11章 間違った性知識
11章 episode 1 進路相談?
◆ 大学院を目指してのゼミ選びに、青木は探りを入れた。
学食で、青木の隣にすーっと座った藤井は、
「私のようなバカが大学院なんて無理でしょうか?」
「唐突に何だ? 驚いて喉が詰まりそうになった、静かに食わせてくれよ。やっと学びたいものを見つけたか?」
「はい、うっすらと見えて来ました。4年生のゼミ選びにアドバイスをいただけませんか。女性がハンデなしで仕事を続けられるような社会が実現したらいいなって、考えました。それをサポートする法律を学びたいです」
「うーん、人気があるゼミや司法試験の合格率が高いゼミは試験があるぞ。率直に聞くが成績はどうなんだ? それがわからないとアドバイスは出来ない」
「普通です。でも後期の成績に期待してますけど、やっぱり無理かぁ」
青木は考えた。あと1年で卒業して俺の前から消滅するより、院生か、それもいいなあ。出会って3年も経ったのか、この子はさまざまな経験をして多くのものを得ただろうが、俺は一体何をしていた? 俺はダメな男だ。力になれるものならなりたいが…… 法学なら神崎さんのゼミがピカイチだが、入れるだけの成績はないだろう。神崎さんに聞いてみようか。
数日後、青木は神崎に話した。
「僕の高校の後輩で藤井という女子学生がいますが、ご存知ですか?」
「ああ、家来がたくさんいる子だろう? 最近は真面目に勉強しているようだ。流した講義はボーッと外を眺めて、裏話や制定された経緯や理由、つまり教科書に載ってない講義は聴き入る。その子が何か?」
「先生のゼミを希望していると言ったので」
「そのことか。家来の本間くんから母親のことを聞いた。選挙応援やダンス選手権のことも知っている。目標が決まったら走れる子みたいだな。ところで、あの子は政治家の泉谷さんの隠し子か?」
「いや、僕と同郷で家が近所だったので、よく知っていますがそれはありません。単なる噂です」
「そうか、面倒なことに巻き込まれるのは困ると思っていたが安心した。本人との面談次第だ、楽しみだ」
青木は神崎の感触を早く知らせようと舞美に電話したが、食堂で忙しいので申し訳ないが来てくれないかと返事があった。バカやろう! 何をノンキなこと言ってるんだと腹を立てたが、食堂に向かった。
「すみませーん。おばさんが風邪でダウンしてバタバタしてますが、今日はもうじき閉めます。待っていただけますか、お腹空いてません? 何か作りましょうか?」
「いや、珈琲でいい」
珈琲を啜りながら舞美の奮闘ぶりを眺めた。注文を聞いて水を置いてキッチンに入る、一人で完全に仕切っていた。
「おばさんのご飯を作ったら終わりにします。先生、カーテン閉めてくれますか」
舞美がそう言うと、食べ終わった客は皿を流しに運んで洗い始めた。
「みなさん、ありがとうございます! 珈琲をサービスします」
やっと舞美がテーブルに着いた。
「お待たせしました。ゼミのことでしょうか?」
「法学部では神崎ゼミがトップだ。君が本当に学びたいなら神崎ゼミにしなさい」
「へえー、舞美ちゃんが神崎ゼミ?? あそこは秀才しか入れない。無謀だ、絶対無理!!」
学生客が呆れた。
「そして大学院法学研究科に進みたいなら、ゼミの勉強も必要だが重要なのは英語力だ。受験英語ではないぞ、わかるか?」
「わかります。海外の文献や新しいニュースを理解できないとスタートラインに立てませんよね。私は自分を追い込まないと頑張れないんです、神崎ゼミを目指します。先生、英語はどんな勉強をなさったのですか」
「その話は君のゼミが決まってからだ。今日は君の気持ちを確認したかっただけだ」
その夜、青木は舞美を送って行った。この子を送るのも久し振りだ。
「舞美、辛いことはないか? 一人で我慢しないで僕にも話してくれ、甘えてくれ、許してあげるよ。僕たちは恋人なんだろう」
にっこり舞美が笑った。
11章 episode 2 巨星倒れる
◆ 舞美の予感が現実になった。
士郎は寒風が吹きすさぶ凍えかけた海岸に舞美をよく連れ出した。手をつないで、鼻の頭を真っ赤にしたデートを面白がった。短い冬休みに名古屋へ戻る舞美を東名高速で送って行った。
「ごめんなさい、何も用意してなくて」
「用意とは何のことだ?」
「今、気づいたんです。今日はクリスマスイブなんですね、街のイルミで気づきました。何もプレゼントがなくてごめんなさい。どこかに車を停められますか」
そうか、クリスマスイブなのかと士郎も初めて気づいた。サービスエリアに停めた車の中で、舞美は士郎にキスした。板チョコの匂いが漂い、士郎は笑ってしまった。
舞美の家に近づき、キスして離さない士郎の腕の中で、
「聞いてくれますか。おじさんが何だか心配なんです」
この子は俺よりも親父が気になるのかと、士郎はたちまち不機嫌になった。
「おじさんが倒れそうな気がします、根拠はありません。そんな気がして怖いんです」
そう伝えて、ミッキー・シローを抱いた舞美は家に入って行った。
舞美は気になっていた南条に電話したが、大阪に研修で行っていると告げられた。年末から年始は父と娘の穏やかな日々が過ぎて行った。
1月3日の深夜、舞美は息苦しさで目覚めた。経験したことがない胸の痛みと圧迫感、全身の痺れに襲われた。「パパ、助けて! 助けて!」、やっと声をあげて廊下に転がり出た。
突然苦しがった娘に驚く父に、ケイタイが鳴り響いた。出ると士郎だった。ケイタイを父からひったくった舞美は、
「お、お、おじさんは、おじさんは大丈夫ですか!」と叫び、ヒューヒューと喘いだ。「すみません、急に胸が痛くて苦しくて死にそうです」
舞美がハアハア言いながら水を飲む一部始終を、士郎はケイタイで聞いていた。胸が痛い? 苦しい?
