第8話 突然の訪問者

 アキラと別れ、やっと自分の部屋へ来ることのできたジンは、軽く荷物の整理をしてから風呂に入っていた。

 そこでは、明日の模擬戦のことについて熟考していた。

(油断は禁物だ。今日は早く寝るとしよう)

 一度頭のてっぺんまで湯船に浸かり、十を数えた後に彼は外に出た。

 身体を拭き終え、髪を拭き始めようとしていた矢先、誰かが彼の部屋の扉をノックした。


「鍵は開いているから、勝手に入ってくれて構わないぞ。ただ、今は風呂から出たばかりで——」


 その言葉の途中で扉を開けて中へ入ってきたのはクリスだった。


「はっ、あっ、あなたどうして服着てないのよ…って、下も……⁉︎」

「だから言っただろう、風呂から出たばかりだって」

「だからって、全裸で出迎えるヤツがいるの⁉︎ふざけるのも大概にしなさいよ‼︎というか、早く隠しなさい‼︎」


 クリスは顔を紅潮させ、勢いよく扉を閉めて外へ出た。そのまま扉にもたれかかり、崩れ落ちる彼女の顔は未だに赤く染まったままだ。

 両手で顔を押さえながら彼女は呟く。


「お、男の人のって…あんなに…」


 ジンの身体を見たときのその光景が、クリスの頭を支配する。

 そうやって頭を抱えている彼女が扉の前に居るなどとはつゆ知らず、髪を乾かし終えて服を着たジンは勢いよく扉を開けた。

 そのせいでクリスはジンに向けて尻を突き出し、地面に頬を付けている状態で彼を出迎えることとなってしまった。

 

「……何してるんだ?」

「…あ、あなたのせいよ」


 鼻を地面にぶつけたクリスは、うっすらと涙を浮かべながら部屋の中へと入る。

 ジンは、髪を乾かし終えたとはいえ、ところどころ濡れている部分もあり、首にはタオルを掛けていた。その様子から、彼の全裸を思い浮かべてしまうクリスだったが、頭を左右に振ることでなんとか邪念を消し去っていた。

 そんな彼女に茶を出し、ジンは質問をする。


「それで?何か用事があってここに来たんだろ?」

「用が無いと来たらいけないのかしら?…なんて、冗談は置いておいて、明日のことを話しにきたのよ。……何よ、何か変なことを言ったかしら?」

「いや、クリス・ヴァーキン…さんも冗談を言うんだなぁ、と」

「クリスで良いわよ。私だって、相手が居れば冗談を言うことくらいはあるわよ」


 彼女は照れ隠しをするかのように、一気に茶を飲み干した。そして、何事も無かったかのように話を続ける。


「模擬戦のルール、知らないでしょ?大切なのは三つよ。相手を殺してはいけない、観客を故意に巻き込んではいけない、降参した相手へ攻撃を続けてはいけない。これだけ覚えていれば良いわ」

「肝に銘じておくよ。ちなみに、使用する武器の指定は?」

「無いわ。この学校の医療科の先生には優秀な人が多く居ると聞くわ。死んでいなければ治せるという自信があるのでしょうね」

「それならこちらも遠慮なくさせてもらうとしよう。わざわざ教えに来てくれて助かったよ」

「元はと言えば私が蒔いた種よ。こんな時間にお邪魔して申し訳なかったわね。おやすみなさい」

「あぁ、おやすみ」


 部屋を出ていく彼女の背を眺め、ひらひらと手を振ったあと、ジンは床の上で大の字になった。風呂上がりの身体を冷ますかのように、床の冷たさが背中に沁み渡る。


「模擬戦、か…」


 ・ ・ ・ ・


「よぉ、迎えに来たぜ、ジン」


 翌朝、ジンの部屋の扉を叩いたのはアキラだった。何故か頭には包帯を巻いていて、心なしか左目も少し腫れてしまっているように感じられた。


「それ、どうしたんだ?」

「あぁ…昨日のチャックのことでさ、バディにめちゃくちゃ怒られちまってな…あはは」

「お前のバディは猛獣か何かなのか…?」

「確かに、そうかもしんねぇな」

「ところで、隣にいるのは…?」


 ジンを訪ねたのはどうやら一人だけではなかったようで、アキラの隣にはもう一人、見知らぬ女子生徒が、不機嫌そうな表情を浮かべながらそこに立っていた。その彼女の片足は、アキラの足をしっかりと踏みつけている。

