第23話 魔女の元へ


【麗国 礼子】ーー俺の元婚約者だった女だ。

アイツのせいで俺は麗国ホテルを追われ、人生を狂わされた。

もはや愛情などは一片も無く、ただ憎しみだけが募っている。


(しかしアイツもファイナリストに残るとは、さすがというか……)


 麗国礼子は、ティスティングだけは抜群に優れている。

親からの英才教育があったらしい。


 そしてもう1人のファイナリストが【黒松 健二】

俺から麗国ホテルでの地位を横から奪い去った奴だ。

こいつもまた日本屈指の有名ホテルで、多数の優秀なソムリエを抱えるネオオーニタホテルの出身者だ。

一筋縄ではいかないだろう。


「……」


「トモ……?」


 不安げな李里菜の声が、背中に響いた。

俺は眉間の皺を解き、李里菜を怖がらせないよう笑顔に気をつけて振り返る。


「お祝いありがとう。嬉しいよ。せっかく決勝戦進出を決めたからさ、俺優勝したいんだ。頑張るから応援よろしくね」


「う、うん……分かった……頑張って」


 正直、優勝なんてどうでもよかった。

 同じ土俵に礼子と黒松が立つ。

アイツらから二度も苦汁を飲まされるわけには行かない


 公式の場で、あの2人を叩きのめす。

それが1番の目標だ。


●●●


「凄いです! 全部正解です! さすがはファイナリストになった緑川さんです!」


 日髙さんが仕事終わりにも関わらず、俺の訓練に付き合ってくれるのはありがたかった。

こうして称賛してくれることも、モチベーションの維持につながっている。


 だが、これではまだ足りない。

礼子と黒松を叩きのめすには、全然足りていない。


「もう少し訓練したいから、新しいワイン開けてもらえるか?」


「え? ま、まだ空けるんですか?」


「金なら払う。残ったワインはグラスで提供してくれて構わないから」


「わ、わかりました……」


 金を惜しんでいる場合じゃない。

今が俺に取っての正念場なのだから。


……

……

……


「トモー……ごはん……」


「……」


「トモーっ!」


 ようやく李里菜の声が耳に届き、ティスティングしていたワインから顔を上げた。

そして自室の扉を開くと、ふんわりスパイシーな香りが鼻を突く。


「この匂いって、今晩はカレーかな?」


「そ、そうだよ! 前にトモが作ってくれたキーマカレー! 美味しくできた!」


「……ありがとう。でも、ごめん。今はちょっと辛いものは……」


 辛味とは味覚ではなく、舌への刺激だ。

痛覚への刺激と言ってもいい。今、そんなものを口に運ぶわけには行かない。


「辛いのダメ?」


 李里菜はおっかなびっくりな様子で聞いて来た。


「ごめんね。決勝戦が終わったらちゃんと頂くから、冷凍保存しておいて」


「……ご飯は?」


「自分でするから、気にしないで」


 ティスティングはなるべく空腹で行ったほうが良い。

食欲が満たされてしまうと、感覚が鋭くならないからだ。

特に今は、どうしても特徴が捉えきれないブドウ品種のワインがあるため、食事は後にしておきたい。


「……わかった……トモ……」


「?」


「身体、大事にね?」


 李里菜はそっと扉を閉じ、俺の部屋を後にする。


 さて、またティスティングに戻らないと。


 そんな中、スマホが震えた。

誰かと思って画面を覗き込むと、一瞬で背筋が伸びる。

俺は慌てて通話アイコンをタップした。


「は、はい! ご無沙汰しております!」


『やぁ、緑川君。まずは決勝進出おめでとうさんだねぇ……』


 スマホの向こうから、なつかしい"魔女"のような声が響いてくる。


「ご、ご存知でしたか。さすがは【不動さん】です!」


『私に知らないことはないのさ。というか、その程度の情報、ネットに載ってるんだから知ってるに決まってるじゃないか。特に可愛い君のことなら、死に物狂いで探すさ。くく……』


「ははっ! あ、ありがとうございます。それで何か御用、ですか?」


『今週末、店を開けているよ。おいで』


「マジですか!? 行きます! 行かせていただきます!」


『ふふ……いい返事だ。君のそういう従順なところが大好きだよ。久々に存分に可愛がってあげるから覚悟をしててねぇ……』


ーーまさか、あの【不動さん】から直接連絡をくださるだなんて!

