星々をまたぐ嫉妬 ~痴話げんかは、神さえ食わない~

御咲花 すゆ花

第1幕

1 クシナ

 ちゅっ。

 弾ける音とともに、俺の口元から、やわらかな感触が離れていく。

 逃がしたくない。

 そのあとを追うように、対面する相手の頬に、自分の手を添えれば、小さなほほえみに次いで、マリアが再び目を細めた。


 今一度、俺は、唇を重ねる。

 地下を満たす、土と埃の匂いに混じって、ほのかなマリアの香りが、鼻孔を刺激した。

 何度やっても、感触は、いまひとつわからない。

 汗ばむような緊張と、とろけてしまうほどの幸福が合わさって、今にも、どこかへ飛んでいってしまうような、そんなふわふわとした心持ちだけが、俺の胸をいっぱいにしていく。


 二人だけの世界。

 俺とマリアのほかには何もない、特別な空間。

 少しでも横に目を向ければ、夜の帳がおりたクシナと、そこに暮らす人々の姿が見える。だが、今は関係ない。今だけは、俺たちは現実を忘れて、二人だけの時間に、存分に浸ることができるのだ。


「また、ここにいたのか。マリア、ヨキ。そろそろ、就寝の時間だ。戻れ」


 名前を呼ばれ、俺たちは、同時に一人の大人を見返していた。


「先生……」


 成人していない俺たちは、さとにしてみればまだ子ども。そのため、寝るときまでは、一緒にはいられない。子どもは、男女それぞれに分かれ、一つの塊になって眠るのが、さとの決まりである。その例に漏れない俺たちにも、こうして、部屋に戻るように促す、先生がやって来たというわけだった。


「ずっと、一緒にいたいのに」

「俺だって、同じ気持ちだ」


 力強く肯定したくて、俺は、言葉とともにマリアの手を、ぎゅっと握りしめた。


「朝一番に会いに来るわ」

「いいや、俺のほうが迎えに行くよ」


 俺たちは、一秒でも長く一緒にいようと、飽くことなく、別れのあいさつをつづけていた。だが、とうとう、先生は痺れを切らしたらしい。俺たちの会話を、横から無残に断ち切っていく。


「お前たち、毎度まいど、どうにかならんのか……」

「何を言ってるんですか、先生」

「そうですよ。俺たちは、ちゃんと将来を誓いあってます」


 確認するように、俺が目でマリアに合図を送れば、受け取った彼女も、ゆっくりと力強くうなずいている。先生にすれば、俺たちの反論は、思わぬものだったのだろう。驚いたように、二三歩、その場で後ずさっていた。


「ああ、分かったわかった。俺が悪かったから、早くしてくれ。お前たちには、二人とも、明日も大事なお役目・・・が、あるはずだろ? 特に、ヨキ。お前は明日、ワクカナさんと、聖域に向かう予定になってる。お前に限ってないとは思うが、くれぐれも遅れてくれるなよ」


「……」


 この星――いいや、さとでの役割を指摘されれば、いくらマリアに、夢中になっている俺といえども、折れざるをえなかった。それほどまでに、自分が属する集団での、役割というのは、俺たちにとって、重たい意味を持っているのだ。


 先生のあとを追うように、マリアが女部屋へと戻っていく。名残惜しそうに、何度も後ろに向きなおっては、小さく手を動かすマリアに対して、俺も応えるように、ずっと自分の腕を振りつづけていた。何度もなんども、大きく、それこそ腕が痛くなるほどに。


 マリアが振り返ったとき、ちょっとでも、俺の姿が目に映るようにと、懸命に手を動かした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る