「大丈夫か? 父は心筋梗塞で倒れた。息はあるが意識はない。すぐ来れるか? 東京女子医大に運ぶ。頼む、君が大丈夫だったら来てくれ!」
新幹線は動いてない。車を呼んで東京へ向かい、冬の遅い夜明け近くに着いた。
父は危篤状態で集中治療室に収容され、面会謝絶だと士郎は告げた。舞美と父は病院近くのホテルに泊まり、泉谷の意識が戻るのを待った。
1月6日、泉谷は意識を回復したが、面会謝絶に変わりはなかった。
「舞美、父が会いたがっている、会ってくれ」
泉谷はベッドに横たわりチューブを装着しているが、笑顔で舞美を迎えた。
「舞美ちゃんおいで、チュウしてくれ」と手を伸ばした。
「おじさん!」
タヌキ親父め、容態が悪い素振りをして家族さえ遠ざけているが、舞美に向けたあの笑顔は何だ? 士郎は腹を立てた。
「士郎から聞いたよ。僕とほぼ同じ時刻に舞美ちゃんは胸が苦しくて倒れたんだって? 僕の胸の痛みと苦しみを半分背負ってくれたから、僕は命が助かったんだね。舞美ちゃんは命の恩人だ、士郎、そうだな」
「はあ……」
「おじさんが助かって嬉しいです! でも今はしっかり眠ったほうがいいです。もう、眠りましょう」
舞美は泉谷の目を閉じて、眠るまでずっと手を握っていた。
「おじさんは倒れそうな気がする」と言った舞美の言葉が気になった士郎は、可能な限り父に寄り添い、SPにも舞美の言葉を伝えていた。倒れたときも傍に士郎がいた。東京医科歯科大と東京女子医大病院に万一に備えて、事前にお願いしていた。この迅速な緊急体制によって泉谷の命は救われた。
昼間は泉谷ファミリーが顔を見せるので、舞美は泉谷が喜びそうな惣菜を作って、薄暗くなってから病室を訪れた。病室のレンジで熱々にした惣菜は泉谷を喜ばせた。
「ああ、旨い! 生き返りそうだ」
「何言ってるんですか、生き返ったじゃありませんか」
「そうだったな、病院食は山本たちに食わせて、舞美ちゃんを待ってたんだよ」
「はい、アーンしてください」
泉谷は子供のように口を開けて、舞美が出す箸を待っていた。士郎は呆れて見ていた。昼飯は特上の鰻を中村に買いに行かせて、鰻は浅草の『よし田』に限るとウンチク垂れて食っていた。舞美に甘えるな! いい加減にしろ、そう言いたかった。
「おじさん、明日はお昼に来ます。中庭でランチにしましょうよ」
車椅子を士郎が押し、舞美は泉谷に付き添った。
「1月なのに蝶々が飛んでます。おじさんに会いに来たのかな?」
「嬉しいことを言ってくれるなあ。僕がもう少し若かったら舞美ちゃんにプロポーズしたな」
「若いって幾つでしょう?」
「そうだなあ、50歳ではどうだ」
「やだぁ、マズイ! パパより年上!」
「じゃあ、40歳ならどうだ?」
「うーん、もうすこし若くなれませんか?」
泉谷と舞美は楽しそうに笑っていたが、士郎はその会話に入れなかった。この二人はフザケ過ぎだ!
「肩が冷えそうです」、舞美は自分のマフラーを泉谷の肩にふんわり掛けた。ヘリオトロープの香りが漂った。泉谷はこの匂いを嗅いだ覚えがあるが、どの女だったかと記憶を辿ったが諦めた。
11章 episode 3 回復した泉谷
◆ 舞美を捕まえておけ、泉谷は士郎に言った。
毎日、舞美は夕暮れどきに食堂に寄って食事を作っては泉谷を見舞った。山本と中村は、自分たちにも用意された食事を楽しみに待っていた。士郎はマスコミ対策や党内への事情説明などイラつく対応に追われ、なかなか舞美と会えなかった。
舞美ちゃん、教えてくれないかと泉谷は訊いた。
「湯河原に泊まったとき、士郎はカケに負けたとガックリしていたが、何を賭けたんだ?」
「あれはね、私と士郎さんがお風呂に入っていると、おじさんも仲間になるかどうかのカケです」
「二人で仲良く入ってるのに、なぜ僕が押しかけると思ったのか?」
「だって、おじさんはそういう人ですもの」
これには山本と中村が大笑いして、泉谷から睨まれた。
旨いおかずをどっさり持ってくる舞美に、泉谷は気が向くと、敗戦で終戦を迎えた日本、焼け野原から立ち上がった経済、高度成長期などの体験談を語った。舞美はじっと耳を傾けて聴いていた。
「おじさんの話はすごく興味あります。授業で、国民が幸せで満足できる政治はどんな政治なのか学びましたが、漠然としてました。おじさんの話で、国の方向を決める政治の大切さが少しわかりました。また聴かせてください」
明日が退院という夜、泉谷は士郎に、
「俺は残された自分の命を考えた。今回は助かったが、そう何度も助かるはずがない。士郎、よく聞け、俺には政敵が多い。俺が死んだらお前たちを潰しにかかるだろう、お前に考えはあるか?」
父は自分の没後を考えたのか? 親父と同じで俺は派閥に属さない議員だ。しかも1年生議員だ。親父が死んだら俺の前途はないだろう。どこかの派閥に尻尾を振って入れてもらうしか道はないが、俺はしたくない、嫌だ!
「もし父さんが突然死しても僕は派閥に入らず、議員を続けます。投票してくださった方々にそう約束しました」
「ほう、一匹狼で政界を渡ると言うのか? 何も出来ずに無視されるがそれでもいいのか、覚悟はあるか?」
「僕なりの考えがあります」
「そうか、俺は安心して死ねるということだな。議員なんて辞めたければ辞めろ、平凡な幸せに満足するのもお前次第だ。話は違うが、俺は舞美ちゃんに政治とは何か、国民を幸せにするのも不幸にするのも政治だと教えた。あの子は俺のいい生徒だ。先入観を持たない真っ白な心を教えるのは楽しい。聞いた話が本当に正しいのか、あの子は考えて賢くなるだろう」
「舞美を洗脳しないでください。あの子は僕の大切な人です、やめてください!」
「そんなに大切なら、そろそろ捉まえておけ! ちょっと目を離すとどこへ転がるかわからない子だ。俺は暖かくなるまで湯河原で静養するが、早まって舞美ちゃんをホテルに引っ張り込むなよ、そんな仲だったかとマスコミの集中砲火を浴びるだけだ、自重しろ」
うるさい親父だ、これ以上干渉するな! 舞美の眩し過ぎる裸を思い出し、反応した分身を悟られないように不機嫌な顔で出て行った。
舞美は久しぶりに市村に甘えていた。
市村は舞美の秘部と戯れるのが何よりの楽しみで、インサートはしない、したこともない。抱くだけなら他の女でいいが、遊びたいのは舞美だけで、触って弄くって吸って舐めて、最後に溢れ出る愛液を飲むのが最上の悦びだった。
「坊やにはだいぶ抱かれてないな。あーあ、しっかり塞がってしまった。これをこじ開けるのは大変そうだ。どうだ、士郎がどれほどお前に惚れてるのか試すか? 短気で有名なお坊ちゃんだ、舞美を抱きたくてウズウズしてるに違いない。面白そうだ、やってみるか?
