覚醒と暴走

第1話 『魔王城の姫』

 ちょうど正午を迎えたであろう頃。ジンはまたもやクリスに連れられて、街に新しく開いたという喫茶店へとやって来ていた。たまには、こういった小洒落た場所で昼食をとるというのも悪くはないだろう。十分程度並んだ後に、ようやく二人は店の入口の扉と対面する。

(なんだか緊張するな…)

 ジンが扉を引くと、その頭上でチリンチリンと心地良く揺れる鈴が音を奏でた。近くに立っていた店員がその音に気づき、軽く頭を下げる。


「いらっしゃいませー!……って、あれ?ジンくんとクリスちゃんじゃん。もしかして今日は、二人でおデートかなぁ?アツいねぇ、アツいねぇ」

「…もう、揶揄わないでよサラ。——それにしてもあなた、ここでアルバイトをしていただなんて知らなかったわ」

「まぁね〜。ここなら学園から結構近いし良いかなって。それより、どう?似合う?」


 くるりと一周回り、サラは二人に自分の制服姿を見せた。それと一緒に、黒のロングスカートもふわりと軽やかに舞う。

 彼女が身につけているエプロンや三角巾からは、落ち着きや清楚さが感じられる。肘から下以外の露出は一切無く、まさに店の雰囲気に合ったような上品さだ。それを着こなしている彼女自体もやはり、素材が良いとしか言い様が無いのだろう。茶色のローファーも店舗から支給される物であり、他の店員たちも同じ物を履いている。

 そんな姿を見て、クリスは迷うことなくその質問に答える。


「ええ、とても似合っているわよ。——いつもの乱暴な姿からは、考えられないほどにね」

「むぅっ、乱暴って何よ〜。…ま、褒めてくれてるなら許すかな。んで、ジンくんはどう思う?」

「クリスの言う通り、すごく似合ってるぞ。なんでも着こなして、流石はサラって感じだな。見惚れてしまうな。……いでっ⁉︎」


 隣のクリスが、サラに勘づかれないようにジンの太ももを強くつねる。理由は分からないが、頬を膨らましていることだけは確認できた。もしかすると空腹で仕方がないのかもしれない、とジンは考える。

 そんな彼の様子から何かを察したサラが、二人を席に案内し出す。店の中央にある席だ。テーブルや椅子、本棚など、店に置かれているのは基本的に木製の物で統一されている。

 メニュー表を開こうとするクリスに、サラがひとこと耳打ちする。


「クリスちゃんって、独占欲強いんだね」


 その言葉は、向かいに居るジン届くことは無かったが、眉間にしわを寄せるクリスや、クスクスと笑うサラのりを見て、どうせいつも通り余計なことを言っただけだろう、と察した。

 『サラちゃん、厨房手伝って〜!』という言葉が耳に入るともに、彼女は真剣な表情へと戻った。『ごゆっくりどうぞ』と言い残し、その場を去る。

 その後ろ姿をじっと見つめているジンの膝を、クリスが軽く蹴る。


「——ん、どうかしたか?」

「ぼーっとしてないで、決めちゃいましょう」

「……そうだな」

(私って、やっぱり独占欲強いのかしら…?)


 そっと自分の唇に手を当て、思い返すのはジンと交わした二度目の温もりだった。顔や耳が熱くなるのを感じるが、それを隠すように慌ててメニュー表を立てて彼からの視線を遮る。


「…わっ、私はホットコーヒーと、マスターのオススメ昼食セット。あとは、ふわふわミニパンケーキとサラダで‼︎」

「おいおい、そんなに食べられるのか…?」

「食べるのよっ‼︎」

「…お、おう」


 クリスの勢いに負け、ジンはそれ以上何も言うことは無かった。



「ふぅ〜、美味しかったわね」

「そ、そうだな…」

(あれだけの量をよく食べ切れたな…。というか、何処に入ってるんだ…?)

「何よ、甘い物は別腹だから良いのよっ」

「別に何も言ってないが…」

「あなたが考えていることくらい、そのいやらしい目つきですぐに分かるわよ」

「そんな風に見られてただなんて、心外だな…」


 店を出る彼らと入れ違いになるように、一人の客が中に入ろうとする。


「…もしかして、ジン様ですか?」


 歩みを止める少女の声は儚く、ジンの元へは届かなかった。


「いらっしゃいませ、一名様ですか?」


 店員に声を掛けられ、彼女は後ろ髪を引かれる思いで奥へと進む。

(やっと…やっと会えた…私の王子様…!)

 その首元で輝くネックレスのトップは、どこか見覚えのある物で——。


「…今、誰かがあなたのことを呼んでいたように感じたのだけれども…」

「全く気づかなかったな。どうせサラじゃないのか?何かあれば、また今度言いに来るだろ」

「そう、ね…」

(あれは、サラの声だとは思えなかったのだけれど…聞き間違えたのかしら…?)


 気にはなるが、深く考えないことにする。とにかく今は、ジンとのこの時間を楽しむべきだ。クリスは『行きたい所があるの』と言い、有無を言わせず彼を目的地へと連れて行った。

 そして——『相変わらずだな…』これが、その場所へと到着したときにジンが放った言葉だった。


「本屋くらい誰だって来るでしょっ!」

「俺にとっては、クリスの部屋が本屋みたいなものだが…」

「——私の小説目当てだったのね…⁉︎」

「いや、そんなことは無いが…ただの例えだよ」

「そこは、『身体目当てみたいに言うな』とツッコむべきよ。あなたには、ギャグセンスを磨く為の本でも探そうかしら」

「…遠慮しとくよ」

「冗談よ。そんなことより、あなたに見せたい物があるのよ」


 そう言って中に入るクリスの後を、ジンは付いていく。彼女の歩みには一切の迷いは無く、自身の目当ての物がどこにあるのかということは完全に把握している様子であった。


「あったわ。これよ。ジンはこれを読んだことはあるのかしら?」


 前屈みになり、クリスは棚に顔を近づける。その視線の先には、一冊の絵本。”これ”と言われるだけでは理解できないであろうジンの為に、手に取ってみせる。『魔王城の姫』と書かれたそれは、彼女の思い出の本だった。

 しかし、ジンにとってはそんなことも無く、ただの見知らぬ本であった。


「魔王城の姫…?初めて聞いた名前だな。クリスのオススメか?」

「この歳になって楽しめるかどうかは分からないけれども、幼い頃はよく読んでいたものよ。探せば実家にあるでしょうけど…久々に買って読んでみようかしら…」


 そう言いながらクリスは『魔王城の姫』を手に取った。ドが付くほどの本好きであるその彼女の行動を見て、ジンはついつい笑いを溢してしまった。


「ははっ、このままだとクリスは、将来本屋の店主にでもなりそうだな」

「…それも悪くないわね。そのときは、あなたのことをいっぱいこき使ってあげるから、覚悟しておきなさい」

「俺が店員になる前提なのか…。それはそれで楽しそうだな」


 こうして話をしながら、クリスは買う物を選んでいたようで、既に四冊の本がその腕の中に抱えられていた。このままでは、いつか部屋のほとんどが本当に本で埋め尽くされてしまう日も、そう遠くはないであろう。しかし、彼女の満たされた表情を見ては、ジンはどうも否定できそうになかった。

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