第2話
「…でさあ、酷いと思わない??」
狭苦しい教室で、椅子ごと後ろに向けて私の机で頬杖を付く彼女。
たったそれだけの動作でも嫌になる程絵になる、それがこの橋本玲花という人間だ。
玲花のステータスを上げるならばそれは女子高生の憧れを詰め込んだ、というのが1番手っ取り早いだろう。
愛くるしいベビーフェイスと対象的な物怖じしない性格が彼女をより際立つ存在にする。
圧倒的なカーストの差を感じるものの、なぜだか私は玲花に気に入られている。
電車で1本30分、徒歩15分。
計45分かけてやってきたこの場所で交わされる言葉はこのように中身のないものばかり。
これが女子高生のあるべき姿と言ってしまえばそれはそうなのだけれど。
4限目を終え、適当に購入した昼食で物理的に満たされたせいか余計に面倒に感じてしまう。
「まあまあ落ち着きなって、」
さも自分は悪くないように語り、当たり前のように同意を求めてくる。
私に何と言って欲しいのだろうか。
何を言えば正解なのだろう。
最適解を教えてくれたら、私はきっとその通りに出来るはずだ。
疑問形にするくらいなのだから玲花の中には既に欲しい言葉があって、それに対してこちらがどう応えるかが重要なのだ。
えーまじで酷いじゃんなにそれ。
玲花はなんにも悪くないよ。
と言ってやれば玲花は納得してくれるのだろうか。
「もう翼ったら、何か言ってよ。」
玲花はそう言いながら私を小突く。
こういう時の正しい反応はYouTubeもTikTokも教えてくれないし、クラスメイトを観察してみても私には分からなかった。
「災難だったね玲花。
自販機でドーナツ奢るから元気だして。」
焦点の合ってるか分からない瞳で玲花を見つめた。
「え、まじ?翼優しいじゃん。」
「やっぱ持つべきものは友達だね。」
こちらを見ながら指ハートをする玲花はいかにも女子高生らしくて可愛らしいと思った。
そもそも何の話してたんだっけ。
まあそんな事はどうだっていい。
人間の話なんてものは8割聞いてなくてもなんとなく同意して、適当に相槌しておけばある程度は丸く収まると、たがが17年間の人生でそう学んだ。
財布を取り出して1階に設置された自販機へと歩く。
お菓子は禁止とか言いながら、ドーナツは販売してしまうのがうちの学校の気持ち悪いところだ。
ひとたび廊下を出れば、生徒の山。
ここはスクランブル交差点か。
思わずノリツッコミをいれてしまうくらいに混み合ってるいるのだ。
都内のビジネス街にかまえ、年季だけを重ねたこじんまりとした校舎。
有名企業の高層ビルが立ち並ぶ中、あまりにも場違いなのがこの学校だ。
グランドと呼びながら広さは猫の額ほど、綺麗なのは最近改修工事を終えたトイレだけ、生徒の間ではそう言われている。
その割には生徒数が多いこの高校のどこに魅力を感じたのか自分でも分からない。
ただ中学の時の担任に勧められたからなんとなく受験したような気がする。
単願受験で内申も足りたし、他を探そうという気にもならなかった。どうでもよかった。
高校見学など行って母親と熱心に教師の話を聞く同級生と顔を合わせることがつらかった。子どもよりも前のめりになり、あらかじめ用意してきただろう質問を投げかける親を持つ同級生が羨ましかった。1人で高校見学に参加しなければならないという現実があの時の私には耐えられるものではなかった。
この後何か食べて帰ろうか?なんていう母親の顔も声も思い出してしまうから。