 アキラといくらかは身長差のあるものの、彼女もそれなりに背が高く、ジンとほとんど変わらない程度であった。腰の位置も高く、スカートから出るスラリと細い脚が……アキラの足の甲をぐりぐりと踏みつけている。


「どうも、こいつのバディで猛獣のサラ・メイティーです。今日の模擬戦頑張ってね、私アゴハのこと嫌いだったから一発かましてやってよ」


 本人はそう言って笑みを浮かべているつもりなのだろうが、目は全く笑っていなかった。

 彼女の圧に押されながらも、ジンは『…尽力するよ』と返した。

 サラとは幼い頃からの仲だというアキラのことを考えると、背筋にゾッと寒気が走る。

(足を踏まれるくらい、慣れてしまっているのかもしれないな…)

 何はともあれ、彼女らがジンのことを応援しに来てくれたことには変わらない。

 そんな気持ちを受け止め、ジンは言う。


「…ありがとう、二人のおかげで気が楽になったよ」

「なーに、良いってことよ!そんじゃ、俺たちは客席から観てるからな!」


 ひらひらと手を振り、二人は訓練場の客席へと向かった。

 その道中、サラは『ぷはぁーっ!なんか緊張したぁ…』と大きく息を吐いた。


「あれ、お前ってそんなにも人見知り激しかったっけ?」

「違うわよ。彼の部屋を開けた途端、何かもの凄いオーラを感じたというか…こう、不気味なものに身体中を包まれてる感じがしてさ…。上手く笑えてたかなぁ…?」

「はははっ、お前の笑顔が下手くそだなんて前々から分かってたことだろ!」


 そうやって大きく笑うアキラの背中を、サラが力強く平手打ちする。


「失礼ね!作り笑いが苦手なだけよ!」

「だからってそんな叩かなくたっていいだろぉ?俺がジジイになったときにそんなことされたら、ギックリ腰どころじゃ済まないぜ…?」

「じ、ジジイって、アキラはそんなにも私と…⁉︎もう、これからアンタの友達の模擬戦だってのに急に変なこと言わないでよ‼︎」


 もう一度彼女はアキラの背中を平手打ちするが、その理由は彼には分からなかった。

 一方、ジンは未だに部屋を出ずに、ベッドを背もたれにして静かに座っていた。

 その瞳には、ドアノブが映っている。


「……来るわけないよな。そろそろ行くか」


 扉を開けてみると、『うぎゃっ』という声を上げて、クリスが昨晩と同じような体勢で地面に顔をつけていた。何故なのか、ジンが扉を開ける度に、クリスは顔を地面につけて尻を彼のほうに突き出して待ち構えている。

 そんな姿を見たジンの表情は、先までの張り詰めていたようなものとは一変し、頬を緩めた。


「ふふっ、お前はどうして毎回そんな変な姿で俺の部屋の前に居るんだ?」

「だから、全部あなたのせいだって言ってるでしょ…」


 今回もクリスは鼻を押さえながら、瞳を涙で濡らしている。細い指先が、少し赤くなった鼻に触れている。

 気を取り直して彼女はジンに一言告げる。


「全力でやりなさい。そうじゃないと——」

「分かってる。バディの件は無かったことにされるんだろ?」

「そういうことよ。分かっているのなら良いわ。今日は観客が多いようだけれども、緊張して本気でやれなかっただなんて、通用しないからね」

「大丈夫だ、緊張は今ほぐれたから」

「そう、期待してるわよ。またね」


 ジンはクリスの姿が見えなくなると、自分の両頬を叩いて『よし』と呟き、部屋の壁に立てかけてあった剣を手に取った。

 彼が、校舎の外にある訓練場へと向かう道中は異様なまでに静かで、それだけ多くの生徒が外に出て行ったのだろうということは容易に想像することができた。

 長いようで短いように感じられるその移動時間で、ジンはエルノードのことを思い出していた。

(これを乗り越えられなければ、俺はお終いだ…)

 こうして彼が目的地へ着くと、それまでの静寂が嘘だったかのように多くの者たちが歓声を上げた。

 客席を埋める観衆を見渡し、そこにいるアキラやサラ、そしてクリスを見つける。クリスを除いた二人は、そこに居る誰よりも大きく手を振り、ジンを激励しているようだった。


「やれやれ、これだと無様な姿は見せられないな…」

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