた、」


 ――ケースを、開けた。

 

「俺の〝秘密〟だああああああーーーーっ‼」

 

「「「…………っ!」」」


 ケースを開け放したは。


 当然。



 俺が生涯を賭して集めてきた――



 大量の【月城なゆた】のファングッズだった。




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