2年生になった今、後悔がないと言えば嘘になるが毎日を「なんとなく」の取捨選択で生きてきた私に後悔する権利など果たしてあるのだろうか。
創立120周年と今年赴任したばかりの校長は誇らしげに言っていたが、ようするに古臭いのだ。
私立なのに設備が悪いこの高校で学費が何処へ消えているのか。
目に見えているものが真実とは限らない、とはこの事なのだろうか。
「翼、これがいい。」
玲花の言葉に意識が引き戻される。
はいはい。
心の中で呟き、120円のベルギーチョコドーナツを買うためにボタンを押す。
こういう玲花の遠慮のない所は空気を読むことに疲れた私にとっては1周まわって楽ではある。
「やだもう翼だいすき。」
何とも軽薄な意思表示だ。
そう思っておきながら玲花にしっかり組まれた腕を振り解く勇気など生憎持ち合わせていない。何だかんだ玲花の持ち前の明るさに救われてる部分は大いにあると自分でも分かっているのだ。
玲花はブレザーのポケットからおもむろにスマホを取り出して、JK御用達のピンクアイコンの某アプリを起動する。
「ほら翼ぴーすぴーす!」
ドーナツをこちらに向けたかと思ったら、ピースを求めてくる玲花。
それらしい笑顔をつくりふざけながら、小さなシャッター音が私を映した事を表した。
私も随分と女子高生に順応してきたものだと、そう思えた。
別に年齢詐称してる訳でもないし、列記とした高校生なのだけれど馴染む事に苦労している私としては常に嘘をついている気分なのだ。
実は私は女子高生に擬態した宇宙人なんじゃないか、そんな突飛でもない妄想を繰り広げてしまうくらいには日常への違和感を持っている。
再び生徒の波をかき分けて教室へ戻る頃には5限目が始まる3分前だった。
月曜日の5限目はチャイム着席にうるさい石田の授業だ。
危うく叱責を受けるところだった。
生徒の自主性をはかるなどと言ってノーチャイム制を採用しているこの学校では、学級委員の号令が全ての指標となる。あえていうなら、チャイム如きで自主性が身につくほどここの生徒は優秀では無い。
時計の長針が35を指したところで、クラス1位だという学級委員の彼が起立を促した。
授業が始まってまだ15分
昼休みの喧騒などまるで忘れてしまったかのように静まり返った教室で、石田のとる板書の音だけが響く。
昼食後特有の眠気に誘われこっくりこっくり船を漕ぐ者もいれば、せかせかと別教科の勉強をしている者もいる。
いつかの漢字テストで出題された三者三様とはこういう事か。
現代文を教える石田の授業は分かりやすいと思う。
生徒の興味を引くのが上手で、なにより語彙力と知識が半端じゃない。
そういう部分は尊敬出来る。ただ私はこの人が苦手だ。
ひとたび石田の板書の手が止まる。
「Kはここで、「僕は馬鹿だ」と言うわけだけどなんでかな?俺はここになにか重要な意味があると思うんだよねぇ。」
急な問いかけに心拍数が一気に上がる。
ドキドキドキドキ。シャーペンを持つ手にすら鼓動を感じ、止まることのない心臓。今にも破裂しちゃうんじゃないか、そう思えるほど。
これは別に不整脈でもなければ、どこぞの少女漫画のように石田に淡い恋心を抱いている、なんてことも無い。
意味ありげに教室を見渡す石田。
もちろん絶対に目が合わないように下を向く。
1呼吸おいて彼の口がこれから紡ぐであろう名前が手を取るように分かる。
物理的には40分の1なのだけれど国語教師の彼には確率なんて概念は存在しない。
自惚れでも何でもないが、どうせ私に決まっている。
「永嶋さん、永嶋さんならもう分かったよね?