腹筋を鍛えているお前がここをギュッと締めると絶対に開かない。侵入するには暴力以外ではかなりの硬度が必要だ。お前を愛していれば何度かトライして諦めるだろう。そうでなければ強引に突っ走るはずだ。報告を楽しみに待ってるぜ」
市村は遠い昔に嗅いだ懐かしい匂いに包まれると、幸せな気持ちになる。舞美も幸せになれよ、さんざん暴れて気持ちよく眠ってしまった寝顔を優しく触って、市村も温かい眠りに落ちていった。
明日から春休みに入る2月1日、舞美は帰省する挨拶がてら食堂を手伝った。昼食時、青木がひょいと顔を見せた。
「藤井くん、泉谷さんが倒れた話は知っているが、今はどうなんだ?」
「2週間ほど入院されましたが、今は湯河原で静養中です。とっても元気ですよ」
「心配したが、元気になられたか」
「先生が倒れるかも知れないって、舞美ちゃんが士郎さんに言ったもんだから、助かったんだって。先生は舞美ちゃんを命の恩人だと喜んでます」
「泉谷さんを失うことはわが国にとっても大きな損失だ、助かって良かった。ところで君はいつ帰るんだ?」
「明後日です」
舞美を送って行きながら、
「君は士郎さんと結婚して泉谷ファミリーになるのか?」
「へぇ? そんなこと考えてません。春休み中に運転免許を取ること、自分の進路をマジに決めることです」
「ふーん、それが君の関心ごとか? 泉谷ファミリーは眼中にないのか、そうか。舞美、ずいぶん長い間二人だけで会えなかったが、まだ僕は恋人か?」
「当たり前です、恋人です」
その言葉を聞いた青木は暗がりに車を隠して、舞美の顎を掴んで気絶させるようなキスを続けた。舞美の頭はカクンとシートにもたれてしまった。
親父の無念を晴らすにはこの子が泉谷ファミリーになるのは上々の策だが、普通の男と一緒になった方が幸せになれるだろう。数えきれない辛い経験をしても、元気を演じているが本当に大丈夫なのか、一人で苦しまずにワガママ言えよ、気絶した小さな体を抱きしめた。
11章 episode 4 千載一遇のチャンス
◆ 俺は女を喜ばせたことがないのか……
14時発の新幹線のチケットを手にミッキー・シローを抱えて駅に急ぐ舞美に、「時間が取れたから送って行く。駅前で待っている」と士郎からケイタイが入った。驚いた舞美に、
「しばらく君の泣きべそも見れないだろう。途中で父に会ってくれ。さあ、乗って」
湯河原では泉谷が出迎えた。
「うわぁ、おじさん、元気になって嬉しい!」
泉谷に飛びつく舞美を横目で見ながら、士郎は今日しかないと密かに思った。
「あれっ、スケさんカクさんは?」
「彼らは要人警護で東京だ」
どうりで静かだと思ったが、これってヤバイかも知れないと舞美は思った。
市村は「女に不自由したことがない士郎は、お前をどう扱うか迷っているようだが、もうタイムリミットに近い。とりあえず怖がって拒否しろ」と教えていた。
「舞美ちゃん、夕飯まで風呂に入っといで、誰も邪魔しないよ。お父さんには連絡したからね」
舞美は大きな湯船にゆったりと浸かりながら、これかぁ? ヤバイ展開は。酒を勧められそうな雰囲気だったら、事前に飲めと市村から渡された錠剤を口に含んだ。
「独りだけの風呂もいいものだろう」と、泉谷は好々爺の笑顔で海の幸を披露した。豪華な活け作りに眼を奪われ、子供のようにパクつく舞美に、
「少しは飲めるんだろう、遠慮しないで飲みなさい」
「はい、ビールは飲めますが、すぐ席を離れるのでなんだか恥ずかしいです」
「これはどうだ? 地元の果樹酒だ。病後の回復にいいと勧められて飲んでいる。ほら、飲んでごらん」
グラスに手を延ばした舞美を笑って見ていた。
「ああ、すごいフルーティーです。みかんに蜂蜜と何かのミックスでしょうか」
舞美はグラスを飲み干してポーッと頰を赤らめた。
泉谷は湯河原の歴史や名所旧跡を語ったが、舞美はぼんやりとして眠そうだった。
「士郎、お姫様はどうやら眠いらしい。お運びしろ」
泉谷は士郎を見てニヤリと笑った。
どれだけ時間が経ったのか、士郎が頰を触って大丈夫かと訊いたが、舞美は眠ったふりをした。士郎は服を脱いで横に滑り込み、起こさないように静かに舞美の服を脱がした。それでも舞美は眠ったふりを続けた。
息が出来ない苦しいキスが続き、仕方なく眼を開いた舞美に、
「お願いだ、僕の人になって欲しい」
いきり勃ったペニスに面食らって、「イヤ! 怖い!」と舞美は逃げようとした。
「怖くない、嫌がるな、少しの間ガマンしろ!」
押さえつけて首筋から乳房を辿り下腹部に、士郎はセオリーどおりのキスを続けたが、このピンチを切り抜けるにはどうするかと考えていた舞美は、燃え上がるどころか恐怖を感じた。気持ちがないまま裸にされて、本当に寒くなって震えた。士郎は怯えて震えていると勘違いした。
今にも泣き出しそうな舞美の唇を塞いだまま何度も試みたが、ほんの少し進んだだけで押し戻されて奥に進めない。こんな女は初めてだ。焦れた士郎は首を振ってゴムを捨て、生身で突入しようとしたが、舞美は「痛い! 痛いよ! イヤ!」と騒いで、大粒の涙をポロポロ溢した。
体重をかけて無理やり突破しようとも思ったが、これ以上乱暴に挿入すると壊してしまいそうだ。どうしたらいいのかわからなくなった。この子は鉄のカーテンをまとった男を知らない子か? 怯えて泣いている舞美を見ると、自分が極悪人に思えた。
ベッドインすれば、女は切ない声を出すものと思っていた士郎は、あれはウソなのか。舞美は怖い、痛いと泣くだけだ。キスして愛撫すれば女は喜ぶと思っていたが、そうではなかった。俺は女を喜ばせたことがなかったのか? 男は放出すれば快感が得られるが、女は違うのか…… 独りよがりな行為を女に強いていたのか、初めて気づいた。今まで女に騙されていた。
舞美を抱きあげて風呂に急いだ。
「君の気持ちを考えなかった、悪かった。ごめん」
舞美はずっと泣いていた。
ベッドに戻って、
「まだ痛いか、もう怖いことはしないから機嫌を直せ、悪かった、泣きやめ」
涙を拭いて抱き包んだが、士郎にしがみついたまま泣いていた。やっと眠った舞美の秘部をそっと開いて覗いたが、表面が赤く腫れあがっていた。これでは痛いだろう、許してくれ。この子はまだ男を迎い入れる用意がないのか、いじらしく思えた。
抱きたい、どうしようもなく抱きたい、この子に挿りたいと思ったとき、幾度も極限に達して我慢させられたペニスからシャーっと水のような液体が噴出した。射精時のヒクヒクや快感はまったくなく、まるで小便を漏らしたような初めての経験に士郎は戸惑った。
11章 episode 5 愛とは?
