コロナがやって来て、僕は世界の姿を思い出した

渚 孝人

第1話

西暦2019年まで、土曜日の夜という時間は多くの人々にとって友人と飲みに行くための時間だった。飲んで騒いで、溜まったストレスを思う存分に発散する。まさに、「これがなくちゃやってらんないよ!」があの頃のみんなの合言葉であった。

しかし運命の2020年を境に、平日の仕事で疲れた人々のオアシスは、無情にも蜃気楼へと変わってしまったようだ。酒類を提供する多くの店には時短要請が出され、大声を出して騒ぐという行為は世間の冷たい視線にさらされるようになった。


2021年の6月が半ばに差し掛かった頃になると、人々はすでに自粛生活にも疲れ、明るく生きる気力を失っていた。そして僕も、まさしくそんな人間の一人であった。土曜日の夜を目前に控えた夕方5時過ぎ、僕は自宅の机に向かってぼーっと座っていた。そう、何をすることもなく、ただぼーーーっと座っていたのだった。


することが、ない。

そして気力も、出ない。


これが嘘偽りのない真実であった。テレビでは、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置を無視して騒ぐ若者たちを毎日のように映し出していたが、そんなことをする度胸、というかふてぶてしさは自分にはなかった。

あーあ、今からどうしようかな、と僕は呟いた。ネットサーフィンをしていたって、どうせ無為に時間が過ぎて行くだけだ。じゃあ、何をする?


その時僕は何となく思った。

「そうだ。散歩でもするか。」


今住んでいるアパートに引っ越してきてから1年以上が過ぎていたが、周りの道がどうなっているかなんて、よく考えたらほとんど知らなかった。コロナが来る前は休みになれば飲みに行ったり遊んだりで、散歩するなんて考えつきもしなかったし、来た後は来た後で、パソコンに向かって意味のない時間を過ごしているだけだった。


リビングでプロ野球中継を見ている嫁に、「ちょっと散歩行ってくるわ!」と伝えて僕は家を出た。アパートを出ると、澄んだ青空に薄く雲がかかっていた。

僕が住んでいる地域では、6月の夕方はまだ涼しい。1年のうちで最も元気な太陽は、まだまだ仕事を続けるつもりでいるみたいだった。僕はTシャツに短パン、サンダルという格好で、アパートの前にある小さな畑と田んぼの間を横切った。

暑い夏の到来を予感させる温かい風が、僕の頬を撫でて通り過ぎて行った。僕はいつも使っているローソンを通り過ぎて大通りを渡り、今まで歩いたことのない路地の方へと向かって行った。


いつも使っているスーパーの横を通り過ぎてしばらく歩くと、小さな川が流れている小道があった。その川には一定のリズムで、規則正しく水が流れているようだった。川底は少し濁っていて、たまに上流からペットボトルが流れていた。


あれ、これって本当に川だろうか?いや、良く考えたらこんな小さい川が街のど真ん中にある訳がない。周りをコンクリートで舗装されているし、これはきっと用水路だ。普段何も考えずに料理とか風呂とかに水を使っていたけど、あの水はきっと、こういう用水路から来ていたのだ。僕はその用水路に沿って、まだ歩いたことがない路地の方へ入ってみることにした。


路地に入ると車はほとんど通らなくなり、遠くの方で時折エンジンの音が響くだけになった。さっきまでの喧騒が、救急車が通り過ぎた後のサイレンみたいに、急に別の世界に行ってしまったような気がした。

周りの家々は比較的新しいアパートから、少し古びた一軒家に変わって行った。近くを歩いているだけで人々の生活の匂いがしてくるような、そんな一軒家だ。


僕はしばらく歩いてから、用水路の脇に設置された古びた柵に体を預けて、大きく一つ伸びをしてみた。水の近くにいるとほんの少し気温が下がって、何だかすごく気持ちがいい。用水路の先の方で、女性が犬と一緒に散歩をしていた。その他には人の姿はない。周りの家のベランダに干してある洗濯物は、優しい風の中で静かに揺れていた。


振り返って用水路の水の中を覗くと、紺色の鯉が3匹、尾びれをゆったりと動かしていた。彼らは泳いでいるというよりは、ただ、流れの中にとどまっている様に見えた。僕は柵によりかかりながら、彼らのゆったりとした動きを、しばらくの間じっと眺めていた。


彼らは、コロナが支配する世界の中でも、全く焦ったりしていなかった。よくよく考えたら、彼らにとって、コロナなんてあまり関係のない話なのだ。彼らはきっと、ずっとこうして過ごして来たのだろう。コロナがやって来る前からずっと。でも僕は飲んで騒いだり、ネットしたりすることに夢中で、彼らがこうして過ごしていることを知らなかったのだ。


