第17話 李里菜のティスティング初体験


「さぁ、まずは皆さん、この二杯のワインをティスティングしてみてください!」


 リビングのテーブルに集った李里菜たちの前へは、赤ワインの入った2のグラスが脚並べられている。


「ブラインドティスティングですね! 燃えるのです! 今日こそは沙都子ちゃんよりもいいコメントして見せますです!」


「かかってらっしゃい、寧子ちゃん。負けたらまた寧子ちゃんをクンクンさせてもらうからね?」


「ひぃっ! ぜ、絶対に負けないのです!」


 なるほど石黒さんと森さんはブラインティスティングを理解していると。


「赤ワイン……苦手ネ……白の甘口が良いネ……」


 田崎さんはあまり興味がないと。


「両方とも黒々とした外観……ふぅむ……」


 日髙さんはまるで試験の時のように、グラスに入ったワインを繁々と眺めている。

いつもながら勉強熱心だ。


「……」


 そんな中、李里菜は1人、めちゃくちゃ不安そうな面持ちだった。

肩もガッチガチ、若干震えているような。

そういや、李里菜にブラインドティスティングをしてもらうのって初めてだったよな。


「李里菜、一緒にやろう」


「トモ……?」


「やり方を教えるよ。当てる必要はない。これを習得しておくと、ワインがもっと楽しめるようになるから!」


「わかった! ありがと! ご指導お願いします」


 横に並ぶと、李里菜の表情が明るんだ。

 すると斜め前の席に座っている田崎さんの目が光り輝いて、石黒さんに軽く小突かれ、森さんは苦笑いを浮かべている。


 この子たち、本当に仲がいいんだなぁ。


「そんじゃ制限時間は5分! ブドウ品種と生産国がどこなのかを教えてね。それじゃスタートっ!」


 みんなは一斉に真剣な表情でワインへ向き合い始めた。

 俺も李里菜と一緒に二杯の赤ワインへ視線を寄せてゆく。


「簡単に流れを言うと、まずがワインのラベルを見ずにの外観を観察、匂いを嗅ぐ、そして最後に口へ運ぶ。これがブランインドティスティングの流れだ」


「分かった!」


 李里菜は早速グラスを手に取ると、ワインを繁々を眺め始めた。


「どんな色をしてる?」


「すごく黒い? 赤ワインなのに?」


「いいね良いね、その調子。たしかにこのワインは色素が多くて、俺にもすごく黒く見える。この色合いからこのワインがブドウだったときは、どんな様子だったと思うかな?」


「黒いブドウ?」


「そうそう! ブドウの色づきは品種由来か、生育環境の気温の影響か、その両方かが考えられてね。ともあれ、これだけ色はあるってことはブドウが健全な環境で育って、良い成熟をしたブドウを減量にしているって判断できるかな。それじゃあ次は香りを!」


 李里菜はグラスを形の良い鼻に近づけた。

 その横顔はまるで、かつて憧れた晶さんのようで、意図せず胸が高鳴ってしまう。


「トモ?」


「あ、ああ、いやなんでも! で、そんな香りがした!?」


「ブドウの匂いすると思ったけど、ちょっと違う?」


「良いね良いね!では三択を与えよう! ラズベリー、ブルーベリー、ブラックベリー、この三つの内、そのワインに一番適する言葉はどれかな?


「ブラックベリー?」


「うん、良い感じ! このワイン、色が濃いし、香りも濃いイメージになるね」


 もっと表現方法はいろいろあるけど、概ね今の三つの表現で"赤ワインワインのいろ濃さ"に対応した香りの表現になってゆく。

もちろん例外はあるけど、このワインに限っては王道の捉え方でOKだ。


「他には何か感じるかな?」


「ちょっと、スゥーっとした匂い、あと、なんだろ、これ……」


「もしかして胡椒?」


「そう、それ! 黒胡椒っ! なんかちょっと、スパイシー!」


 李里菜はいいセンスをしていると思った。

 そして最終段階である味わいへ移ってもらう。


「ワインを少し含んで、口の中へ満遍なく回すんだ。ちなみに舌先は甘み、両脇は酸味、中心からやや奥は苦味、歯茎の辺りは渋みを感じるって言われてるよ」


「頑張る!」


 李里菜はおっかなびっくりな様子でグラスを手に取った。

そしてなぜか、血色のいい真っ赤な舌をちょっと出した。


「な、なにしてんの?」


「ぴちゃ、ぴちゃ……んっ……んー? こっちの方が効率いい、と思って?」


 ワインをまるで動物みたく舌先でチロチロ舐めていた李里菜だった。

 みているこっちがとても恥ずかしい気持ちになった。

だめだよ李里菜さん、他の人がいるところでそんな姿を見せちゃ……


「ちゃ、ちゃんと口の中に含んでやってね……」


「こっちの方が効率良さそうなのに……」


「良いから早く!」


 李里菜は渋々と言った様子で、ワインを口へ含んだ。

柔らかそうな頬が周期的に蠢いている。

ちゃんとワインを口の中で回してくれているらしい。


「ん? んん、んーん?」


「飲み込んでいいよ」


「んっ……ごくっ、んぐっ……ぷはぁ!」


「どうだった?」


「ちょっと苦い……でも、美味しかった!」


「どう美味しかったのかな?」


 美味しいという表現は便利な反面、分析をあやふやにしてしまう。

だからこそ……


「甘み、酸味、苦味と渋みで分解してみると良いですよ?」


 隣で既にティスティングを終えていた、日髙さんがそう助言をしてきた。


「良いアドバイスだね。さすがは日髙さんだ!」


「い、いえ、それほどでも。緑川さんのご指導があって、今の私がある訳ですし!」


「甘みと酸味が丁度いい! 苦味と渋みがあるけど、良いアクセント! だから美味しいって感じた!」


 突然、俺と日髙さんの間で李里菜が味わいのコメントを叫んだ。

 ちょっと、怒ってる? 