◆ 舞美に拒否された士郎の胸の内は……
翌朝、舞美の涙で腫れた眼を見た泉谷は、
「どうしたんだ、悲しい夢でも見たのか? 瞼が腫れてるよ。そんな夢は忘れようね」
泉谷は舞美の頰にチュウした。舞美はにっこり笑った。士郎は黙々とカニの身を取り出して、舞美の椀についだ。
昨夜、舞美を抱えて士郎が風呂に消えた後、泉谷はこっそり士郎の部屋を覗いた。コンドームの残骸が幾つも転がっていたが、どれも空っぽだった。バカ息子は何をしていたかと呆れた。
名古屋に出発する二人を泉谷は見送った。士郎はチラッと泉谷を見て、これ見よがしに舞美を抱きしめて離さなかった。逃がした獲物は大きいからなあ、士郎はすっかり夢中になったようだ。お前が落とせなかったら俺が貰うからな、俺の眼の黒いうちに何とかしろよ。舞美はいつまでも泉谷に手を振っていた。
舞美を送り届けて戻った士郎に、
「どうやら深い仲になれなかったようだな。一体お前はどうしたんだ。山本と中村は舞美ちゃんの番犬だ、彼らがいると難しいぞ。しかもあの子は風船みたいな子だ。ガシッと捉まえておけ! どこへ飛んで行くかわからんぞ。それとも俺に譲るか?」
「いや、その~ まだ子供で……」
「そんな言い訳をするな。お前は向こうから寄って来る女しか知らないな。あの子はそうではない。怖がっただろう、それが当たり前だ。自由にならない女がいることをわかったか。しっかりしろ、俺はあの子をお前の嫁に決めよう。明日、遺言を書き直す」
帰省した舞美は南条と会ったが少し元気がなかった。将棋の相手をして帰ろうとする南条に、「明日、大須観音でデートしよう」と約束した。
「リュウ、どうしたの、元気ないみたい」
「そんなことない、舞美よりずっと元気だよ。もう会ってくれないと思ってた。舞美、こめん。僕は淋しさを我慢できなかった」
「えっ? どうしたの」
「いや、何でもない。舞美が帰って来てもSPと泉谷さんがいた。僕は陰で心配するしかなかった。いちばん悲しくて辛いのは舞美だとわかっても、どうしようもなく淋しかった。やっとわかった、舞美が好きだ、大好きだ、そして今は愛してる。離れていた時間を取り戻したい」
大須観音の裏通りにあるホテルに入った。南条は舞美を裸にして脚を開かせ、覗き込んだ。なかなか奥まで突入できない理由がわかった。
「塞がったみたいだ。少し痛いかも知れないけど、やさしくするからボーッとしていて」
舞美の癖を知っているリュウは、舌をくねらせて幾度も秘部を舐めて愛撫すると、スーッと雫が垂れた。すぐインサートすると難なく突破できた。体の奥深くまで飲み込んで、火照った体の舞美を抱きしめる南条はとても幸せだった。
「私、ずっと淋しかった」
二人は何度も抱きあって、甘い夢に包まれた。
南条は思い出したくない記憶を隠した。
舞美は僕なんか忘れてしまって、泉谷さんに抱かれているかも知れない。その淋しさに負けて誘われるまま年上の女を抱いた。女は南条の大きいが柔らかなペニスに不満で、イケメンだけどあれがねぇと失望して、去った。
悩んでいたコンプレックスをはっきり指摘され、ハーフに見える外見さえもイヤになって、通学以外は外出しない日々を送った。でも舞美は、隅々までぴったりとフィットする僕が大好きだと言った。舞美に会おう、会って確かめよう。そう思って舞美に会ったら、屈託のない表情で、どうしたの元気ないみたいと言われて、吹っ切れた。舞美を信じなかった自分が恥ずかしかった。
しばらくして、舞美から泉谷に手紙が届いた。
…………………………………
大好きなおじさんへ
絶対に元気ですよね! メールにしようかと思ったけど、手紙にしました。
近況をお知らせします。
免許を取るために教習所へ通っています。この前、S字カーブを猛スピードで直進して、ひどく怒られました。あんな短いS字の道路なんて街中にあるのでしょうか。
路上教習では、背後からサイレンを鳴らした消防車に追いかけられて焦りました。教官はウィンカー出して道路端に止めろと喚きましたが、スピードを落とすと追突されそうで、80キロでぶっ飛ばしました。途中で消防車が左折したのでヤレヤレでしたが、教官にバクダンくらいました。教官席にもブレーキがあるから、私にモンク言う前にブレーキ踏めよと、言いたいけど我慢しました。
時々、酒井さんが来てくれます。父のヘボ将棋の子分になったそうです。寮やコンビニご飯に飽きたらウチへ来て山ほど食べてくれます。冷蔵庫の在庫一掃人です。
今日は名大のプールで泳ぎました。酒井さんは面白い人で私がプールに入ろうとすると、「ヨメが来たから不潔なお前たちは全員上がれ!」と命令して、海でよくやったように「浦島ごっこ」をして遊びました。酒井さんは私を背中に乗せて平泳ぎで進みます。体重で負荷をかけるトレーニングです。
チャンプの背中に乗って、「バカタレー 頑張れー」と叫ぶと楽しくなります。酒井さんの気遣いがよくわかりました。
父はとっても家事が上手になりました。お掃除や洗濯やゴミ出しのメモが柱に貼ってあります。笑っちゃいました。
おじさんはいつも私を心配してくれました。今は私がおじさんを心配していますが、大丈夫です! だって、夢に出て来るおじさんはメチャ元気です。
今日はプールで遊び過ぎて眠いです。お休みなさい。
大好きなおじさんへ、舞美より
…………………………………
11章 episode 6 父からの旅立ち
◆ 早く元気になってくれ、士郎は本気になった。
手紙には酒井の背中にちょこんと乗った舞美の写真が添えられていた。
泉谷は上機嫌で、
「舞美ちゃんからラブレターもらったぞ! 可愛いなあ。士郎、お前には来たか?」
「いえ」
「そうだろう。お前は虐めたからだ」
「舞美とはいつもケイタイしてます。元気でやってます」
虐めた? 何だろうと山本は思った。
「山本、見るか? 舞美ちゃんが酒井くんの背中に乗って笑ってる」
「なるほど、40キロの負荷を背負って何キロ泳ぐんですかね?」
「1回だけじゃないのか? 何度も往復するのか?」
「このまま2キロは泳ぐでしょう。1種目で最低4キロは毎日泳ぐと言ってましたから」
「ウチのお姫様はずっとあの大男に乗っているのか、それはいかん! あーあ、とんでもないジャジャ馬だ。こりゃあ心配だ!」
山本は笑っていた。酒井から、舞美が教習所に通っていることや父と二人で食卓を囲み、時々は年下の子とデートしていることを聞いていた。ああ、色が白いノッポかと気にもしなかった。