「自分の住んでいるすぐ近くに、こんな穏やかな世界があったなんて。」

と、僕は思った。それは、とても静かな驚きだった。

この小さな路地に流れている時間は、普段僕が生きている世界の時間とは、全く違っていた。仕事のノルマだとかプレッシャーだとか、そんなものはここには存在していなかった。その代わり、ここには人々の生活の匂いがあり、鯉たちの揺らめきがあった。それだけなのに、何故かそこは、とても満ち足りた世界だった。



7月のとある日の夕方前に、僕は再び散歩へと出かけた。

この時期になるとさすがに暑い。僕は大通りを歩いてセブンイレブンまで行き、チョコモナカアイスを買った。モナカアイスなら、この炎天下でもすぐに溶けてドロドロになる心配はないだろう。


わき道に入ってしばらく歩くと、小学校があった。もう夏休みに入っているのか、校庭では数人の子供がサッカーをしているだけだった。僕はフェンスのそばに立ってそれを見ながら、モナカアイスをぼんやりとかじっていた。校庭のそばのベンチでは、中学生らしきカップルが何かについて話し込んでいた。

うだるような暑さが、僕の思考回路を麻痺させていた。この暑さの中では、過去と現在と未来がごっちゃになって、その境界を失っていくような気がした。


近年になって地球温暖化が声高に叫ばれるようになったけれど、僕が小学生だった20年前もの夏も、負けず劣らず滅茶苦茶に暑かった。放課後になると、僕はクラスメイトと一緒に校庭で、宝陣取りだとかドロケイだとか氷鬼だとか高鬼だとかをして遊んでいた。


宝陣取りというのは相手の陣地に置いてある宝を走って取りに行って、自分の陣地まで持って帰ってきたら勝ち、という遊びである。宝は、運動会で使うカラフルなボンボンみたいなやつだ。ただし、宝陣取りには「新しい」「古い」という概念があって、安全地帯を出て時間が経つにつれて段々自分は古くなって行き、より「新しい」敵にタッチされると捕虜になってしまう、というのがミソだった。だから宝を取りに行く時は相手にタッチされないように全速力で走らなければならない。僕はそんなに足が速い方ではなかったので、宝を取れた記憶はあまりなく、大体は味方のアシストのために囮になっていた。


余談になるけれど、前に関西出身の嫁に聞いたら宝陣取りなんていう遊びは知らないと言っていたので、もしかしたらあれは東日本の遊びだったのかも知れない。ドロケイ、氷鬼、高鬼とかは知っていたから、そっちは恐らく全国区の遊びなのだろう。


焼けるような暑さの中でそんな遊びをするもんだから、終わった後はとにかくいつも汗だくだった。水分補給のために校舎に設置されているウォータークーラーの水を、何度も繰り返し飲んだ。飲んだ後に友達とふざけて跳ねて、胃とか腸にたまった水をチャプチャプ言わせて笑っていたのを覚えている。


それだけ水を飲んでも、帰り道を歩いている内にすぐに喉が渇いてくる。帰り道の途中にあるスーパーは、僕らにとってまさにオアシスだった。学校の規則で下校中に入ったりするのは禁じられていたのだが、前に立つのは別に禁じられていない、という屁理屈を使って、自動ドアの前で中から吹き出してくる心地の良い冷気を楽しんでいたのだった。


僕は電車通学だったのだが、小学校の近くの駅のホームにある立ち食いソバ屋のおっちゃんは、今風に言うとまさに神であった。夏になると僕らがとにかく喉が渇いていることを知っていたおっちゃんは、氷入りのお冷を、いつもタダでくれていた。今まで人生で色んな水を飲んできたけれど、どんな天然水よりも、あの水道水が一番美味かったような気がする。しかし残念なことに僕らの不正はそのうち先生にバレて、おっちゃんからお冷をもらうことは禁じられてしまった。



気が付くと、僕は校庭を見ながらじっとりと汗をかいていた。どうやら割と長い時間が過ぎていたようだ。食べ終えたモナカアイスの袋をポケットに入れて、また裏通りを歩き始めた。日はまだ高く、まだまだ沈む気配は無さそうだ。


長い裏通りを歩いていると古い文房具屋があり、自販機が設置されていたのでジュースを買った。古びた自販機で、脚の部分には蜘蛛の巣が張っていた。ジュースを飲みながらぶらぶらと裏通りを歩いていると、久々に自由な気持ちになった。


こんな風に目的もなく街を歩き回るのって、いつ以来だろうか。

そういえば、と僕は思った。

蘇って来たのは高校生の時にホームステイで訪れた、ボストンの記憶だった。


あの夏、僕はただ目的もなくボストンの街を歩き回っていた。アメリカで最も歴史のある街だ。親の勧めでホームステイに来たのはいいけれど、実際は寮暮らしで、同室の外国人はいつもどこかへ遊びに行っていて不在だった。僕は一応、語学学校に入って英語の授業は受けていたけれど、持ち前の人見知りを発揮してしまったせいで外国人の友達など出来るはずもなく、土日になると予定は何もなかった。


