第1話 『 それが死神の務め 』


 少年はある時から、人として生きるのではなく、死神であろうと決めた。


「ここに来るまでは、残飯や泥水は普通だったなぁ」


 昔は、腐った食べ物が残飯であることや、茶色く濁った液体が泥水であることを知らずに、ごく普通に口に運んでいた。それが、普通は人の食べ物ではないことを、少年はこの家に連れて来られてから初めて知った。それ教えてくれたのは、少年の親愛なる姉だ。


 この世界の事を、少年は何も知らなかった。人が自分の同じ歳の頃には既に学んでいるであろう知識を、遊びを、生き方を、少年は4年前――11歳までは何一つ知らなかった。


「それだけ、僕には生きる価値がなかったってことなのに、姉さんは全部教えてくれたな」


 今の自分がいるのは、姉がいたからだ。あの真っ暗な場所から解放してくれただけでなく、こんな立派な生活まで与えてくれた。


 少年にとって姉とは、生涯を尽くして恩を返したい大切な人だった。


「……今日の風は、少し冷たいな」


 窓を開けて、夜の風を全身に受けた。普通の人が普通にやれることを、少年は、特別に感じる。この世界で生きているのだと、そう実感するから。


 薄暗い部屋に月灯りが差し込むと、少年の姿がうっすらと露わになった。


 小さな背丈。11歳の子どもには少々肉付きが少ないように見える。男というよりも、女の子と大して変わらないシルエットだった。


 以前の生活の影響のせいで、髪質は繊維がボロボロであちこちに黒髪が跳ねている。姉がいつも櫛で梳いてくれるも、その努力は虚しい。


 まつ毛に掛かる前髪がそっと夜風に靡けば、色白の肌と、月光に受ける真紅の瞳が美しく輝いた。


 姉と同じ瞳。彼女はルビーの輝石のように美しいのに対し、少年の真紅の瞳に抱く印象は、その死化粧のような肌色と相まって狂気を覗かせた。――死神と、そう呼ぶに相応しい畏怖を。


 月光。それを眺めながら、少年は口ずさむ。


「夜を灯す月は、万人の道を示す為に」


 それは、かつての故人が創ったことわざ。


 ならばこの月夜の光は、人ではない自分をどう導いてくれるのか。ふと、そう思う。


「人でない僕はせめて――」


 その答えは、もうとっくの昔にあって、


「――あの人の道を切り開く〝死神〟であろう」


 これ以外の道は少年にはないし、それ以外の考えはなかった。


「僕の道は、姉さんの歩く道。僕が開くから、姉さんの道は」


 例え、そこに立ちはだかる障害が人であろうと、龍であろうと、神であろうと、大切な人の道を塞ぐというのならば――等しく殺すまでだ。


 揺らぐことない意思は、歪なまでに狂った姉への忠誠。


 その少年の眦に、夜空は微かに震えた。

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