1-17 新人マネージャーの社畜デイズ
この一か月を表すのであれはその2文字がふさわしかった。
月城さんが事務仕事上のトレーナーということだったが、それはほとんど形式的にすぎなかった。
俺はいきなり現場に放り込まれ、そこで嵐のような忙しさの業務に追われることになった。
仕事は
――彼女という存在を
シンプルに言えばそれだけだ。しかし――その合間にこなす仕事が膨大な量にのぼった。
縦横無尽なスケジュールの管理、移動手段や食事に宿泊の手配、現場での臨機応変な対応、怪我や体調不良などのリスクマネジメント、星の数ほどある取引先との各種連絡や成果物の調整、社内の各部署との情報共有、契約書や請求書の手配、各種の経費処理……。
特にこの業界の人たちとのメールや電話のやり取りは常に
業界用語も覚えた。ケツカッチン。ダブり。
というわけで、
当然売れっ子である彼女のスケジュールは土日祝日も関係なく、文字通り朝から晩まで(あるいは、早朝から深夜まで)埋まっていた。
そんなハードスケジュールにあわせて、俺は彼女よりも
『たぶんこれから、マネ部の中本さんはすごく……とてもお忙しくなると思うんです。ですので、あまり気を遣いすぎないでくださいね』
いつか月城さんがそう言っていた意味がどうしようもなく理解できた。
同棲生活とは名ばかりで、俺は月城さんが眠りに落ちてから帰宅して。
月城さんが朝目覚める前に準備をして出かけて――会うのはオフィスでデスク仕事をこなす時だけ、というような日々が続いた。
「まじで、寝れねえ……」
というわけで。
俺はそんな睡眠不足の中でも、ほぼ一日中を風桜リリと一緒に過ごすことになった。
そうすると必然的に……
――リリちゃんには、気をつけて。あの子【マネ
あの人の良い
『ねえ、マネージャーさんっ♥』
ぴこん。
LINEの通知がリリから来た。
俺は慌てて枕元のスマホを手にする。
(仕事の緊急の連絡の可能性もあるため、通知があれば俺の手は四六時中問答無用でスマホに伸びるようなカラダにされてしまった)
『リリね、ティラミスが食べたいな♥』
事務所が抱える売れっ子アーティストである風桜リリ。
彼女の
――今が【深夜3時】でなければ。
『今、何時だと思ってるの?笑』
最初の頃は冗談だと思ってそんな反応をした。
するとやれ『今から食べないと明日の仕事のモチベーションが上がらないよう(泣いてる兎のスタンプ)』だとか、やれ『マネさんが買ってくれないんなら、今からひとりでコンビニに買いに行くけど……夜道でなにかあっても知らないよ?(不満そうな熊のスタンプ)』だとかで俺を脅してくるのだった。
ならばすることはひとつ。
俺は真夜中に会社から与えられた社用車(トヨタの黒のアルファード)を走らせるのだった。
* * *
「……買ってきたぞ」
リリがひとりで住むマンションは車で2、30分くらいで行ける都内の2つ隣の区だった。
集合玄関で部屋番号を呼び出すと、リリは『ありがと~♥』と相変わらず甘ったるい声で入口のロックを開けてくれた。
エレベーターに乗り部屋に到着して、コンビニで買ったティラミスを渡して帰ろうとすると――
「あ~、マネージャーさんっ」
「うん?」
「これ、リリが食べたいやつじゃないの……リリが食べたいのは
「……ふうむ。それで?」
「ローソンのやつ買ってきて?♥」
『いい加減にしろよ、だったらはじめっからそう言えよな! だいたい毎日他愛もない用事で呼びつけたり、俺を困らせたいだけの無茶苦茶な要求ばっかり突き付けてきやがって! わがままにもほどがあるだろ‼』
と言いかけた言葉をぐっと
「……分かった、ちょっと待ってろ」
と俺はふたたびアルファードを走らせた。
* * *
「はあ、はあ……これで、いいか?」
俺はお望みのローソンのティラミスを手渡して言ってやった。
リリはそのティラミスと俺とを何回か見比べてから、
「う~ん……待ってるうちに、やっぱり
と言いのけた。
「……っ!」
そしてついに俺は。
――俺は。
「ふふ、はは、ふはは……!」
「な、なによ……変な笑い声あげて。言っとくけど、リリの言うことは――」
「
俺は背負ったリュックサックの中から、御所望の
ついでの他のコンビニのものも、得意げにテーブルに並べていく。
「そう言われた時のためにな、全部のコンビニにあったティラミスと名のつくものすべてを買い揃えてきた」
「なっ……⁉」
「さあ――リリの好きなものを、好きなだけ選ぶがいいさ‼」
ふはははは! と深夜テンションも相まって俺は魔王的に
寝不足で血走った瞳と、持前の若手マフィアフェイスもあって、今の俺は完全に悪役にしか見えないことだろう。
するとリリはドン引きしたかのように顔をしかめて後ずさって――
「ばっかじゃないの⁉」
と。
はじめて俺に〝裏側〟を見せてきたのだった。
「……こんなに食べたら、太っちゃうじゃない」
「その時は
時計は早朝5時に差し掛かろうとしていた。
――もうすぐ今日の仕事が始まる。
* * *
「ねえ、名前。なんていうんだっけ」
「中本」
「そっちじゃなくて」
「
「才雅」まるでアイスクリームを溶かすみたいに、リリは俺の名前を口の中で何回か繰り返した。「ふうん」
「なんだよ。今度はショートケーキでもお望みか?」
「ううん……
「へ?」
「リリの夢、覚えてる?」
「――アイドルオールスター総選挙で1位になること」
「ううん。ちょっと違うかな」彼女はすこし口を尖らせてから言った。「リリの目標はね――【月城なゆた】を越えること」
「……!」
「だから、そのためには総選挙の
「たいそうな目標だな」
「無理だと思う?」
「風桜リリの言うことは〝絶対〟なんだろ」
彼女は満足そうに頷いて、「そう。だからね。まずは今度の総選挙――絶対に1位にならなきゃいけないの。それがゴールじゃなくて、それがあたしの――
「どうにか」
「どうにかじゃなくて、完璧に分かってくれないと困るのよ――だってリリは、その夢を、」
そこでリリはほんの少しだけ間を取って。
俺と、その先にあるナニカを見通すように視線を細めて言った。
「その夢を――才雅。アンタと目指すことに決めたから」
そりゃどうも、と俺はどのティラミスを持ち帰ろうか悩みながら言った。
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