ヒマだった。信じられないほどヒマだった。

だから僕は朝からただひたすらに歩いていた。ボストンの赤レンガの建物の間を。


あの夏、NBAのボストンセルティックスが20何年かぶりに優勝した直後だったので、街はお祝いムードに包まれていた。僕は目についたスポーツ用品店に寄って、優勝の記念キャップを買った。

ボストンのBIG3と呼ばれたスター選手の中で、僕はレイアレンという選手が大好きだった。彼の3ポイントシュートは、いつも無駄のない美しい軌道を描いてゴールに吸い込まれて行った。そのフォームは、まるで機械のように正確だった。現在のNBAを代表するスーパースターであるステフェンカリーが現れるまで、彼は史上最高のシューターと呼ばれていた。今年のシーズンで、カリーは彼の通算3ポイントの記録を更新するのだろうか。


ボストンの大通りは車も多く、どこまでも真っすぐに続いているように思えた。僕は歩き疲れると、目についたダンキンドーナツに入ってドーナツを頬張った。そして回復すると、僕はまた歩いた。どこまでも続くボストンの街並みを。歩き疲れて寮に戻ってくる頃には、日はもう暮れかけていた。


ボストンの街には、歴史と趣きがあった。ただ、それを堪能できるほど、当時の僕には心の余裕がなかった。僕はその時異国の地で、ただ一人、孤独を感じていた。だから僕はひたすらに歩いていたのかも知れない。自分が孤独であることを、少しの間だけでもいいから忘れてしまうために。



8月の終わりごろ、僕はまた用水路の脇の柵にもたれながら、静かな世界を感じていた。この夏何度となく夕方の散歩に出かけたおかげなのか、心は前よりもずっと落ち着くようになっていた。以前なら旅行したり飲んだり出来ないことに、腹立たしさやもどかしさを感じていただろう。しかしその時の僕は、「こういう世界だって一つの現実なんだ。」という気持ちになり始めていた。むしろこんな世界になったからこそ、自分のすぐそばにあった、満ち足りた世界に気付くことが出来たんじゃないかと。


不思議なものだった。もしコロナがやって来ていなかったら、僕はずっとネットの世界に囚われていたかもしれない。それが結果的には、こうして世界の姿を思い出すことになった。コロナ自体は人間にとって思わしくない結果を生み続けているのにも関わらず。


こういうのを皮肉って言うんだろうか、と思った。

僕はイヤホンを耳に付け、アラニス・モリセットの「アイロニック」を流した。彼女の力強い歌声が、心に響いた。


コロナは世の中の価値観を、180度変えてしまった。これまでは積極的に外に出て遊ぶ人たちが正義であり、家にこもる人たちは引きこもりだとか陰キャラと呼ばれて下に見られてきた。だが今や、みんなで集まって騒ぐ人たちの方が世間に疎まれる存在になってしまった。

もしかしたらこれまで絶対的に正しいと思ってきた価値観なんて、強い風が吹けばすぐに崩れ去ってしまうような、脆い物だったのかも知れない。僕らはただ、その事実に気付いていなかっただけなのだ。



なぜ世の中って、こんなにも思い通りにならないんだろう、と思う。それはきっと、世界中の人々が感じていることだ。コロナ禍になってからは特に。

でももしかしたら僕たちの人生を動かしているのは、自分の思い通りになることではなくて、思い通りにならないことの方なのかも知れなかった。


冷静に考えてみたら、自分が10代の頃に思い描いた夢なんてほとんど叶ってなんかいなかった。僕だけじゃなくて、多分ほとんどの人がそうだろう。


僕は今まで、自分が成功の末にこの場所にたどり着いたんだって自分に言い聞かせて生きてきた。自分の夢が結局叶わなかったという現実を忘れるために。それにそう思わないと、姿の見えない誰かに負けたような気がしたから。

でもコロナがやって来て、どうやら僕の大嘘はまんまと暴かれてしまったみたいだった。そしてコロナは、僕に一つの事実を突きつけた。


そう、僕をこの場所に導いたのは、成功なんかじゃなくて、失敗と偶然だったんだ。


その身も蓋もない事実に気付いてしまって、僕はもう笑うしかなかった。

だけど何故かもう、苦しくはなかった。きっと、自分にかけていた呪縛のようなものから、僕は解放されたんだろう。もう成功だけを追い求める必要はなんてないんだと分かったから。

じゃあこれから、何を頼りに生きて行けばいいんだろうか、と僕は思った。もう夢を当てにして生きて行くことはやめた方が良さそうだ。


その時、頭の中で、誰かが教えてくれた。

今、この瞬間を生きるしかないのだと。


この瞬間を積み重ねて行けば、いつか未来にたどり着くことが出来る。その未来は、自分の思い描いていたものとは違うかも知れない。だけどこうして世界を眺めれば、いつでも感じることができる。自分が今生きている、という根本的な事実を。それは未来を思い通りにすることよりも、ずっと大切なことみたいだった。


僕はふっと笑って、また歩き始めた。以前よりもほんの少しだけ、確かな足取りで。

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