第10話 『 行き止まりの壁と救いの手 』

「はっ……はっ……はっ」


 悪鬼のような形相をした人たちが追いかけてきて、アイリスは喉に血の味を覚えながらも必死に足を動かし続けた。


 捕まれば、またあの一人ぼっちの空間に連れ戻される。人形やお菓子。アイリスの退屈のないようにとそれは与えられたが、そんなのアイリスは望んでいなかった。


 遊び相手が部屋にいても、つまらないだけだ。


 だからこっそり部屋から抜け出したのだが、案の上見つかってしまって今は逃げている。


 けれど、


「あうっ⁉ うぅ、ああ!」


 無我夢中で走り続けたアイリスの目の前に立ち塞がったのは、大きな壁だった。とても一人では超えることができず、そして左右に通路はない。


 この状況を〝詰んだ〟というのだが、アイリスにはまだ分からなかった。


 ただ、自分が追い詰められているということだけは分かって。


「ぜぇぜぇ。やっと……追いつきましたよ、アイリス様」

「――っ!」


 ついにアイリスを捕まえにきた大勢の大人たちに追いつかれてしまった。


 全員が荒い息を繰り返すも、表情や気配からアイリスを見逃すつもりは微塵もなかった。


「さ、お城に帰りましょ」


 煌びやかな服を纏った女性が、アイリスを怯えさせぬよう朗らかな声音で説得しながら近づくも、それは意味をなさない。


「……や」


 じりじりと詰め寄ってくる大人たちに、アイリスは壁に背を押し付けながら怯える。


 このままではまた、あの退屈な遊び場に戻ってしまう。


 喋らない人形と遊ぶのは嫌だ。

 賑やかでない遊具で遊ぶのは嫌だ。

 独りぼっちで遊ぶのは嫌だ。


 すぐ目前に迫った手にぎゅっと瞼を閉じた、その瞬間だった。


「ちょっと待ちなよ」

「――っ⁉」


 アイリスに差し迫る魔手を振り払ったのは、救世主の如く颯爽と現れた――少年だった。


 ▼△▼△▼▼



「バレたら姉さんに怒られちゃうなぁ」


 騎士の後ろを付いていくのはなんとも緊張感があったが、その騎士様はどうやら少女の追跡に必死なようでアノンの存在に気付くことはなかった。


「それにしても、僕に気付かないって相当切羽詰まってるな」


 アノンが気付かれないように慎重になりながら騎士たちとの距離を測っていたのもあるだろうが、仮にも国を守る騎士が追跡されていることに気付かないのは異常だった。


 それほど、騎士たちはあの赤髪の少女に固執しているのだろう。


「うおっと」


 壁を曲がって人気のない路地に入った瞬間、数十メートル先に大きな壁と騎士の背中が見えた。


「よっ。ほっ。あ、ごめんなさい!」


 このまま突き進むと流石にバレてしまうので、アノンは勢いを跳躍に変えるとそのまま宙を舞った。一秒後に着地してわずかな粉塵が立てば、それを払うように地面を蹴り上げる。


 そして、幅四十センチほどの壁と壁を蹴りながら空を目指す。


 その最中に通行人にアノンの壁昇りを見られてしまった挙句、通行人はアノンの絶技に魅入られて馬車に引かれてしまった。おじさんごめん。


「ご冥福をお祈りします、見知らぬおじさん」


 ぺこりと謝りながらも、路上から屋上に上がったアノンは少女と騎士を俯瞰するべく前に進む。


 そして、丁度真下まで来れば、アノンは身をかがめて眼下の光景に意識を注いだ。


 壁に阻まれ、行き止まってしまった少女。そんな少女をさらに追い詰めるように、騎士たちが迫っている。


「見た所、窃盗ではなさそうだなぁ。じゃあなんで追いかけられてるんだろ」


 よくよく考えて見れば、窃盗如きに騎士が大勢も動くなんて思わない。



「……七人もいる。しかも、あれグリーンだから近衛兵の人たちじゃん」

 騎士にも階級があり、グリーンを基調とした隊服を着ている騎士は上から三番目シルバー


「姉さんはたしか、【Lv65~70】の中でもさらに秀才が集った戦力って言ってたな」


 姉から教わったこの国の騎士の序列を思い返しながら、アノンは確認する。


 三番目シルバーの数はおよそ百人ほどだったか。二番目ゴールドはさらに少なく、一番目プラチナは片方の手で足りるほどの数だった気がする。


「うえぇ。シルバーの人たちが七人も子ども追いかけ回すなんて大人げないなぁ」


 復習も終われば、アノンは頬を引きつらせながら少女に同情する。


「助けたいけど、事情が分からないしなぁ」


 下手に事件に足を突っ込むと姉に迷惑が掛かってしまう。


 親愛する姉に迷惑は掛けたくないし、アノンだって家に帰ってやることがある。屋台のでこんもりとお裾分けをもらった野菜を調理するという大事な仕事だ。


「姉さんに困ってる人がいても、自分に関係なかったらほっとけ、って言われてるしなぁ」


 それは決して姉であるリアンが非情な性格だからではなく、アノンのことを慮っている故の教えだ。


 大っぴらには言えない事情のせいで、アノンの行動は制限されている。この目深に被っているフードがその証拠だ。


 でも、目の前で困っている人がいるのだ。しかも、それはアノンよりも小さく、か弱さそうな女の子。


「…………」


 そんな子が嫌そうな顔をしているというのに見捨てるというのは、姉の教えを守るよりも罪悪感があった。


 だから、


「仕方ない」


 大事に抱える野菜を置くと、アノンは立ち上がった。


 姉の教えと人助け。それを天秤にかけて傾いたのは、


「ちょっと待ちなよ」

「――っ⁉」


 屋上から飛び降りて、地面に着地したのと同時、アノンは少女に差し迫った魔手を払った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る