武蔵野に遺りしモノ

凪司工房

1

 背の高い草をかき分けながら進むと、ようやく見晴らしの良い場所に出た。山を超えたようだ。窪んだ土地にはぽつりぽつりと人工物が見える。だがもやが漂い、視界は明瞭とは言えない。それでもおそらくここがその付近だろうと当たりを感じ、ロイドは自分の右側で前足を舐めている犬のような相棒に言った。


「目標に近づいたと思わないかい?」

「ここまで降下地点から何時間かかったと思っているのだね、君は」


 溜息にも似たつぶやきは機械音声と呼ぶには随分と人間味があったが、パスカルが本物の犬ならこうやって会話をすることがなかったのだなと思うと、それでも感慨深い。


「仕方ないじゃないか。かつてのようにGPSは使えず、管制塔のような設備もない。それでいて飛空艇は飛ばして僕たちを適当に落としていくのだから、たった六時間くらいの誤差は受け入れるべきだと思うよ」

「人間の一日の睡眠時間の平均値を知っているか?」

「確か七時間くらいじゃなかった?」

「君が人間ならあと一時間しか眠れない」

「かつての人類は残業を好む種族もいたそうだから、一時間も確保できるならまだ良い方なんじゃない?」


 けっ、という不満を表現する為だけの発声をして、パスカルは先んじて歩き出す。


 大地の大半は枯れたような細い草で覆われ、木々というのは生えていても葉すら付けていない。見上げた空はずっと雲がふたをしていて、当然太陽の光などというものは存在しない。暗く、陰鬱いんうつで、まともな人間であれば精神を病み、生きていくことは難しいだろう。

 それでもロイドは防護スーツに身を包んだまま、軽々とした足取りで斜面を下っていく。

 人工物は雑巾をぐるりと絞ったようにうねるアスファルトの道路だった。おそらくは片側二車線。都市間を繋ぐバイパスだろうと思われる。


「パスカル。エネルギィ反応はまだない?」

「未確認だ。赤外線センサが故障していなければ」


 その壊れたバイパス道路を頼りに進むと、やがて右手に大きな施設が見えてきた。


 ひび割れて間から草が伸びているアスファルトを敷き詰めた駐車場らしき広場には錆びついてオブジェと化している旧世紀の車輪付き自動運送装置が放置されていた。

 ロイドとパスカルはいくつか残っていたその機械に使える部品やバッテリィの類がないのを見て溜息をつくと、巨大な箱として未だに残っている工場跡に入った。電源は生きておらず、中は暗い。入口付近の通路は窓ガラスが全て割れている為か通気性が良いが、少しでも中に入ると明かりもほとんどなく、空気も淀んでいた。


「有毒ガスは発生していない」


 先に入ったパスカルが確認し、続いてロイドもその巨大な部屋に入る。

 ベルトコンベアが何台も並び、大型の機械がそれに繋がっていた。隣の部屋には幾つも箱が積み上げられていたが、どれも腐食していて、原型といっても箱だったことが分かる程度だ。触れればすぐに砂と化す。


「パスカルは何を作っていたんだと思う?」

「情報が不足し過ぎていて判断することは不可能だ」

「いや、だからどう思うかって話。何もなくてもあれこれ想像するのが人間らしいってことだと思うんだ」

「工場の規模、設備から推定されるのは何かの飲食物であった可能性だ。それ以上の推測はできない」

「ありがとう」


 別の部屋に入ると、スチール製と思われる棚が幾つも並んでいて、棚そのものには何も並んでいなかったが、片方の壁に缶詰と考えられる小さな金属製の入れ物がまとまっていた。当然どれも錆びついていて、幾つかは蓋が開いていた。大丈夫に見える一つを手に取り、蓋を開ける。中身は乾燥しているのか、黒っぽい塊が幾つか入っているだけだ。


「分析する?」

「いや」


 パスカルに断られたので、仕方なく元の場所に戻し、ロイドは部屋を出た。

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