舞美との結合に失敗して以来、士郎はずっと悩んでいた。なぜこの前は突入できなかったか、疑問は次第に膨らんだ。女性が心配せずに子供を産める社会、夫婦で協力して子供を育てる社会、安心して暮らせる社会のベースは各々の家庭の幸せにあると考えていた。それにはまず女を知らなければならない。女を知ったつもりの士郎が、実は愛する女さえ喜ばせない情けない男だったと痛感した。
男と女の違いすら考えなかった士郎は、アダルト本から海外の医学書に至るまで暇を見つけては読み漁った。わかったことは、女は男より快感を得るまで時間がかかることだ。日本の男は白人と比較するとペニスの硬度が高い。それゆえ、すぐインサートしがちだが女は快感を得られず、日本女性の80パーセントがインサートのタイミングに不満を持っているという報告があった。
そして、白人の男は硬度不足を補うために前戯に時間をかけ、女の受け入れ態勢が整う20分間の時間を大切にし、女が興奮していく様子を見ながら徐々にインサート可能の硬度になって行くと述べられていた。20分間? そんなに長い時間キスや前戯をやったことはないなあと思った。
また、男はすぐ興奮して挿れたがるが、女は男ほど性欲は強くない。前戯によって親密度を高め、性欲を引き出してから挿入すべきだと説明されていた。そうか、俺だけ満足していたのか、感じたふりする女を見抜けなかったのか、そういうことか……
女は発火点が低いのか、ならば速やかに発火点に導くポイントへの前戯が効果的だろうと推理し、たどり着いたのは女性器だった。前戯には決まった方法や時間はないが、女性器のクリトリス付近を刺激すると血流が増し、興奮状態になりやすいと書かれていた。よし試してみよう。
この前は恐怖と緊張で俺を受け入れる気持ちがなく、シャッターは固く閉じられたままだった。強引に暴力でこじ開けていたら心と体を傷つけ、関係は終わっていただろう。おとなしく引き下がって良かった。舞美に会うのが楽しみだ、なんとかチャンスを作ろうとしたがなかなか会えなかった。
やっと時間が取れてケイタイしたら、「受講中! あとで」とメールが届いた。20時過ぎまで勉強してるのかと意外な気がしたが、「食堂で待ってる」と返信した。
「わーっ、お腹すいたぁ!」、舞美が駆け込んで来た。何の勉強をしているのかと聞いたら、前期で教職課程を終わらせたいので、夜間講義を受けていると答えた。
「君は教師になるのか?」
「うーん、選択肢のひとつです。難関のゼミに入れそうです。おばさん、すごく美味しい! あーあ、幸せ」
ご飯を3回お代わりした舞美は恥ずかしそうに士郎を見たが、士郎は気づかない振りした。
「坊ちゃん、舞美ちゃんを送ってくれませんか。あの子は今でも服の下に警報が鳴る首飾りを隠してるんですよ、怖がってます、特に暗くなると」
おばさんが小声で士郎に告げた。
遭遇した瞬間は何が起きたかわからなくても、日が経つにつれ真相がわかって恐怖に襲われたのだろう。忘れろと言っても無理だ、ナイフを持った母親から首を絞められた記憶を消せとは言えない。舞美、本当に大丈夫か? 元気でノーテンキを装っているがそうじゃない、心は悲鳴をあげているようだ。
無言で車を走らせた士郎は、通りに面した喫茶店に寄った。
「舞美、僕が嫌いか? 嫌いになったか?」
「なぜです?」
「あんなことをしたからだ」
「怖くて怖くて、痛くて泣きました。どうしてあんなことをしたんですか?」
「前にも言ったが、だんだん好きになって、本当に好きになった、そして君の全てが欲しかった。僕の人になって欲しかった。この答えでは不服か」
「答えてください。私は僕の人なのですか? 僕だけの人なのですか?」
「僕だけの人だ。もちろん、責任は取る。何も心配はない」
「違います、私が聞きたいのは士郎さんは私を愛しているのですか? 怖いです」
「なぜ怖い? 愛していると言ったらどうする?」
「怖いです。私は自分がわかってません。母の帰りを待っている心と、父と穏やかに暮らせればいいと思う心があります。母を許せずに憎んでいるかも知れません。こんな私が愛されても、士郎さんを不幸にしてしまいます」
「自分の殻に閉じこもってないで、外へ出ないか? 僕は父から翔び立つ、君が必要だ。お願いだ、一緒にいてくれ! 君がいるだけで僕は強くなれそうだ」
舞美はしばらく考えて、「はい」と笑った。
寮が見える丘の上に来て、士郎は藪の中に車を隠した。
「きょうは僕にとって記念すべき日になった、ありがとう」
士郎は永い々キスを続けた。舞美は初めてあっと小さな声をあげて、士郎の胸に崩れ落ちた。
11章 episode 7 母の決断
◆ 娘を拒絶した哀しい心は届いたのだろうか?
少しずつ陽光が暖かくなった4月、士郎は時間を作っては舞美を誘った。
春の海辺を手をつないで波打ち際を歩き、時々ささやくようにキスして微笑んだ。浜風に髪をなびかせ明るく笑っている舞美に、士郎は違和感を感じた。この子はまだ悩んでいる、苦しんでいる。我慢して弱音を吐かないこの子は壊れそうだ。
寄せては太平洋に戻る波を見つめている舞美の眼に、涙が光っていた。俺が愛してると言った言葉なんて、この子の重荷に比べると砂粒みたいなものだろう。舞美の砕けそうな心を支えたい、届かない愛と自分の無力さに唇を噛んだ。
「お昼はバーベキューにしよう。ほら、春の訪れを告げるハマグリだ。たくさん食べよう」
涙を拭って、にっこり笑った舞美がいじらしかった。
俺はなぜこの子に魅かれたのだろうか、きらきら輝いて砕け散る波頭を見つめ、士郎は考えた。親父でさえ惚れた女だからか? 若さに輝く肉体と真っ直ぐな心か? いくつもの辛酸な体験をした可哀想な子だからか? ピンチヒッターで結果を出す意思の強さか? 俺を当選させた機智と熱意か? 振り向こうとしない女だからか? ひとつづつ疑問を消してみたが何も残らなかった。答えは何だ?
「たくさん食べたか?」
「はい、お腹いっぱいです」
「今でも腹筋200回をやってるのか?」
「やってます。やらないと不安になって何となくやってます。あれから半年以上経ちますが、近藤さんの誘いに乗ってダンスをやってれば良かったかなあと、思ったりします」
「ダンスなんてイヤだって言ってたじゃないか」
「近藤さんと踊っていると何もかも忘れられるんです。でも、近藤さんは卒業しました」
全裸で踊っていた二人を思い出した。どっちも変わっているが、何か共鳴するものがあったのか、それは孤独な魂か、彷徨う心か?
