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「シャーミー♪シャミミー♪」
上機嫌に魔女が先行して階段を上がっていく。
彼女の身長は並べば胸の下あたりで、今は背中が目前にあり、エチケットに反していることはない。とはいえ胡坐をかけば見えてしまうような短いスカートなので、視線には気を付けていた。あらぬ誤解を受けるのは御免だろう。
客室への扉を開くと、船倉と違い灯りが昼白色に変わっている。
足に柔らかな弾力を伝える絨毯、どこからか流れてくる弦楽器の演奏。
貴族の屋敷の内装とまではいかないが壁紙も華美なものである。
「おっと、カイル君!」
通気の取れる喫煙所で、恰幅の良い壮年期の男が通る声で呼びかけた。
「ベルセールさん、ぼちぼち到着ですよ」
「はは。準備できているから暢気しているのさ」
半分くらいの煙草を灰受けに放り、にじりつぶした。
「娘がえらく君を気に入ってね! 帰路も利用させていただこうかと思う」
「どうもご贔屓に」
愛想を振り、娘様のすばらしさを美辞麗句で伝えることも忘れない。
挨拶もそこそこにその場を離れた。
「有力な織物問屋の大商人だ」
「娘さん、そんなに? 翼の国の姫君もかくやとか言ってたシャミ!」
「お嬢様の退屈しのぎにいちいちお付き合いできないさ。軽めの男が苦手な方だったからね、そういう風に演じてやれば火傷はしない」
「ほへー、ダンジョのカケヒキってやつシャミ? 奥深そうシャミねえ」
ちょっと女性を主張するように、魔女は前髪を触り、流れるままの髪を耳にかけてうなじを見せたりした。カイルは穏やかに笑って返事とした。それだけであったが、魔女は耳を赤くした。
「おう、カイル。ぼちぼち積み荷の確認頼むわ」
仏頂面の、カイルより一回り巨体のいかつい男がすれ違い際に言った。
「アイアイ、サー」
答えるカイルの横には、大型犬に怯える子供のように身を縮ませる魔女。
「あの人は自分の仕事をすぐに人に押し付けてくる。ま、下手に間違えられたら余計時間がかかるから、やってやるけどね。今回積み荷が多いし」
そのあとも何人も声をかけられたが、ついぞ魔女に気をとめるものはいなかった。
魔女の帽子には気配を遮断し目立たなくする効果がある。ますます泥棒者向きだ。
「この先が甲板。風が強いからね、気を付けて」
背中に回るように指示し、扉を開いた。
ひつじ雲が夕陽で朱に染まり、空と海の紫の境界には金の粒子が波に輝く。
カイルの後ろから顔を覗かせた魔女が嘆息した。空に、使い魔の鳩が舞う。
やはり船倉より、鳥には空が似合う。
柵までエスコートしようとカイルが手を差し出すが、魔女は強風で飛ばないよう帽子を両手でしっかり押さえていた。
「帽子より、スカート押さえたら?」
「おぼーしさんがあれば、誰もシャミーを見ないから!」
「俺が目のやり場に困るよ」
カイルは背に回り、舞踏曲の中央に誘うように船縁に導いた。
「いっそ後ろから抱っこしてもらったほうが」
「何なら肩車しようか?」
「そ、それは間違いなくめっちゃ怖いと思うシャミ!」
結局、後ろから支えるようにして抱き、帽子は飛ばないように脱いだ。
魔女は広い袖口から手鏡くらいの硝子板と、水晶玉を取り出した。
「おお」
カイルは思わず感嘆した。初めて道化の芸を見た時と同じ驚きだった。
「萌え袖は伊達じゃないシャミー。何でも出てきますよ?」
水晶玉を空にかざし、硝子板を最も美しい夕陽に向けた。
すると、硝子板の面に景色が切り取られたように景色が残った。
「魔女ベンチャーギルドのみんなにも見てもらうシャミ」
水晶玉に硝子板の景色が映り、そして硝子板は元の透明に戻る。
板から水晶玉へ景色が移動したように見えた。
「マジョベンチャーギルド」
カイルが不思議な言葉を復唱する。
冒険者の座をアドベンチャーギルドと呼ぶが、魔女の座のことだろうか。
初耳だった。
「太陽の仔ヘーリオスと黒の獅子ネルガルの争いが昼夜を定め、夢幻と現の誰彼刻のみ人の世はその束縛から逃れる」
どこかで聞いた叙事詩の一節をカイルは呟いた。
『クックルー』
「お兄さん、その成句頂戴するシャミ。投稿っと」
『くるるる?』
「にへー、シャミーが考えたことにするシャミ!」
『クー……』
しばらくすると、硝子板に文字が並ぶ。
FANIR:映えるー
ヘプラ:綺麗だネ。山からはこう見えるヨー?
