第9話 ホットワイン。祝・再就職!?

 

「おい、いきなり閉めて大丈夫か?」


「今日は微妙な客入りの水曜だし、良いっての。それに閉店時間まで待ってたら、こんなに良いシャンパンのガスが抜けちまうじゃないか」


「ど、どうぞ! 緑川さんっ!」


 なぜか緊急閉店をした、ワインバルTODOROKIにて、俺はかつての同僚の等々力・日髙さんと、浅川さんが置いて行ってくれたシャンパンを飲むことになっていた。

 こりゃ遅くなりそうだな。

一応、李里菜には遅くなる旨のメッセージを入れておこう。


「にしても、まさか緑川が麗国を辞めるとはなぁ。お姫様とはどうなったんだい?」


……いきなりそのことを聞いてくるか、等々力 慎二……まぁ、今更だし……


「アイツ、新しい男に乗り換えるってことで俺をフったんだよ。さらに左遷させられて、働くのが嫌になったから辞めてやった」


「マジか……」


「お前見たく総料理長をぶん殴って、懲戒解雇になったわけじゃないからな。あくまで自主退職だ」


「あはは! もしもお前がお姫様をぶん殴ってたら、それはそれで愉快だったけどな!」


 等々力は腕の良い料理人で、基本的には良いやつなんだけど、少々豪快すぎるところがある。

総料理長ぶん殴り事件の時も、素直に謝ってりゃクビになんてならなら無かったんだろう。

まぁ、でもそういうところが等々力らしいといえば、らしい。


「でも辞めて大正解だったぜ! 小さい店だけど、一国一城の主になれたわけだし!」


「そうみたいだな」


「"ゆうき"の親父さん、このビルのオーナーで、昔からの知り合いなんだ。で、辞めたことを相談したら、条件付きで開店を支援てくれてな」


「条件?」


「娘の"ゆうき"をソムリエールとして働かせるってことで! 俺、ワインのことは語るほどでもないし、ちょうど良いなって。しかも"ゆうき"はこの見た目だろ? 良い客寄せパンダになってくれると思ってな!」


「パ、パンダみたいに魅力ないですよ、私……」


 日髙さんは顔を真っ赤に染めながら、消え入りそうな声でそういう。

もしかしたらこの子は、自分にあまり自信の無い子なのかもしれない。


「俺はこの店に入った途端、日髙さんが迎えてくれて良いお店だなって思ったけどな」


「えっ……?」


「表情は明るいし、声も大きすぎず、小さすぎず、それでいて聞き取りやすい。それに清潔感もある。接客係は看板と並んで店の顔なわけだし、パンダ以上に魅力があったと思うな、俺は」


「あ、ありがとうございます! 緑川さんのような凄い方に褒めていただいて嬉しいです!」


 日髙さんは声を弾ませ、喜びを露わにしてくれた。

これで多少は自信をつけて、これからも頑張って欲しいと思う。

そういや、日髙さんさっき何か言いかけていた様な気がするけど、なんだったんだろう?


「なぁ、緑川、少し突っ込んだ話していいか?」


 突然、等々力が真剣な声を上げた。


「なんだよ?」


「お前、今何か仕事してるのか?」


「あーいや、それは……まだ一生懸命求職中という状況で……」


「ならうちで働かないか?」


 なんとなく流れから、こういう話になるんじゃないかとは予想していた。


「ご存じのとおり、ゆうきはまだまだ半人前で、ダメダメだ」


「すみません……」


「といって俺もワインのイロハを教えるほどわかっちゃいねぇし、厨房もある。お前のように厨房も、ホールもわかってるやつがいると助かるんだがな。ついでにゆうきのことも扱いてやってくれ。もちろん、バイトじゃなくて正社員待遇でだ」


「私も是非、緑川さんの下で働かせていただきたいです! よろしくお願いしますっ!」


……ありがたい話ではあった。

元同僚で仲の良かった等々力と、素直そうな日髙さんとなら上手くやって行ける自信はあった。

しかし、


「ありがとう等々力、日髙さん。でもちょっと考えさせてくれないかな」


●●●


 気がつけば時計は夜の10時を回っていた。


 まぁ、李里菜も20歳を超えた大学生だし、心配し過ぎだとは思うけど。

それでもなるべく早足で、マンションへ戻ってゆく。


「ただいま」


「おかえり、なさいっ!」


「ど、どうしたぁ!?」


 帰って早々、目元を真っ赤に晴らした李里菜に出会した。

まさか、俺がいない間に、李里菜になにか!?