「お願いがあります。連れて行ってくれませんか。一人では怖いです」
「どこに?」
「母に会いたいんです。名古屋の病院から静岡に転院しました。母の実家から近いそうです。父は会わない方がいいと言いましたが、会いたいです」
「辛い思いをするかも知れないが、それでも会いたいか?」
「はい、迷いましたが心にケジメをつけたいです。何を言われても、何を見ても驚きません。たくさん泣いて忘れよう、そう覚悟しました。何もわからない今より辛くなることはないです」
「気持ちはわかった。2、3日待ってくれ、約束する、絶対に連れて行く。独りで苦しまないで、僕に分けてくれないか。二人で受け止めれば少しは楽になれる」
ありがとうと抱きついた舞美のキスはハマグリの味がして、子供とキスしてるみたいだと士郎は面白がった。
緊張した表情の舞美を乗せて静岡に向かった。そこは海を一望する丘に建てられた大きな病院だったが、高い塀に囲まれ、出入口は一カ所しかなかった。
面会室で待っていると医師に伴われて舞美の母が入って来た。
「まあ、士郎さんご立派になられて見違えるようです。お隣の方はどなた?」
「ママ、私よ! 舞美よ! 私を忘れたの、ママ!」
「ママと呼ばれてもねぇ。私にも娘がいました。でも1年前に死んじゃったの。私が縫った赤いリュックを背負って幼稚園に通って、卵焼きが大好きな子だったけど、怖がりでね、暗いと泣いちゃう子だったのよ」
母は歌うように話した。
「でもね、私が殺したの。あんまり可愛いいから殺したの、もう戻って来ないわ」
「ママ、何言ってるの! 私はここにいるじゃないの!」
母の傍に行こうとした舞美を士郎は止めた。医師は首を振った。
「ママは壊れてしまったの!」
「いいえ、壊れてなんかいませんよ。あなたは誰なの、どなた?」
舞美は顔を覆って部屋を飛び出した。後を追おうとした士郎に、
「士郎さん、舞美を幸せに出来ますか? 不幸にしたら許しませんよ」
そう言ってケラケラと笑った。
この女は正気だ! 士郎は背筋が凍りついた。どう舞美に話そうか、士郎は辛かった。
泣いていると思った舞美は、泣かずに大きな目を見開いて空を見上げていた。瞳に映った青い空、俺はこれを一生忘れないだろう。哀しすぎて辛すぎて、この子は泣くことすら忘れている。士郎は泣けてきた。こんなことがあっていいのか!
「士郎さん、お願いだから泣かないで」、舞美が呟いた。
11章 episode 8 狂った母の本心
◆ 舞美の傷ついた心は、同じ思いをした山本が救った。
帰りの車で二人とも無言だった。どんな言葉を掛ければいいのか、どう慰めたらいいのかわからなかった。このまま寮に帰すのは危険だ。士郎は湯河原へ車を走らせた。いつの間にか舞美は薄く涙を溜めて眠っていた。士郎は泉谷に電話であらましを伝えた。
「バカ野郎! 俺もすぐ行く」
ぼんやりしている舞美を抱えてベッドに寝かせた。眼は開けているが意識はあるかないのか、天井を見つめた人形だった。
しばらく経って急ブレーキの音が聞こえ、泉谷が着いた。
「舞美ちゃんはどこにいる!」
「寝かしてます。これを聴いてください」
士郎はボイスコーダーを渡した。
「録音したのか?」
「オフにするのを忘れてました。最後を聴いてください」
士郎はあたふたと部屋に戻った。
泉谷は幾度も耳を傾けた。あの子が可哀想だ。横で聴いていた山本がぼそっと「クソババア」と呟いた。山本に舞美を頼み、士郎は泉谷と相談した。
「録音を聴いた。母親は狂っていないだろう。自分がしたことを詫びて、娘と別れる気だ。これ以上娘を苦しめたくないのだろう。舞美ちゃんにどう言おうかと悩んだが、これを聴かせるしかないだろう。今晩は無理だ。あの子はショック状態だ。話は明日にしよう。士郎、お前は添い寝しろ、くれぐれも早まるな、わかったな」
死人のようにひっそりと眠っている舞美をずっと見つめていた士郎は、夜明け近くに少し眠ったが、覗き込んでいる視線に気づいて微睡みから蘇った。
「起きたのか、昨日は疲れただろう。まだ眠っていよう」
士郎は舞美を抱きしめた。
「ここはおじさんの家ですね。また心配かけちゃいました。そんなに強く抱くと痛いです」
士郎は舞美が動けないほどしっかり抱きしめた。力を緩めるとこの子はどこかへ消えてしまう気がして、不安だった。
体を包んでいたバスタオルを脱ぎ、これを貸してくださいと床に落ちていた士郎のワイシャッをまとった。そのままテラスに出て腹筋を始めた。舞美の動静を気にしていた山本と中村は後を追い、横でさりげなく柔軟体操を始めた。
テラスが騒がしいなと見上げた泉谷は、ほう、舞美ちゃんが腹筋か、やらしておこう、早く元気になれよと笑った。
「おじさん、心配かけてごめんなさい、母と会えました」
「そうらしいなあ。今朝はカニはないが中村がジャーマンドッグを作ってくれる。中村は『ドトール』でバイトしてたから旨いぞ」
朝食が終わり、
「舞美ちゃん、話がある。昨日のことだ。まずこれを聴いてくれるか」
眼を閉じて聴いていた舞美は突然立ち上がって何かを叫ぼうとしたが、バタンと座り直した。そのとき山本が背後から両肩に手を置いて、
「僕が親父から何しに来たと言われたのとは違う。舞美ちゃん、わかってくれるか。お母さんは君が大切な娘だから、そう言ったんだ。お母さんを恨むな、お母さんも辛いんだ。わかるか?」