 もしかして、既に李里菜にはテイスターとしての対抗心が?


「良いコメントだよ、李里菜! じゃあその調子で、二杯目も行ってみようか!」


「やるっ!」


 李里菜は一瞬、日髙さんを睨んだような気がした。

良いぞ、李里菜。そういう対抗心こそが、実力を上げてゆく。

頑張れ! 昔の俺も側に【不動さん】がいたから、ここまで漕ぎ着けることができたんだから。


 そうして李里菜へ二杯目も軽く助言をしつつ、進めてもらい、所定時間の5分が過ぎたのだった。


「よし、終了! それじゃあ我先にと答えを出したい人は、挙手……」


「はいです!」


 真っ先に手を挙げたのは、サークルのリーダー石黒さんだった。


「1番、メルロ、アメリカ。2番、フランス、カベルネソーヴィニョンなのです!」


 なるほど、石黒さんはそうでたか。

 隣の田崎さんは、首を横に振る。どうやらお手上げということらしい。


 ならば三人の中の真打、森さんへ聞いてみよう。


「森さんの答えは?」


「えっと……1番はシラーズ、オーストラリア。2番は……フランスのシラー……でしょうか?」


「あっ! 私も同じ!」


 自信なさげだった森さんだったが、日髙さんの解答を聞いて、やや安心した様子を見せた。


 李里菜は……まぁ、ワインを始めたばかりだし、品種のこともよくわからないだろうから、回答を促すのは酷だろうし、パスしておこう。


 俺は森さんと日髙さんへ向けて拍手を贈った。


「森さん、日髙さん2人とも素晴らしい! 大正解だ!」


 俺は2人が指摘した通りのワインボトルをテーブルへ並べた。


「じゃあせっかくだから森さんは1番の、日髙さんは2番の判断した根拠を教えて」


「1番は色が濃く、濃厚な果実や特徴的な黒胡椒のニュアンスが取れました。味わいもしっかりして、酸も穏やかで、温暖なオーストラリアを想像して、この答えになりました」


「良いね! じゃあ、日髙さん2番を!」


「は、はいっ! えっと……色の濃さは一緒ですけど、香りに少し動物的なニュアンスを感じました。酸は1番と比較してしっかりしていて、涼しい気候が想像できたので、ローヌあたりのシラーかと」


 森さんと日髙さんは合格点だった。

スラスラとコメントをしていた2人を石黒さんと李里菜は関心しているようだ。


 さて本番はこっから……


「じゃあ、正解した2人にエクストラクイズ! このワインは何かな?」


 驚く2人へ向けて、俺は新たなワインを一本取り出す。

実はこれ、今夜飲もうと俺が買ったやつだったり。


「シラーだよね……でも……うーん……」


 森さんは真剣にワインへ向き合っているのか、テーブルの上へ大きな胸を乗せ始めた。

胸の大きな人って、それだけで肩こりの原因になると聞いたことがある。

だからワインへ集中するためにそういう姿勢をとっているのだろう。

 なんだか李里菜と石黒さんが羨ましそうな視線で見ているような……


「シラーなのはわかる! だけど何、この味わい……どこなのぉ……!?」


 日髙さんも困惑した様子でワインに向き合っていた。

 ふふ、良い具合で悩んでいるぞ。


「寧子とクロエはどう思う……?」


「ワタシ赤ワイン専門外だからわっかりませんネー!」


「右に同じくなのです。でも、最初の2杯とまた違って、美味しいのです!」


 おお! 李里菜が自らにお友達に声をかけている!

 とっても良い傾向だ。


「李里菜はこのワインをどう思う?」


「わ、私にも聞くの……?」


 李里菜は少し嫌そうで、恥ずかしそうな。


「みんな迷ってるみたいだからさ。こういう時は素直なコメントが手がかりになるんだよ」


「……」


「こういうことって正解でも間違ってても、まずは声に出すことが重要なんだ。俺もそうやって段々とワインを理解してきたんだ」


「……わかった……頑張る! 色は少し明るい?香りも……結構フルーティー、胡椒も感じる……酸味もバランス良くあって……"さっきのワインの間にある"感じ……?」


「良いコメントだね。しかもしっかり酸の存在を捉えるだなんて」


「そ、そう? トモがちゃんと教えてくれたから……」


 そして嬉しそうな李里菜の横で、日髙さんがワインから顔を上げた。


「これもフランスのシラーにします!」


「私も! 酸が特徴的で! 南フランスあたりの!」

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