2-3 リリがウチにやってきた
「ねえ、ちょっと! 聞いてるの⁉」
ぼやけた思考が現実に戻ってきた。
目の前にはマネージャーとして俺が担当するアイドル・
「もー! 今日一日ずっとそんな感じじゃん! 隙があればぼーっとしちゃって……やる気あるわけ⁉」
リリは頬を膨らませている。
どうやら怒っているようだ。何に? 当然、俺の
――月城なゆたとの【
それはまがりなりにも月城さん――
そんな夢のような出来事があれば〝現実世界〟に影響を及ぼさないワケがない。おかげで俺は朝から『ご機嫌モード』と『夢見がちモード』と『幸せ
ともかく。
そのうち『幸せ悦浸りモード』の時に何やらリリから言われていたらしく、話半分にしていた俺のことを彼女はぷりぷりと怒っているのだった。
「あ、ああ。すまん」
されど仕事だ。いささか現実世界に夢を引きずり過ぎていた。
ぱちん。俺は両頬を叩いて気合を入れ直す。
「……今のそれ、次やるときはリリに言ってね」
「うん? 頬を叩くやつか?」
「そう。次はリリが思いっきり叩いてあげるから♥」
「はは……黙っておくことにするよ」
なんでよー、とふたたびリリは頬を膨らませぷんすかと怒り出す。
「とにかく!」リリはびしっと指を突き付けながら言った。「そういうわけだから、
「……へ?」
「本人に許可はもらってあるから。隣の席なんでしょ?」
話の筋が見えない。しまった、もう少し早めに気合を入れて現実世界に帰還しておくべきだった。
気まずそうに目線を泳がせていると、ばんっ! 〝裏側〟のリリが机を叩きながら言った。
「だーかーら! 今日、
「……は?」
「言ったでしょ? リリの夢は〝月城なゆたを越えること〟なの。そのためには
腕を組みながら、最後の方の台詞は足元に落とすように彼女は言った。
「それじゃ、よろしく~」
というわけで。
俺と風桜リリによる――【
* * *
「わ~~~~っ! さすがは元・トップアイドルのなゆたさんのおうち! 広いですね~~~♥」
〝表側〟の風桜リリが目をきらめかせながら言った。手は胸の前で祈るように組まれている。
どうやら月城さん――失敬。
「そうでしょうか。
おいおい。開始1分で〝爆弾失言〟が飛び出しかけたぞ。俺はリリの背後で『しーっ!』という内緒のポーズを那由に向けた。
那由は途中でハッと気付き慌てて訂正をした次第だ。那由はああ見えて抜けているところがある。俺がちゃんとフォローしないとな。
とにかくも、誤魔化すためには3つ。
その1・那由はマンションに
その2・当然、
その3・なんなら、俺もここに来るのははじめてである。
風桜リリがやって来るに際し、どうにか那由と事前にLINEのやり取りをし、それら3つの条項を突き通す算段をつけた。
つまりこれは
リスクがでかすぎる割に、リターンが皆無なのが悲しいゲーム性だぜ。せめてクリアできたご褒美に何か欲しいものだ。
「あ、どうぞ――お座りください」那由がリリに着席を促した。
「はいっ! 失礼しますっ。わあ~! ソファもふかふか~♥」
ベッドが届くまでの間、俺の【寝床】になっていたソファの上でリリが飛び跳ねている。
大丈夫か? 俺の髪の毛とかついちゃったりしてないか? と不安になった。
「ふんふん――お部屋もですけど家具もいい匂いしますね~、さすがはなゆたさんのおうちです♥」
おい大丈夫か。今お前が鼻先で匂いをかいだあたりはちょうど俺の
そのあとも当たり
「リリは珈琲でいいか?」
「あ、はいっ! ありがとうございます、マネージャーさん♥ って、なんで才雅……
じとーっとした目線を向けられ〝裏側〟の声のトーンでリリに訊かれた。
まずい。いつもの癖とマネとしての気遣いから自ら動いてしまった……。
「ふ、ふたりの会話が盛り上がってたからな。なゆ……じゃなくて、
俺は焦りながらも自然な雰囲気になるようつとめて答えた。
リリの背後で那由が心配そうな表情を浮かべている。
「それでも……家主に一言声かけてからにするのが礼儀じゃないですか?」
リリにジト目を向けられた。確かにごもっともでしかない。
「た、確かにそうだったな……いや~俺としたことが! というわけで月城サン、台所使わせてもらってもいいですか?」
「は、はいっ……ダイジョウブ、デス」
なぜだか那由もカタコトだ。焦りが前面に出ている。
「それじゃお言葉に甘えて、っと……リリは珈琲でいいんだよな」俺は引き出しを開きながら訊いた。
「いいけど……なんで珈琲がある場所を知ってるのよ?」
「はっ⁉ しまっ――ああ、いや! なんとなくこの辺にありそうだなーってな! だいたい分かるだろうよ。俺はこういう勘には鋭いんだ、ははは」
「……ふうん」
「砂糖はどうする?
ちなみに〝裏側〟の時のリリはブラックの濃い目で飲んでいる。今のリリはどちらにするつもりだろうか?
リリの〝疑いの目〟をすこしでも和らげようと、俺は自然な会話を試みた。
「うん、それでいいわよ――って、砂糖の位置まで知ってるわけ?」
が、疑いはさらに深まった。
「んな⁉ な、なんでだろうな! あ! 今気づいたんだが、俺のマンションのキッチンと似てるんだ! そしたら収納する場所が似てきても不思議じゃないな、はははは!」
「絶対あんたの家のキッチン、こんなに豪勢じゃないでしょうに……」
「なゆ――じゃなくて月城サンは
「しかもなんでお茶の好みまで分かってるのよ! あと〝いつもの〟ってなんなのよ⁉」
言ってるそばから全然だめだった。
なにが『那由はああ見えて抜けているところがある。俺がちゃんとフォローしないとな(キリリ)』だ。俺の方が
那由の方をちらりと見るとあわあわと口を開閉しながら目を回していた。すまん、那由! 俺がどうにかする!
「と、隣の席だからな。いつも飲んでるものくらい分かるさ……!」
だとかなんだかで誤魔化すと、リリは『ふうん……へんなの』と言って、再び那由との会話に戻っていった。
――ふう、危なかったぜ。
いずれにせよ、普段通りの些細な行動が〝ゲーム・オーバー〟に繋がりかねないということを学習した。気を抜かないようにしなきゃな。
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