EX.毒を飲む子どもたち

「お前は、本当に役に立たないヤツだな‼︎どうしてそんなこともできないんだ‼︎」


 聞き慣れた声に、いつも通りの痛み。男の怒声の後に、頬を強く打つ音が響く。

 床には紅の絨毯。家具は全て木製の物で、黒に近い色で統一されている。

 歳はまだ一桁程度だろうか、上手く受け身も取れずに、豪華なシャンデリアの下で、頬を押さえながら少女が倒れた。

 そんな彼女の瞳には、世界がモノクロに映っていた。繰り返される苦痛の中、生きる希望も、意味も、いつの間にか失ってしまっていたのだ。

 振り返ってみるが、涙に濡れた瞳に映すのは、拳を構える男の姿。


「どうして親の言うことが聞けないんだ‼︎ガキは、大人しく親に従うべきなんだ‼︎」

「ごめんなさ…っ‼︎」 


 全てを言い終える前に、男の大きな拳が頬を打った。

 全てが恐怖と絶望に包まれた世界で、彼女は抵抗する意志さえも失くしていた。

(ごめんなさいゴメンなさい御免なさいごめんナサイごメんナサいごめンなさイごめんなサいゴメんなサい御免ナサいゴめんナさい御メんナサイごめんなサいゴメんナさイごメンなさい‼︎)

 快晴の空から降り注ぐ光が、彼女の心の内を照らすことは一度も無かった。

 ——血の匂いがする。鼻の奥から流れたそれが、白い皮膚を伝い、絨毯の色と同化する。

 起き上がろうともしない彼女の上に、男は馬乗りになる。


「こっちは、わざわざお前なんかを産んでやったというのに!少しくらいは、親孝行をしてみたらどうなんだ‼︎」

(そんなの頼んでない!望んでもない——っ‼︎)


 振り下ろされた拳に怯え、反射的にまぶたを下ろす。

 鈍い音が耳に刺さるが、彼女は一切の痛みを感じることは無かった。


「…ど、どうしてっ!」


 恐る恐る目を開けてみると、少女とほとんど歳の変わらないような少年が、男のことを殴っていた。

 しかし、少年の力では何もすることができない。突然の出来事に怯んだだけで、男は大した痛みは感じていなかった。むしろ、それは怒りを増長させていた。


「兄さん…どうして私なんかを…っ⁉︎」

「大切な妹を守るのは、兄貴の役目だ!俺が居るから、こんなヤツなんかに負けるな!俺たちは奴隷でもなんでもないんだ!だから、自由に生きることを諦めるな!」

「…ぐぐぐ、お前たち兄妹は、どこまで私を不愉快にさせたら気が済むんだ!…出来損ないで無価値なお前たちを、誰が育ててやってると思っているんだ!」


 男は少年の首を掴み、軽々と投げ飛ばした。

 今度は尻もちをつく少年に馬乗りになり、何度も何度も拳を振り下ろした。その勢いに、少年は左、右と交互に首を振る。


「どうして親の言うことが聞けない!どうして親に反抗する!どうしてだ!どうしてなんだ!答えてみろ、このバカ息子め!ふざけるのも大概にするんだ!」


 答える隙も与えぬように、男は少年を殴り続ける。人を殴る拳の痛みすら、感じなくなってきた。むしろ、それは快感となる。

(これは教育だ!無能に対する大切な躾だ!私はいつも正しいことを言っている!それなのに、こいつらは——‼︎)


「お前たちみたいなヤツは、首輪を付けて犬小屋にでも住んでいるべきなんだ!」

「やめ…やめて…兄さんが…死んじゃう…やめて…やめてよ…ねぇ、どうして?どうして私たちなの…⁉︎」


 それを後ろから見ていた少女には、少年のような勇気は無く、ただ小さく声を上げることでしか反抗することができなかった。

(どうして…?どうしてなのかな…?産まれてきたことがダメだったのかなぁ…?)

 そのような日々が繰り返され、いつしか少女は無意味な自己否定を繰り返すようになっていた。


「私には何もできない。どうせ、私なんて…」


 兄が家を出て行き、数年が経った。

 心に数えきれないほどの深い傷を負ったままで、彼女はアラン学園へと入学することになる。


「……お前だけはのようにはならないでほしい。私を失望させないでくれよ。———信じているぞ、ハル」


 ・ ・ ・ ・


 この痛みを背負うのは、どうして私だったんだろう。前世があるのなら、何か大きな罪でも犯したのだろうか。分からない…分かるはずもない。だってそれは私ではないもの。運命さだめに理由なんて無い。

 望まない命、望まない人生なら、死んでしまったほうが楽なのかな?望まれない私が消えてしまっても、誰も悲しまないだろう。

 ——何かが足りない。多くのモノを失った私は欠陥品。人間失格。だけど、悲しくなんてない。どうして何も感じないんだろう。いつからそうなってしまったのだろう。

 こんな日々を繰り返す私に、未来はあるのだろうか。救いなんてものは、どこにも無かった。

 生きようとすればするほど苦しくなって、何かを失って、耳を塞いだ。

 踏ん張り続けて折れた脚では立ち上がれなくて、だからもう嫌になった。

 分からないことばかりを飲み込んできた心も、もうこんなにもボロボロになった。



 ——無価値な私のまま、この暗い世界で生き続けるほうが怖い。




    —センドレの養成学校(完)—

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