怪獣の腕の中
朝霞肇
プロローグ
「あ、缶詰だ!」
台所を漁っていたわたしは、思わぬ成果に弾んだ声を出した。誰も聞いているわけがないのだけど、思わず口を押えて周りを確認した。
もちろん大丈夫だけど、なんとなくゆっくりと手を伸ばして缶詰を手に取った。わたしが好きな何かだといいな。できれば桃とかがいい。みかんでもいいな。
缶詰の表面には、魚の写真がでんっと存在を主張していた。わたしはうえっと顔をしかめる。魚はあまり好きじゃない。ごめん、ほんとはめっちゃ嫌い。
言い訳めいたことを言っちゃうのは悪い癖だけど、治りそうにない。もう少し台所を探してみるが、ほかに食べられそうなものは見つけられなかった。
魚の缶詰は何回見てもやっぱり魚の缶詰だ。開けたら桃が入ってたらうれしいけど、さすがにそんなことはありえないんだろう。
「あ」
缶詰をぐるぐる回していろんな角度から見ていて不意に気が付いた。缶詰は開けないと中身を食べることができない。
しかもこれは不親切な缶詰で、手で引っ張って開けられるようなものではないみたいだ。むぅとふくれてにらんでも、もちろん開くことはない。そんなことはわかっているけど、腹立つものは腹立つ。
今度は缶切りを探さなきゃいけないみたい。台所の棚を漁ればたぶん見つかるはずと踏んだわたしの読みは当たって、すぐに缶切りが見つかった。やったぁと飛び跳ねて、はっとして誰に言うでもなくしーっと唇に指をあてる。
よしよし、運が良いぞ。
缶切りを使って缶詰を開ける。中はツナ? 的な魚が一切れ入っていた。やっぱり食べる気にはならないけど、おなかが減ったいるからかあまり抵抗がない。
はしがないことにも気づいたけど、もう探すのが面倒くさくて缶切りで魚を刺して持ち上げた。ぼろぼろと崩れたけど、なんとか小さい一切れを口に運ぶ。
おいしくはないよ。でも、食べ物だ。
もぐもぐと噛むと魚の嫌な味が口の中に広がっていく。うええと口に出しながら、なんとか飲み込んでいく。
缶切りをフォークみたいに使ってなんとか食べた。缶詰に残っていた汁ももったいなくて全部飲んだ。しばらく口の中に魚の味が残りそうですぐに後悔した。
空になった缶詰を手にゴミ箱を探す。けれどすぐにどうでもいいんだと思い、それでも適当にするのもなんとなく嫌で流しの中にちょこんと置いた。
そのあとは階段で2階に上がった。上がってすぐの部屋を開けると、ベッドがあった。
「よかった~」
思わず気の抜けた声が出た。食べ物が一番大事だったけど、寝る場所もその次には大事だって思ってたから。
ベッドにぴょんと飛び乗る。ベッドはわたしの体を強くはじいて、一瞬宙に浮いた。その感覚が面白くて、しばらくベッドで飛び跳ねてはしゃいだ。こんなベッドで寝たことなんてない。
ひとしきり満足して、部屋の中が煙たくなっているのに気付いた。ベッドで飛び跳ねたせいで、ほこりが舞っちゃってるんだ。
ベッドから降りながら何度かくしゃみをして、窓を思い切り開けた。ぬるい空気がむわっと入ってきて、思っていたような気持ちよさはまったくなかった。
窓の向こうにお家が見える。でもそのお家は、ぐちゃぐちゃにつぶれていた。そのお家だけじゃなくて、その隣も奥もまたその隣もとにかくわたしの目に入る限りのお家はぐっちゃぐちゃになっている。
こんな光景は、なにも珍しくもない。わたしもすっかり慣れてしまった。逆に今わたしがいる家が無事なのがびっくりしたぐらいだ。
この世界は、もう終わってしまっている。
わたし以外の生きている人間なんて、もう見ていない。
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