別の場所、同時刻の夕焼けが硝子板に映った。
「すごい、こうやって連絡できるのか」
へプラという人物から送られたであろう雲海に消える夕陽が鮮明に見て取れた。
「水晶玉でチャンネルを繋ぎ、文字と絵を送れるシャミよ?」
「早く到着できることも伝えられるし、嵐で危機を教えるのにも便利だ。これって、 北の竜鱗騎士団領の都あたりだと広まっているのかい?」
「ネルガル様が竜の王様に渡された知恵の板の模造品として、魔術師の中には使っているひといるかも? 使っているのは、見たことないけど」
――情報伝達端末として普及させるのは考えたが、新天地のヒトにはまだ早すぎるでしょう。電波ではなく魔術師同士の工房で繋げるか、マナを用いてどこでも使えるようにするか、判断に二の足を踏んでいるのが現状です。
「魔術師の座で、同じ座の団員なら、巻物で連絡しあっているのは港でも見るかなあ」
門外不出の守秘の情報のやり取りが多く、厳重な封印と万が一、第三者に奪われた時の消去の呪いの設定などで高額の術式を用いる。これはお金に五月蠅いハルコン様のアイデアである。
「水晶玉のチャンネルが無いと使えないから、まだまだ身内同士しかシャミれないですねえ。これを広域で使えたら、広く願いを集められるからいいなーとは思ってるシャミ」
魔女がカイルを見上げた。帽子を脱いだ容姿は、蝋燭より白い肌に林檎より赤い瞳を持つ。気配を消す帽子なしであったなら、先程廊下ですれ違った彼らはどんな反応をしただろうか。
悲しいかな、否定的な考えしか出てこなかった。物珍しい容貌の持ち主に世界は冷たい。ウサギに見立てて、幸運のお守りとして体の一部を奪おうとするやもしれない。
「ところで水兵さんに、‘願いごと’はありませんか?」
不意打ちに問う。
「どうだろう」
逡巡のあと、ごちた。
「どうだろうねえ、例えば、行きつけの酒場の高嶺の花の女性の目をひきたい、とか?」
「たぶんそれは違うみたいですね?」
見透かすように否定した。
「じゃあ、お金。マニがたくさん欲しいな。なにせ食べていくのでやっとだ」
「あまりお給金に不満はないようですよ?」
「くふっ」
被せるように即答され、自然と含み笑いが漏れた。
「お見通しってことかな? 本音を言えば、心からの願いを口にするのはちょっと怖いよ。魔女様に願いを叶えてもらった物語の最期って、たいてい悲劇じゃないか? 海の泡に消えたり、母君に焼けた鉄の靴を履かせたりさ。いじわる姉妹が小鳥に眼を刳り貫かれたっていうのも、あったかな」
『ククール』
自分に飛び火しそうと感じたのか、空から鳩の抗議の鳴き声が上がる。
「叶えたい願いの重さで天秤を壊すことがなければ、そうはなりませんよ?」
そういうと、魔女はカイルに今一度、思考を促す。
「……」
彼は答えられない。ゆっくり、魔女が口を開く。
「どうしようもない理不尽にぶつかった人が、最後に手の平に残す鬼札。それが魔女への願いです。引いたそれを使わずに降参するかは、お任せします」
魔女。
目の前の小さな影法師と重ね、彼は心の中でそう呟いてみた。
水平線に夕陽は消えて、互いの顔はもうわからない。誰彼時。夢幻と現の誰彼刻。
波の音、風の音。それは遠くに消える。まるで時間が止まったかのように。
「そうか、それじゃあ」
何かが遠ざかるのを感じながら。カイルは慎重に、しっかりと口を動かした。
「ひとつ、話を聞いてくれないかな。ただ、願いとは、違うと思うかもしれないけど」
「喜んで」
心からの願望。それを伝えるべく、カイルは口を開いた。
星の目から、過去、或いは記憶の深淵を覗くには――蛇の目に切り替えなければならない。そこに潜む災厄を見つけなければならない。
私の主、フィンブルヴェト・ビュルムはこう命じた。
『新たな災厄が生じた。討伐せよ。百識の魔術師』
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