第21話 ワインはグラスで……それは≠


「久しぶりだね、日髙さん。今日はありがとね」


「ご無沙汰しております。こちら、この葡萄園の主の小野さん夫妻です!」


 山の上にある勝沼ぶどう郷駅からタクシーで平地へ降り、目的に葡萄園に到着していた。

ここが今紹介された小野さん夫妻がサリスワインへ提供する甲州の畑らしい。


 棚式栽培による、緑一色の天井。

そんな緑の天井からは、白い傘紙で大事に守られた、立派な"甲州"がぶら下がっている。

 甲州の果皮の色は"灰色がかった赤"と聞いていたけど、白っぽいものや緑のものもあると、その時初めて知った。 


「初めまして、緑川と申します。フリーランスソムリエをしております。本日はよろしくお願いします」


「あらあらご丁寧に。ゆうきちゃん、良い人見つけたじゃない」


「あ、あ、えっとぉ!!」


 ニヤニヤ顔の小野夫人に小突かれ、日髙さんは恥ずかしそうに俯いた。

まぁ、確かにこの状況じゃそう見られても仕方ないだろうけど……


「違い、ます! 日髙さんは、トモの弟子ですっ!」


 颯爽と俺と日髙さんの前に李里菜が立ちはだかり、小野夫妻へそう言い放つ。


「緑川 李里菜と、言います。私がトモの……家族です!」


「あら、そうなの……?」


 おいおい、小野さん奥さん、さっきと違って俺を変な目で見てるじゃないか!


「この子、姪っ子なんです! 決して小野さんが想像しているような間柄では!」


「あらまぁ……」


 小野夫人……今のあらまぁ、とは一体どういうリアクションなんだ

なんか妙にワクワクした視線をしているような。


「石黒寧子です! 今日は収穫のご指導よろしくお願いしますなのです! ほら、クロエもご挨拶!」


 石黒さん、もしかして流れを変えようとして、突然挨拶を?

 なにはともあれ、妙な空気はこれで払拭され、いざ"甲州の収穫体験"がスタートとなるのだった。


……

……

……


「傘紙を取るチームと収穫するチームに分かれて作業をしましょう。その方が効率が良いので。それじゃあ……」


「そこの三人は、私と傘紙の回収をしましょうね!」


 なぜか、小野さん夫人は石黒さん、田崎さん、森さんの三人を指名した。


 となると、当然収穫チームは李里菜、日髙さん、園主の小野さん、そして俺となる。


 なんだか今日はこの布陣、すごくまずい気がする……


「マダム小野、nice采配ネ!」


「あら? お嬢ちゃんも昼メロ好きなのかしら? うふふ……」


「同類が揃っちゃのですね……」


「何も起こりませんように! 何も起こりませんように! 刃物があるけど何も起こりませんように!」


 森さん、そこまでお祈りしなくても良いような……


 ともあれ、チームに分かれた収穫作業がスタートする。


 小野さんはまずは一房甲州をもぎ取り、たわわに実った甲州をみせてきた。


「日髙さんには今更かもしれないけど、緑川さんたちのために説明をしますね。まずは収穫の仕方ですけど、葡萄の軸はなるべく根本から切ってください。剪定作業の時に枝が抜きやすくなるので。で、この長く切った軸も……」


