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時間は黒獅子の六刻を過ぎ、市場は後片付けに入っていた。
群青の看板を上げる極海亭は外テラスのあるビアレストランだった。
大きく開いた間取りは昼なら十分な採光を取れただろう。
店の内外に必要以上に派手な格好のお姉さんも見当たらなかった。
「よさそう」
店内は、カウンターと四人掛けの席が三つほど、筒状の照明が遠慮気味に席を照らしている。
魔女が席に着くと、ハルパスのための止まり木を用意してくれた。使い魔を連れた魔術師の利用に慣れているのだろう。
カウンターのママさんは、妙齢の女性であった。宿をお願いすると、快く鍵を渡してくれた。
市場でさんざん飲み食いしたはずだが、軽食をお願いした。
「旅の魔女さんかい? 珍しいな」
不意に四人掛けの席から声をかけられた。
「よさんか」
連れらしき、身長体重に差異があまりなさそうな丸っぽいおじさんが窘めた。
しかし発した男は酔ったような足取りで魔女の横の席に掛けた。
頬がこけて、目の下には隈、いや窪んでいるようにも見える。
彼らの席には丸いおじさんのほかに、椅子から尻がはみ出た小山のような図体の大男がいる。黙々とスープを口に運んでいた。三人して一言で表すとしたら、山賊がそれなりの平服を身に着けている程度の有様だ。
胸には認識票。いつ野垂れ死にしようが身元が分かる、旅人を示す。
魔女がやせこけた男に愛想笑いを返すと、さらに絡んできた。
「これ、使い魔? 俺らより上等な服を着てるんじゃねえか?」
『諸君がみすぼらしいに過ぎるだけであろうよ』
「お、褒めたら喜んだかな?」
クックルーとしか聞こえてないらしく、水差しを突き出す。
ハルパスはそっぽを向いて拒否を示した。
「あらら。サラミなら食うか?」
『ふむ、心安いと馴れ馴れしいの区別もついていないと見える。言葉の使い方を教えてやろうか』
「それはだめ」
魔女がそれを制した。解釈次第でハルパスにも痩せ男にも伝わる言葉を選んだ。
「そうかい。おういママ、モツ煮おくれ、あと酒もお替り」
「女の子に絡むんじゃないよ。つまみだすよ」
虫でも見る目でママさんがくぎを刺した。ありがたい助け舟だった。
「へへ、ごめんな嬢ちゃん、オジサン、おっさんばっかりと飲んでてつまんなくてサ」
ぐい、と出された酒をあおった。
「魔女ちゃんは、これから北に? 南にかい?」
「北の眠りの魔術師に会いに行こうかと」
「だったら隊商についていくのがおすすめだ。眠りの魔術師の領内の貴族や騎士はとかく怠惰でな、ならず者が闊歩している。回廊地帯で手が届かないからと居ついている盗賊団もいるんだ」
「たくさん人がいるところは苦手シャミ」
『しつこい奴だな、追い払うか?』
「いやそこまでは」
「ほら、使い魔もそのほうがいいってよ」
『勝手な解釈を』
ハルパスが不機嫌であるかもわからないので痩せ男は身振りを交えて雄弁になった。
「隊商についていっても内からくすね盗る輩もいる。どうだろう、護衛で雇ってもらえるなら、身の安全を保障できるぜ」
「と、唐突シャミね?」
「身なりで魔女さんがマニをどれくらい持ってるか、ある程度わかるさ。その服、絹に特別な染料で紫色を作ってるんかね? セージギルドで目立ったのかな、足跡つけられてるみたいだぜ。店の外に見ない顔がいる。だから声掛けたわけ」
口角を上げて、顎で外を刺す。
「おぼーしさんを脱いだのが仇になったシャミ?」
「この町の悪者はウサギより耳聡いからねえ。気配隠しなんか使ってたら、逆に目立つってもんよ。倉庫街で二十万も三十万もマニが動けばトレード(交易)ギルドがすぐに嗅ぎ付ける。それが旅人発とあればなおさらだよ」
人相の割に理知的に解析する男に感心していると、それも束の間。
「以前も北からの女魔術師がいたけどよ、鼻持ちならないやつでさ、あっという間に身ぐるみはがされ店に放り込まれたってよ」
「いい加減よさんか、それに子どもに話すことではないぞ」
席から丸いおじさんが注意してくれた。
「はばからずに言えば、その身ぐるみはがす側にお兄さんは見えるシャミー」
「俺が人さらいか! まあ、この面相だし、いかんせん友人の柄が悪すぎるわな」
ひひ、と低く笑い顎を撫でた。
「追っ手を撒くのに三万マニ、どうだい?」
「ふっかけるねえ」
カウンターのママがあきれて声を出す。
「ママ、マジな話だぜ。俺たちはこの店好きだからよお、いてもたってもいられんのよ。ママに被害が及ばんともいえんしな」
『鼻は効くらしいが、いかんせん胡散臭い』
まったくです。激しく同意する。
魔女はちら、と席のほうを見ると、丸いおじさんはお手上げのポーズ。
大男は意に介さず肉をかじっていた。
「そうシャミねえ……一刻だけ何も起こらないようにしてください。それで三万マニ。一万マニはママさんに。宿をキャンセルする迷惑代シャミ」
「あらまあ、ほんとにお大尽様なのかね、降って湧いた一万はありがたいけどさ。その不細工の口車に乗せられてると疑わないのかい」
「たぶんそんくらいの価値がある情報シャミ」
「話が分かるね、ありがたい」
ガタ! と派手に音を鳴らし胡散臭いお兄さんが席を立つ。
『ゆっくり休めると思ったのだがな』
「そこは、もーしわけないね」
一泊も許さないなんて、ほんとにひどい街だ。魔女は三枚の一万マニ金貨を男に渡した。
「商談成立だな。一時間でいいんだな? あんたが何をしようが邪魔させないよう心掛けるよ」
「ちょいと、一万はあたしのさね」
「強欲だねえ、遠慮して受け取らねえもんじゃねえの?」
ぴん、と指ではじいてママさんの手に金貨が飛んだ。
「大きいおじさんにはお肉のお替りと、丸いおじさんにはおいしいお酒を奢るシャミ」
「これは重畳」
丸いおじさんは顔をほころばせた。
「なら、俺は表の見張りに立つ。飯は後回しでいい」
大男は席を立った。
さて、鈴が鳴った、ということだろうか。
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