俺は急いで靴を脱ぎ捨てて、李里菜へ駆け寄ってゆく。


「何かあったのか!? なんで泣いてなんか!?」


「ごめんなさい……何もない、ですっ……」


「じゃあなんで泣いて……」


「トモが、ちゃんと帰ってきてくれたからっ……!」


 ああ、そうか……やっぱり李里菜は、未だ兄貴達の事故のことを引き摺っているんだ。

確か兄貴も晶さんと2人っきりで出かけてそれっきり帰ってこなくて。


「ごめんな、不安がらせて。たまたま立ち寄った店で、前の同僚に会っちゃってさ。懐かしくてつい……」


「お仕事のお付き合い、大事っ。私がわがまま……ごめん、なさいっ……」


 部屋の空気が驚くほど冷たかった。

こんな寒い場所では、余計に気持ちが萎えてしまうだろう。

今は少しでも李里菜の気持ちを落ち着ける必要がある。


「李里菜、一緒にあったかいもの飲もう」


 そう提案し、俺は早速準備に取り掛かった。


 冷蔵庫には【飲み残しの赤ワイン】

まずはそれをアルコールが飛ばない程度に温めた。

ほのかに湯気が上がった段階で【カシスリキュール】をキャップ一杯注ぐ。

保温グラスへそれを注いで、軽く【シナモン】を振りかければ、


「熱燗?」


「それは日本酒だって。ホットワインだよ。甘くて美味しいよ」


 李里菜はゆっくりと耐熱容器へ、桜の花びらのような唇を添えた。

途端、暗く沈んでいた顔が、まるで満開の桜のように華やいだ。


「美味しい……」


「もしもこんな時間に食べても気にならないなら、チョコレートもどうぞ」


 李里菜は差し出されたチョコレートを食べつつ、ホットワインを嬉しそうに飲んでいた。


……やっぱり、まだダメなんだな、と思い知った。

李里菜は未だ、いきなり両親を失ったショックから立ち直っていない。

だから家族として、なるべく側にいる必要があると思う。


 等々力の提案はありがたいけど、やっぱり飲食店のような不規則な勤務体系職場は、今の俺にとって……


「トモっ」


「ん?」


「ありがとっ!」


 いや、李里菜のためとか、そんなの言い訳だ。

李里菜と過ごす時間を大事にしたい。

彼女のためではなく、俺がそれを望んでいるんだ。


●●●


 翌日、俺は昼から仕込みをしているという、等々力の店を訪れた。


「よぉ! 昨日の回答にきてくれたんだろ?」


「あ、ああ……まぁ……」


「おいおい、その気のない返事って……」


「悪い等々力! お誘いには本当に感謝はしている。でも、ごめん」


 俺は今の自分が置かれている状況を、等々力へ包み隠さず話した。

 昨日の李里菜の涙のことも含めて。


「そうか、お前も色々大変なんだな」


「悪いな、本当に……」


「……つまり、通常営業にはあんまり協力できない。そういうことだな?」


「ああ」


「だったら、昼やってくれよ」


 突然の等々力の提案に、俺は困惑する。


「昼って、ワインバルの?」


「おう。実は来週からランチ営業をしようってな。それに良く来るマダム達に昼にワイン会をしてくれって頼まれててよ。ゆうきは夜番。お前が昼番ってことで。本当、たまに夜の営業もやってくれると嬉しいがな」


「ありがたい話だけど、そんなんで良いのか?」


 ランチ営業は"店の存在を知ってもらう"といった理由で実施していることが多い。

気軽なランチでお客を呼び込み、夜の営業に足を運んでもらうためだ。

正直、ランチ営業はあまり儲けにはならないので、人を雇ってもアルバイトが良いところだ。


「基本、ワインの仕入れなんかはゆうきに任せてるけど、まだあれだろ? だからアイツを指導をしつつ、この店の飲料のコンサルティングもして欲しいわけよ」


「まぁ、それは良いけど、バイトにそんなことまでさせて良いのか?」


「バイト?」


「いや、どう考えった、ここで働く俺はバイトだろ?」


「馬鹿! おめぇみてぇな凄いやつにバイトなんかさせられっか! 俺は"フリーランスソムリエ"の緑川 智仁に業務委託契約を持ちかけている」


「フリーランスソムリエ……?」


 俺がおうむ返しをすると、等々力はしてやったりといった表情でタブレットを机へ置いた。

そこには"フリーランスソムリエ"と名乗り、活動をしている人のSNSが映し出されている。


「この人は例えば自宅のワイン会に出張してサービスをしたり、記事を寄稿したりしている。この人なんて個人的に関係のある店を毎日渡り歩いて、更に自分でワインを輸入したりしてるんだぜ?」


「ほう……」


「今の時代、働き方は多種多様だ。一つの組織の組織に縛られるだけが仕事っていう時代じゃないし。それにお前にはこの"フリーランスソムリエ"が似合っているような気がする」


「フリーランスソムリエ……」


 改めて、今しがた知ったばかりの新しい仕事を反芻した。

確かにこの働き方であれば、等々力・日髙さん、そして李里菜の双方にもウィンウィンだ。


「もちろん、俺も最大限客を紹介したりして、最大限バックアップをすると約束する。だから、フリーランスソムリエの第一歩をうちで初めてみないか?」

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