第8話 サンドウェッジ

 三葉早苗と西條飛鳥はバンカーの前に立っていた。2人とも手にサンドウェッジを持っている。

 2人は同時にバンカーの中へボールをドロップした。快晴が続いて砂もよく乾いている。ボールはそれぞれ同じように砂に埋まった。

 部員全員でグリーンを取り囲んでいる。

「1年だろ、バンカーショットなんて経験ないんじゃないのか?」

3年生が声を潜めて話している。

「マッチプレーゴルフの最高峰だぞ。1年なんか敵じゃないでしょ」

 別の3年生が言った。

「静かに! グリーン周りのマナーです」

河井がざわつくギャラリーに声を上げた。

「いいわよ。すぐ済むから」

 三葉が河井を見ながらギャラリーに言うと、サンドを手にバンカーへ降りた。

「この位置関係だと私が先でいいわね」

 三葉が振り向いて飛鳥に言う。飛鳥は黙って頷くが、自分が既に三葉の術中に嵌まっていることに気が付かない。

 何気なく飛鳥は三葉の右に立った。だが、三葉はそう仕向けたのだ。自分が先に打つために。

 三葉と飛鳥のドロップしたボールは50センチほどしか離れていない。これでは、飛鳥が先に打てない。打とうとすれば三葉のボール周りの砂を踏み付けることになるのだ。

 だから三葉の申し出は至極真っ当でマナーに則った行為となる。

 だが、飛鳥が考えているうちに三葉はアドレス※10  に入っていた。飛鳥は慌てて三葉の視界に入らない位置に避ける。

 カンッと軽いインパクトの音がして、少量の砂とボールが舞い上がった。ボールはグリーンエッジから3メートルほどの場所に落ちると、そのまま転がり出す。

 コースのグリーンと言うわけにはいかないからラインに乗ることはない。だが、ボールは確実にピンに近付いていた。

 三葉のバンカーショットはピンそば1メートルの位置に止まった。その瞬間ギャラリーから歓声が上がる。

「さ、どうぞ」

 バンカーを出ながら勝ち誇ったように三葉が言った。乱れた砂地を直しもしない。

 飛鳥にはプレッシャーだ。1メートルより近くに寄せなければ勝てない。飛鳥はようやく三葉が先に打った理由が分かった。

 仮に1メートルが1メートル50であっても、2メートルであったとしても、ピンに寄れば後番には大きなプレッシャーになる。

「練習グリーンは僅かに傾斜が着いていて、強く打てばすぐにオーバーしてしまう。これで、西條さんは終わったわね」

 今度は2年生の1人が勝負を見守る河井に話し掛けた。

 河井も同様に考えていた。1年生の西條には端から勝ち目はなかったのだ。そして三葉は容赦ない。

「マッチプレーの覇者だからね」

河井が同意した。

 飛鳥がバンカーに入る。足場を固めるべく、砂に靴を沈めた。

 左足をやや後ろにスタンスを取る。1回サンドのヘッドをボールの後ろへ持っていく。この角度だ。飛鳥は了解すると、ゆっくりとクラブを振り上げた。 

 飛鳥の脳裏には小清水のバンカーショットが映し出されていた。小清水に習った3年間で飛鳥はあらゆるショットを体得した。

 特にバンカーからのショットは色々な意味で重要だと小清水は言った。相手に掛けるプレッシャーで試合の流れすら変えられる、と。

 飛鳥は上体を回転させながら一気にクラブを振り下ろす。バシッと音がして大量の砂とともにボールは高く舞い上がった。

「強い。あれじゃ直接カップインでもしない限りグリーンを転がり落ちてしまう」

河井が呟く。

「勝った」

 三葉が小さく拳を握った。ボールは砂の中を抜け出し、ピンに向かって飛んでいく。

 飛鳥はようやくフォロースルーからのフィニッシュを解いた。ボールを目で追う。

「行け!」

 ちょうどピンの真上辺りでボールは降下を始めた。放物線ではない、頂点から一気に落下するようなボールの動きだ。

「まさか・・・直接カップへ?」

河井が言う。

「バカな。あり得ない」   

三葉が呟いた。

 だが、ボールはピンの先1メートル当たりに落ちる。

「あそこで止まればいい勝負だが、あのままグリーンを転がる。ランオーバーだ」

 河井が勝負あったと思った瞬間だった。地面に落ちて1、2度弾んだボールはグリーンの緩い傾斜を登り出した。飛鳥のボールは勢いよくグリーンを転がりピンそば30センチに止まった。

「バックスピン!」

ギャラリーから声が上がる。中1の女子がバンカーからのバックスピンショット※11       を決めた。

「そんな・・・」

 三葉は呆気にとられた顔。飛鳥は緊張を解いてホッとした表情だったが、笑いはしなかった。

「祐子先生なら、30センチも狂ってる。不正確なショットね、だろうなあ」

 飛鳥は思った。


※10アドレス ボールを打つためにクラブを持ってボールの前で構える初期動作のこと。プレーヤーがアドレスに入ったら誰もが静粛を守らなくてはならない。

※11バックスピンショット ボールに逆回転を与えて勢いのまま転がってしまうのを防いだり、ピンへの寄せに使ったりする高度なテクニック。

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