俺は早速仕事の予定を確認するのだった。



●●●



【不動 沙耶香】さんーー麗国ホテルの元チーフソムリエで、俺の師匠に当たる方だ。

かつては国際ソムリエ選手権で、日本代表候補の1人にまで残ったこともある逸材でもある。


麗国ホテルを退職して以降は、とある山奥で"Abyss"という名の、ワインバーを不定期で営業している。

Abyss……深淵……不動さんにはよく似合う店名だけど、そんな不穏な名前で、更に不定期営業って、ちゃんと収益があげられているんだろうか……。


 更にーー


「はぁ……はぁ……! 相変わらず、はぁ……きっつい坂だなぁ……!」


 急勾配の坂道をなんとか登り切り、山の頂上付近に達する。


 濃い霧の向こうに、ぼんやりと見える少し不気味な山小屋。

看板などは一切掲げられておらず、知らない人がみればただの山小屋なのだが……ここが不動さんのワインバー"Abyss"だ。


 店の雰囲気と良い、不動さん自身といい、本当に雰囲気が魔女っぽい。


「ち、ちわーっす……」


 しかし落ち着いたカウンターしかない店内には、不動さんの姿どころか、人っ子一人見受けられない。

あれ? 今日は営業しているはずじゃ……


 すると突然、俺は顎の辺りへわずかな感覚を得る。


「やぁ、智仁。久しぶりだねぇ」


 不動さんだった。彼女は持ち上げた俺の顔を、上から覗き込んでいた。

相変わらず、この人の真っ黒な瞳はまるで深淵のようで、不穏でもあり、しかしどこか落ち着くものがある。

 

「居たんですね。てか、もっと普通の登場してくださいよ」


「おや? 驚かないねぇ……残念だねぇ……」


「何度こういう登場をされたと思ってるんすか。さすがに慣れますって」


「なんだい、残念だねぇ……君の小鳥のような囀りを久々に聞きたかったのにねぇ……くくっ」


 相変わらずの不動さん節だった。

元気そうでなによりだ。


「それじゃ等々力くん、後は頼んだよ」


「ういっす! 姉さん!」


 何故か正面のバーカウンターには、エプロン姿の等々力の姿があった。


「なんでお前、ここにいんの?」


「姉さんに今日は一日店を回してくれって頼まれたからな!」


「俺、お前に今日ここへ来るだなんて言ってないよな……?」


「これさ」


 すると不動産は手品のように俺の目の前へ逆さまのタロットカードを晒した。


「今日、君がここへ来ることはお見通しさ」


「占いって……しかも、俺"愚者"っすか?」


「ひよっこな君は、私にとっては可愛い愚か者さ。あと、今日はもう1人、君のお相手をお呼びしているよ?」


「もう1人?」


「さぁ、出ておいで。可愛い卵ちゃん」


「ど、どうも……」


 別室の扉から出て来たのは、すごく恐縮した様子の"日髙さん"だった。


「なんで日髙さんまで……」


「彼女にはオブザーバー兼、もし店が混んだよって時、私の代わりソムリエをやってもらおうと思ってね」


「きょ、恐縮です! 【不動さん】のお店の看板に泥を塗らないように、頑張ります! あっ! もちろん、緑川さんのお相手も、です!」


 日髙さんが緊張するのも無理はない。

だって、不動さんは業界じゃ超有名人だもんな。

しかも、素でこのとっても濃いキャラクター。

メディアが見逃すわけがない。


……だから、礼子のやつが一方的に嫉妬して、不動さんを麗国ホテルから追い出したんだけど……ていうか、不動さんの方から出て行ったが正しい。


「さぁ、智仁。始めようじゃないか。久々に可愛がってあげるよ、くく……!」

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