「山本さん!」
山本は舞美に何を言いたいのか? 山本を遮ろうとした士郎を泉谷が止めた。
「山本さん、母はずっと私の母なんですね、今でも」
「そうだよ。君のお母さんはお母さんだ。自分がいたら迷惑がかかると身を引いたんだ。許してあげなさい」
舞美はふぁーっと大きく息を吐き、上を向いて涙を堪えた。
「山本はいつから舞美ちゃんの家来になったんだ?」
泉谷が苦笑した。
「やっと母の気持ちがわかりました。おじさん、今日も泊まっていいですか?」
「いいよ、ずっといなさい。もうじき『三越デパート』が来る。舞美ちゃんの着替えやパジャマを頼んだよ」
舞美がSPとプールへ向かったあと、泉谷は山本の両親のことを士郎にした。
「親から同じように拒否された経験がある山本は、舞美ちゃんの気持ちがよくわかるのだろう。俺たちが、あーだこーだと言う必要がなかったからほっとしたよ。あとはあの子がどう考えるかだ」
咳払いして泉谷は続けた。
「お前は舞美ちゃんに完全に惚れたな。顔にそう書いてある。俺は、あの子がやせ我慢して周りを思いやる子だから惚れた。あの子は人たらしだ、お前と正反対だ。見渡すと周りは家来と番犬だらけだ。舞美ちゃんの気持ちが落着くまで泳がせておけ、抱くのはそれからだ」
11章 episode 9 心の休日
◆ 整理できない心の痛みを湯河原の海と人が癒した。
プールから戻った舞美は、濡れた頭を左右に振りながら、
「士郎さん、食材を買いに行きましょう、近くのお店に連れて行ってください」
山本の案内で地元の鮮魚店に入っが、あれもこれも新鮮で美味しそうだ! キョロキョロ眺めている舞美に、
「アンタは坊ちゃんをバカ息子と言った娘さんかい?」
「はい、そうです」
「テレビで観たけど、よく頑張ったな! 今日はマダイのいいのが入ってる、持ってけ!」
「えっ! 持ってけって?」
「タダでやるよ、アラは鍋のダシにすると旨いよ」
「そんな! おじさん、困るでしょ」
「だったら、あの特上の春エビを買ってくれるか? 旨いが高いぞ」
「はい、いただきます。でもオマケしてくださいね」
「ほれ、食べてみな」
「はい、甘~い、美味しい~ 泣けちゃいそうです」
「そうだろう、特上品だ」
「士郎さん、いただきましょうよ」
士郎はカードで払おうとしたが、「私に任せてください」と舞美は小さな財布を取り出した。
「おじさん、これで大丈夫ですか?」
「いいよ、アンタには負けた」
こんな調子で肉や野菜を積みきれないほど手に入れた一行が帰ってきた。
綺麗に掃除されているが10年以上使われなかった台所で、山本と中村に手伝ってもらい、昼食は形が崩れた魚介や野菜が山盛りのお好み焼きを作り、夜は浜育ちの泉谷が驚くほどの刺身と海と山の幸がてんこ盛りの鍋が登場した。
「いやー、こんなに旨い夕飯は久しぶりだなあ。舞美ちゃんのおごりだって? たくさん散財させたのか、悪かったなあ」
「いいえ、オマケをいっぱい貰いましたから心配しないでください」
舞美は確かに人たらしだと士郎は思った。そうか、カード決済は小さな商店では歓迎されないのか。初めて知った。
「舞美ちゃん、ゴールデンウィークは名古屋に戻るのか?」
「あの~ 迷ってます、父に会うのが辛くて。でも、一人ぼっちはイヤです」
「僕はずっとはいられないが、僕が留守のときは山本か中村を残していく。ここに居てくれるか? ここでのんびりしないか? お父さんも大事だが自分のこれからも考えなさい」
「うーん、そんなに甘えていいのかなあ」
「早く元気になって欲しいと思うだけだ」
11章 episode 10 舞美の復活
◆ 人それぞれ重荷の違いはあっても……
舞美は山本と湯河原に残った。起床後は腹筋を鍛え、朝市や近所の商店を覗き、午後はぼんやり大海原を見つめた。夕暮れどきは山本とプールで泳ぎ、交代で食事の用意をし、漁火を見ながら眠りについた。
舞美の気持ちがわかる山本は黙って見守っていた。母親との決別を受け止めるのは自分自身しかない、そう思った。
「山本さん、冷たいけど海で泳ぎたいです。いつまでも温水プールで泳ぎたくありません」と言い残して、普通の水着で浜に走った。水温は15度前後だろう、今日は波も荒い。ダイビングスーツでないと凍えるだろう。山本は慌てて舞美に続いたが、波に逆らって沖へ向かって行く舞美に追いつけず、見失った。
「舞美ちゃん!」と大声で叫んだら、舞美は上向きでぽっかり浮かび上がり、波間に身を委ねて静かに漂っていた。波は涙を消し去り、揺り籠のように舞美を包んだ。
この子は心を決めたのか、山本はわかった。
「帰ろう、冷たいだろう」
山本と食卓を囲んだ舞美は、
「いろんなことを考えました。山本さんに本当のご両親はいません、近藤さんもそうです。士郎さんだってお母さんはいません。私の悩みは贅沢だったのかなあって思いました。みんなに心配されて大事にしてもらって、いい気になっていたのかなって。甘えていたんです、それがわかりました。
水平線に続く海を見ていると、私の悩みなんて小さいなあって、私の存在なんて波の泡粒より小さなものです。みなさんに甘えてました」
やっと笑顔が戻った舞美の両肩に手を置いて、山本はにっこり笑った。舞美ちゃん、頑張れ!
