第8話 『 姉の用事と弟の懸念 』


 独立国家・グレアスフォール。


 今年で創国300年になるこのグレアスフォールは、商業を生業とする者たちの往来が盛んであり、街は年中賑わいを魅せている。


 さらには来月に控える建国祭を目前にしている事も相まって、街の活気は平日にも関わらず盛んであった。


「いい天気ねー」

「そうだね」 


 天高く昇る太陽の日差し防止、という訳ではないが二人はフードを目深に被って外に出ていた。


 その目的は、


「はぁ。あのクソ爺に会いに今から会いに行くなんて理由がなかったら、このままアノンとイチャラブデートが出来たのに」


 リアンのため息に、アノンは苦笑。


 リアンはこの国の時期王女。つまるところ、現国王の愛娘なのだ。


 現国王――ヴォルフ・グレアにより、リアンはこれから実家でもある王城へと足を運ばなければならなかった。


「仕方ないよ、建国祭のスピーチが出来るのは姉さんしかいないんだから」

「別に、私じゃなくても誰でもできますぅ。あいつの側近にでもやらせればいいのよ」

「それじゃあ王族としての威厳が立たないよ?」

「あのクソ爺はただ玉座に座ってるだけの老骨よ。さて問題です」


 といきなりリアンがアノンに向かって問いかけてきた。


 唐突過ぎて慌てるアノンに微笑みを浮かべながら、リアンは指を一つ指して、


「我国、グレアスフォールに現国王として君臨しているのは、私の馬鹿親父ことヴォルフ=グレアですが、実際にこの国の法律や運営方針を握っているお偉い方々は誰でしょうか?」


 皮肉たっぷりの問題に頬を引き攣らせつつ、アノンは最近リアンから教わった箇所だとすぐに判った。


「十聖賢人の人たちでしょ」

「正解! 流石は私の弟ね」


 答えれば満面の笑みを向けられて、アノンは嬉しそうに頬を掻く。


 先述の通り、この国の法と運営方針を指揮しているのは十聖賢人と呼ばれる十人の賢者たちだ。実質彼らがこの国のトップ、と呼んでもなんら不思議ではないが、威厳があり他国との外相の顔となる者がいなければ国というものは成立しない。


 事実、この現国王である先々代の前まえではグレアスフォールは現在のように栄えてはいなかったそうだ。まだ生まれていないアノンにとってはあまり実感のない話であり、こうして眼前の景色を見るとどうしても懐疑心が生まれてしまう。


 目の前の色とりどりの街を眺めていると、隣から激しい舌打ちが聞こえた。


「いっそ十聖賢人の誰かが時期国王になればいいのよ。それかお母様。そうすれば、私が女王なんて面倒な肩書背負わずにアノンと一緒にいられるのに」

「そっか。姉さんが女王様になっちゃったら、僕はもう姉さんの傍にいられないのか」

「~~~~ッ⁉」


 アノンとリアンは、血の繋がった姉弟であれど決定的に違うものがある。故に、アノンとリアンには絶対的に一緒にいられなくなる時間が訪れる。


 いつか、遠くない未来の事を呟けば、リアンが声にならない絶叫を上げた。


 そして、リアンはぷるぷると体を震わせると、勢いよくアノンに飛びついた。


「嫌よ! 嫌! アノンと暮らせないなんて死んでも嫌よ⁉ 貴方は私の生き甲斐なの私にとっては私の体の一部なの! アノンと暮らせないなら国外逃亡だって平気でやるわよ私⁉」