言っちゃってくださいよ。」
ほらね。笑えない。本当に笑えない。
知っている限りだとこのクラスどころか学年を探しても私以外に永嶋はいなかったはず。
理解している事を前提にする石田のこういう所がどうしても苦手なのだ。
石田の有無を言わさない絶対的な圧。
クラスメイトの視線が言うのだ。
早く答えろよ。代わりに当たったらどうしてくれるんだ、と。
ああもう逃げ出してしまいたい。
足りない脳みそで必死に考えを巡らし何とか絞り出して答える。
頭なんて思ったようには働いてくれない。
石田の顔色を窺うように、不安を隠せない私はいつだって声が小さくなってしまう。
だって本当に自信なんてないのだから。
全てを言い果たし、石田の反応を待つ。
回答を品定めされているようで、このたった数秒が私には永遠のように感じられるのだ。
「そう、そうなんだよ正解。さすがだよ永嶋さん。もっと自信もっていいんだよ。」
「じゃあ次、双葉に音読してもらおうかな。」
そう言って笑顔を作った石田にほっと胸を撫で下ろす。一気に力が抜けていく。
心做しか空気感も軽くなったような気がする。
石田の求める回答を出せた事に対する安心感でその後の授業はまるで手につかない。
それだけ私は石田に対して恐怖というか、悪い意味で何か特別な感情を抱いている。
授業を円滑に進めたいだけならそれこそあの学級委員の方が適任ではないだろうか。
私の成績は悪い方ではないが上手な点のとり方を覚えただけで決して頭がいい訳では無かった。
「テストができる」と「頭がいい」は決して同じベクトルではないのだ。
ただの作業と化した名だけの「勉強」で得られる極わずかな知識が発揮されることなど早々ない。
「翼っていつも石田に当てられてるよね
オキニじゃない?」
「どうせ私達の事なんてバカにしてんだよ。」
授業が終わり石田が居なくなれば、コソコソさも楽しげに囁かれるのだ。
決まって最後は「石田のお気に入り」と片付けられる。私の苦悩は所詮その程度のものなのだ。
まさか気づかれていないと思っているのだろうか。
じゃあいい事を教えてあげる。
石田は気に入った生徒の事は下の名前で呼ぶんだよ。
知らなかったでしょ。双葉ちゃん。
誰にも言っていないはずの成績がどこからか広まり出して、理想で語られる。
「まあ翼は要領いいからね。」
分かったような口を聞くな。
お前に何が分かるんだ。
どうせ誰にも理解されない。
そう思っているのはきっと私だけではなくって。
皆そう思いながら自分をトクベツなものとして捉えて、勝手に孤独を作り出しては誰かのせいにする。
だってそうした方がずっと楽だから。
結局自分だけが可愛いし、傷つくのは怖い。もちろん私だって例外じゃない。
綺麗事だけで生きていけるならそれに越したことなんてないけれど、それはあまりに理想系すぎる未来だ。
不器用のくせして未練がましく理想に縋りついて、都合の悪いものは誤魔化して。
生きるために大嫌いな根性論を盲信してはまだ頑張れると鞭を打ち、嘘と本音の間で身勝手な傷を負う。
弱音を吐くなど、私を守ってきたそれらが許すわけない。
子気味よく紡がれる板書の音。
ノートを取らなきゃいけないのにどうしてか手は動かなかった。
シャーペンを持とうと試みたうまく力が入らない手にはまるで神経がないように感じられた。
頭の中では苦しみが永遠に渦巻いて今にも泣き出してしまいそうだ。
こんなに泣きたいくせに弱い所を見られるのは、ちっぽけなプライドが許さなかった。
かっこつけていたら、弱さを認める強さをも失ってしまったのだろうか。泣かない事こそが強さだと思っていた。弱い姿を見せないことが正しいと思っていた。この選択が不正解だったことに私はずっと気付かないふりをしている。
ひとしきり考えをめぐらし冷静になると、結局私はいい子で居たいだけなのだという結論に至る。
いい子じゃなければ、きっと救われないから。
いい子で居れば、傷つかないで済むんじゃないか、なんて淡い期待を抱いてしまって。
どうせ私のことなど誰も守ってはくれないのだから、自己防衛くらいは許されるべきだ。
言い訳ばかりが達者になって、うまく言葉にできない焦燥感に駆られてはぐるぐるぐるぐる同じ事の繰り返し。
学生時代は舞台役者を目指していたという石田のよく通るバリトンがどうしたってまわらない頭を刺激する。
チャイムのならないこの学校で、授業の終わりを告げる指標をただただ座って待つ。
あれから5分経っただろうか。
はたまた15分だったろうか。
随分と長い時間のように感じられたことは確かだ。
しばらくして始業と同じように彼が起立を促し号令をかけ、ざわつき始めた教室を去る石田の後ろ姿を見送った。
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