山本を残したが心配で仕事どころではなかった士郎は、慌ただしく駆け込んで来た。
「あれっ? どうしたんです」
「どうしたはこっちのセリフだ、少しは元気になったか?」
「はい、もう大丈夫です。聞いてくれますか? 私は甘え過ぎてました」
「そんなことない! たくさん甘えていいんだ」
士郎は舞美を抱きしめて、少しほっとした。
「いいお肉が手に入ったので、今夜はすき焼きです。期待してくださーい」と、舞美は台所に消えた。
「山本、舞美はあんなに元気だったのか?」
「いえ、ほとんど喋らない日が続いて、僕は気になって廊下で寝てましたが、毎晩のように声を殺して泣いてました。今日は海で泳いで心を決めたようです」
「海? まだ寒いだろう」
「そうですが、彼女なりのケジメでしょう。かなり沖までハイスピードで泳いで、ポカーンと浮かんでました」
「こんなに冷たい海にか」
「いろんな想いを吹っ切りたかったのでしょう。士郎さん、お願いします。舞美ちゃんを見守ってください。やっと自分を取り戻したようです」
「そうか、山本がいたからだろうなあ、あの子が元気になれたのは。ありがとう」
「ちょっとおー、ごちゃごちゃ言ってないで手伝ってくださいよー」
舞美の声が聞こえた。台所に明かりが灯っている、料理する人がいなかったこの家を舞美が変えた。
「旨いよ、すごく旨い!」
「そうでしょう、舞美ちゃんが作ると何でも旨いんです」
山本は番犬どころか忠犬になったなと士郎は苦笑いした。
「あーあ、お腹いっぱいになりました。あとはお願いします。もう眠いです、お休みなさい」
「おい、君はもう寝るのか! 心配でどうしようもなくて来たというのに?」
「だって眠いんです。お先にー」
ペコンと頭を下げて舞美は部屋に戻った。
「今日は僕が片付け当番です。舞美ちゃんは10時頃にお父さんに報告して1日をクローズします。まだまだ子供で可愛い子です」
「はあ? 僕が心配して駆けつけてもそうなのか」
「まあ、そうでしょう」
「あーあ、子供は寝たから、舞美を守ってくれた山本と飲むか」
海に消えて行く流星を追いながら、山本を誘った。
部屋に戻った士郎は、我が物顔でベッドの真ん中で眠っている舞美に呆れた。心配で俺はここに来たんだぞ、少しは遠慮ってものがあるだろう。隣に横になったが、早速ドンと蹴飛ばされた。これしかないな、舞美が動けないようにしっかり抱きしめたら、頰に涙の滴があった。哀しいことは忘れてくれ、楽しい夢を見よう。温もりに包まれていつの間にか士郎は眠った。
うん? 何か動く気配がした。明けきらない薄闇の中で起きようとした舞美に気づいた。
「僕は恋人だろう、心配でたまらなくて来たんだぞ。おはようのキスしよう!」
抱きしめた腕を緩め、キスして重なった。パジャマに手を入れて乳房を触ったが、舞美は眼をつむったままだった。乳首が立った感触が指先に伝わった。奪ってしまいたい! そう思ったが、この子はまだ立ち直っていない、ここまでにしよう、自分に言い聞かせた。
舞美が腹筋のためにテラスに消えたあと、士郎は苛立った分身を宥めた。いつまでこんなことが続くのか、思うようにならない恋人が恨めしかった。
11章 episode 11 やりたいこと
◆ 僕だけの人になるよりも、違う目標を見つけた舞美。
「朝ご飯の前に士郎さんと浜辺を散歩したいです。すっごく気持ちいいですよ、行きましょうよ」
潮風に吹かれて額にかかった髪をかき上げ、舞美に小さくキスした。この子が俺の女にならないから俺は夢中になったのか、いや、そうではない。
「僕だけの人に本当になってくれないか、まだ迷っているのか? この前も言ったが、君の力になりたい、僕は本気だ、君といつも一緒にいたい」
「ごめんなさい。ちょっぴり自分がやりたいことがわかりました。勉強したいと思ってます。でもバカですからどうなるかわかりません」
「わからない! はっきり言ってくれ、本当は僕が嫌いなのか? 僕だけの人になるのと勉強との関連がわからない! 抱かれてわかることだってあるじゃないか!」
「ええっ? でも、ひとつだけ道を見つけたんです。聞いてくれますか」
「それは何だ? 道とはなんだ、言わないとわからない!」
士郎は眉間にシワを作り完全に怒っていた。
「あの~ 笑わないでください。大学院に進もうと考えてます」
「はあ? 君は大学院に入って弁護士や裁判官になるのか?」
「違います。女性の役に立ちたいです。この国は男性社会で、女性はけっこう大変なんです。私は母が壊れたプロセスをずっと考えました」
「それと勉強することがどう結びつくのか」
「女性は能力があっても結婚すると育児や家事一切を果たさなければ、世間から認められません。すごく大きなハンデです。そして、何かにつまずいたときは誰も助けてくれません。家族さえも離れることがあります。女性が男性と同じように活躍できる社会をサポートする法律の制定が可能かどうか、勉強したいのです」
「そんなことを考えていたのか、知らなかった。それは僕が考える『女性が活躍できる社会の実現』と一致する部分が多い。応援したい! 僕は君と出会っていろんなことを学んだ、舞美は僕の宝だ!」
散歩から戻った二人を、山本はいい香りがするコーヒーで迎えた。
青木は図書館の曲り角で、書籍を抱えて小走りに駆け抜ける舞美と衝突しそうになった。
「藤井、どうしたんだ、何を急いでるんだ」
「ふーっ、先生ですか、驚きました」
驚いたのは俺だろう、その本は何だ? 不思議に思った。
「時間はあるか? 『高田牧舎』に行かないか、メシおごるぞ、ついて来るか」
「すみませーん、5分のフリータイムくれませんか。返却してまた借ります」
「いいよ、待ってるよ」
図書館から出てきた舞美は山ほど本を抱えていた。
「猛勉強しているようだな、神崎さんから聞いた。何の本だ?」
「はい、これは法学と心理学です」
「へーっ、邪魔する気はないがどうしたんだ?」
「手当たり次第にページをめくってるだけです。気にしないでください。ここのビーフシチューってすごく美味しいです。ごちそうさまでした」
舞美はふふっと笑って、ぺろっと上唇に残ったシチューを舌をくねらせて舐めた。青木はぞくっとして隠微な空想に陥った。僅かな間にこの子は子供から女になったのか? こんなにしたのは誰だ? 眼を閉じて考えていたら、
「教えてくれませんか、先生は人を愛したことがありますか?」
はっ? 何を言い出すんだ、この子は。青木はたじろいだ。
「ある。だが、愛する以前に二人とも若すぎた。君ぐらいの歳だった。会えば抱き合って、さまざまな話をして楽しかったが、今思うと何も話してなかった。卒業してそれっきりだ。なぜ、そんなことを訊く? 君は愛している人がいるのか?」
「わかりません。愛するって何でしょう? ごめんなさい、忘れてください」
告白した男は誰だ? おそらく士郎だろう。その意味がわからず戸惑っている。互いに学生ならラブラブカップルで終わるが、相手は大人だ、結婚を視野に入れているだろう。だから舞美は不安なのか……
「男は身勝手だ、気が変わりやすい。成り行きで愛してると言うこともある、気にするな」
「そうですか、本気だったら辛いです」
「ほら、水泳の酒井くんはオレのヨメになれと叫ぶだろう、あれは気にしないのか?」
「酒井さんは、学生時代は自由に好きなことをしろって、もらってくれる人がなかったら、オレんとこへ来いって。ただし4年後に来いと笑ってました」
「なぜ4年後なんだ?」
「多分、あと4年はトップスイマーを目指すってことでしょう。勝手な発言しますが、本当の彼はいつも本を読んでいて、何かを考えている静かな人です」
青木は送って行く車中で、いちばん知りたいことを訊いた。
「最高に不躾な質問だが、君は誰かに抱かれたのか? 質問の意味がわかるか?」
「いえ、驚いただけです。教えてください、その人に抱かれたら他の人に抱かれてはいけないのでしょうか?」
「いや、あくまでもモラルの話だ。男と女は違うかもしれないが、男は愛する女がいても違う女を抱くことが多い。ふとした弾みで違う女を抱くと新鮮に感じて、より強く興奮する場合がある。しかし、女は愛する人がいれば他の男に抱かれないと思いたいが、確信はない」
「本当に愛してないから、他の人にも抱かれるのでしょうか?」
「愛する男がいても他の男に抱かれるケースか? ないとは言えないだろう。なぜそんなことを訊く?」
「ちょっと迷ってます。結婚なんてヤバイです。すみません、今の話、忘れてください」
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