 小野さんは収穫鋏で、房から長く伸びた軸の先端を切り取った。


「軸が長い状態で収穫箱に入れてしまうと房を傷つけてしまいます。だから可能な限り、軸は短く切って、この状態で箱へ収めてください」


「この変な実も切った方が、良いですか?」


 李里菜は房の中にあったややしなびた顆粒を差しし示す。


「病果なのでとってください。あとミイラのようにカピカピになっているものも。残っていても、良いことはありませんしね」


 そう小野さんは語りつつ、手際よく病果を切り取っていた。

さすがは現役農家さん。

感心してしまうほど、とても手際が良い。


 そして小野さんは練習にと、李里菜へ甲州を一房手渡した。


「こ、このオレンジ色の粉みたいのがついてる粒も切って良いんですよ……?」


 日髙さんはおっかなびっくりな様子で、李里菜へそういう。


「実、萎びてない?」


晩腐病ばんぷびょうっていって、これがついてる果実は後々しなびてきちゃうんだよ」


「これが晩腐!」


 おおっと、李里菜さん良いリアクション。

どうやら代表的な葡萄の病害は抑えているようだ。

 日に日にワインに関して成長していて嬉しい。

それにこの様子だったら日髙さんとも……


 しかしことはそう単純ではなさそうだった。


 収穫作業は自然と小野さんと俺、李里菜と日髙さんといった構図に分かれてしまったのだ。


「……」


「……」


 別に収穫作業自体、喋りながらおこうなうものではない。

 チョキチョキ、パチンパチンといったハサミ音だけが響き渡っている。

 李里菜と日髙さんは付かず離れずの距離で、黙々とブドウを収穫し続けている。


「ふん! うぬぬっ……! 届かないのですっ……!」


「ネコちゅわぁん! ワタシが抱っこしてあげるネ!」


「そ、それっ! 私もやりたい!」


「2人ともそれは失礼なのです!」


「三人は仲良しなのね。ほら、このビール箱を踏み台としてお使い」


 対して石黒さん達、傘紙回収チームは楽しそう和気藹々と作業をしていた。


 まぁ、あそこまで盛り上がれとは言わないけども……どうしたものか。


 そうして悶々としつつ、作業をしていれば収穫は昼過ぎには完了できた。


「今日は本当にありがとね! 良かったらうちのブドウを使ったワインを飲んで行かないかい? 実はお昼ご飯も用意しているんだよ」


 そういって小野さんが掲げて見せたのは、"茶色い一升瓶"だった。


「日本酒の瓶? それワイン、なんですか!?」


 真っ先に李里菜が食いついた。

作業中とは違いって、かなり興奮しているようだ。


「これが山梨の密かな名物"一升瓶ワイン"だよ! ですよね、日髙さん!」


「そうそう! 多分、一升瓶ワインがあるから、山梨県は日本一のワイン消費県なんだよね!」


 この後はワイナリー巡りを考えていたけど……李里菜の視線は一升瓶ワインへ"ほわぁ"といった具合に釘付けだ。


 石黒さんワクワクした顔をしているし、"少し甘口の味付け"と聞いた途端、あの田崎さんでさえ「お相伴に預かりたいネー!」というこの状況。

 ここは小野さんのご厚意に甘えさせてもらうとしよう。


 ならせっかくだし、あの飲み方をみんなへ紹介してみようじゃないか!


「お世話になります、小野さん。お世話になるついでに、アレを使ってでこのワインを飲みたいんですけど」


 俺は小野さんへ向けて、アレのジェスチャーをして見せた。

それを見た途端、小野さんは嬉しそうに微笑んでくれた。


●●●


「お茶、飲むの? ワインじゃないの?」


「お茶なんて飲まないよ。一升瓶ワインはこれで飲むのが乙なんだよ!」


 俺は李里菜を初め、みんなが手に持った持った大きめの"湯呑み"へワインを注いでゆく。

白ワインなので、遠目でみれば日本酒を注いでいるようにも見えなくない。


 そうしてみんな湯呑みに注いだワインを口へ運ぶと……


「優しい味がするのです……」


「デリシュゥス!!」


「やっぱり一升瓶ワインは湯呑みで、だよねぇ……」


「うまし……」


「みんな、良かったら次はこっちで飲んでみて」


 と、日髙さんがバックから取り出したのは、プラスチック製の使い捨てワイングラスだった。


「良くそんなの持ってきたね?」


「たぶん小野さん、一升瓶ワインをご馳走してくれると思ってまして」


 今度は日髙さんがプラスチックグラスへ、一升瓶ワインを注いでゆく。


「ーーッ!? こ、これ、同じワインなのですか!?」


「ワタシ、湯呑みの方が良いネー!!」


「ふふ、相変わらず酒器って魔法道具マジックアイテムみたい」


「……なんで、こんなにも味が違う……?」


 李里菜は興味深そうにワインを眺め、俺へ視線を向けてきた。

一瞬、口を開きかけるも、声を発するのを止める。

代わりに、日髙さんへ視線を向けた。

俺からの視線を受けた日髙さんは、


「ワ、ワインも、日本酒もだけどね、飲む器によって味が変わるんだよ?」


「……」


「えっと……」


「なんで、ですか?」


 李里菜がそう聞き返すと、日髙さんは意外そうな、しかし少し嬉しそうに破顔する。


「えっとね、器の口の大きさによって立ち昇る香りの量や、口の中に入る液量が変化して、味が変わるんだよ! 湯呑みは飲み口が広いから香りは取りづらいけど、幅広く液体が口の中に入るからまろやかに感じるんだ!」


「もしかしてグラスはその逆?」


「そうそう! 湯呑みに対してグラスだと香気が一点に収束しやすいから、香りを取りやすい。液体も直線的に口の中へ入るから、酸を感じやすくなって、ややシャープな味わいに感じるようになるんだよ!」


「なるほど……グラスの形も変われば?」


「う、うん! 李里菜ちゃんは、風船みたいに大きいワイングラスってみたこと……」


 李里菜は興味深そうに日髙さんへ色々質問をしていた。


 インプットした情報はこうして誰かへアウトプットすることで、本人の良い勉強になる。

これでどことなく垂れ込めていた2人の重そうな関係は、少し軽くなるのだろう。

俺が語るよりも、色々と良いと思った結果だった。


●●●


 かくして甲州の収穫は終了し、夕方の電車で一路地元へ戻った智仁達。

 程よい疲れで眠っている彼の後ろの席。

そこに並んで座っている李里菜とゆうきの姿があった。


 お互い、智仁の隣に座りたい気持ちはあった。

しかし彼はすごく疲れている様子だったので、ゆっくり休んでほしい。

そう思い、行動した結果がこれである。


「……日髙、さん」


「なに?」


「あなたが良い人なのわかりました。叔父の……トモの、弟子であるのも……でも……負けません」


「……ま、負けない? なんの……?」


 李里菜はそっと目を閉じ、寝たふりを始めた。


 ゆうきが苦笑いを浮かべたのはいうまでもない。

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