 ご乱心な姉が往来で抱きついてきて大声で泣いた。

 周囲がなんだなんだとアノンたちを覗いて来て、アノンは慌てて姉を宥める。


「じょ、冗談だよ姉さん。ほら、ここ街のど真ん中だし、色んな人に見られてるよ!」

「私のアノンへの愛を魅せつける絶好の場所じゃない」

「もうお家で沢山愛情もらってるからここでは止めて⁉」


 どう説得してもリアンが離れようとしてくれない。


「――それに、ここで注目を浴びちゃうと、僕たちの素性が皆にバレちゃうよ」

「…………」


 どうやらそれはリアンにとっても不都合であり、途端に黙り込んだ。


 それから、おずおずと伸ばされた両腕が解かれると、むすっ、とリアンは露骨に不機嫌そうな顔をしていた。


「……国なんて滅べばいいのに」

「時期王女が物騒なこと言わないでよ」


 おおよそ王族とは思えない暴言だ。


 苦笑しながら、アノンはフードの上からリアンの頭を撫でる。


「姉さんはこの国にとっても、僕にとっても大切なんだから」

「……私の弟が最高過ぎる件について」


 リアンの方が身長が高い為、どうしても恰好はつかない。それでも、リアン側からみればアノンの可愛らしく天使級の笑みに心臓は鷲掴みにされる。


 甘い言葉と甘い対応で、どうにかリアンは冷静さを取り戻してくれた。


「ほら、もう王城に着くよ」

「むぅ。お別れじゃない」


 談笑していればあっという間に王城の前に来ていて、その事実にリアンが不満を溢す。


「まだアノン成分が足りないわぁ」

「じゃあ今日は、久しぶりに一緒にお風呂入る?」

「入るわ⁉」


 どちらが先に生まれたのか分からないが、アノンの提案一つでリアンのテンションが爆発的に上がる。姉の扱いならば、アノンより秀でる者はいないだろう。というよりリアンの方が他者と弟との対応に天と地ほどの差があるのだが。


「アノンとおっふろ。アノンとおっふろ」

「姉さんは本当に分かりやすいなぁ」

「だって久しぶりのアノンとのお風呂だもの。しかもアノンの方から誘ってくれるなんて。そんなのテンションが上がるに決まってるわ」

「まぁ、姉さんを労うのも弟の務めだし……本当は疲れるから嫌だけど」

「? 何か言った?」

「ううん。何でもないよ」


 ともかく上機嫌になった姉に、アノンはほう、と安堵の息を吐く。


「夕食も今日は僕が用意するよ。姉さんは何が食べたい?」

「それじゃあパスタがいいわ!」

「うん。分かったよ」


 さらに姉を上機嫌にさせて、アノンは脳内で『パスタはミートソースのやつと』とメモを書く。


「よし、家に帰ったらアノンとイチャイチャできる。早くクソ爺と話終えて帰らなきゃ」


 浮かれすぎて仕事を疎かにしないかと不安が過ったものの、リアンなら大丈夫だろうとそんな懸念はすぐに霧散させた。


 くるりと振り返った姉は、なんとも可憐な笑みを向けてくれて、


「それじゃあ、アノン。今からお姉ちゃんと少しだけ離れちゃうけど、すぐに戻るから待っててね」


 握られた手の温もりは、溢れんばかりの愛情が伝わってくる。


「うん」

「お姉ちゃんに会いたくなったらいつでもテレパシー送ってね。すぐに駆けつけるから」

「うん」

「それと、外では絶対にフードを取っちゃダメよ? 顔を見られても平気だけど、万が一でもあれを確認されたらマズいんだから。もし、万が一見られた場合……」

「うん。記憶を消せばいいんでしょ?」

「ちゃんと物理的にやるのよ。脅しではダメよ。貴方の為に、容赦はしちゃダメ」

「分かってるよ。……のつもりでやればいいんでしょ」


 静かな声音で言えば、不安に語調を落とすリアンが僅かに安堵を溢す。

 これはいつもの確認事項であり、その言いつけを破った事は一度足りともない。

 アノンはリアンに心配かけまいとするも、


「お姉ちゃんが恋しくなったら……」

「早く行こうよ姉さん⁉」

「あぁん! だってこの手を離したらアノンと別れちゃうじゃない!」


 リアンは中々手を離してくれなかった。


 それから三分ほど経ってようやく手を離してくれたリアンは、涙を流しながら王城へ消えていった。


 そんな姉の姿を門が閉じられて見えなくなるまで手を振り続ければ、ゆっくりと手を降ろしていく。


「ふぅ」


 リアンの事は大好きであるが、こういう面倒な一面がある。そこも愛嬌なのだが、弟としてはこういう時どう対応すればいいのか困る。


 アノンはリアンが居なければ、生活ができない。


 リアンはアノンが居なければ、この国を本気で滅ぼすつもりでいる。


 それがリアンの覚悟であり、そんな覚悟に従順すると決めてはいるのだが、このままでは親愛なる姉は本当に、


「姉さんが女王様なんて務まるのかな」


 年々弟好きが激しくなる姉に、アノンはぽつりと不安をこぼすのだった。

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