3-2.前触れもなく惨劇の幕が切って落とされる

 アルズは一瞬だけフレデリカに視線を向ける。


(この一週間、俺なりに気持ちの整理はしたつもりだ。……認めるよ。俺だってフリッカが好きだ。……フリッカだって俺を想ってくれている。けど、新人画家の俺は煌びやかなドレスも髪飾りも買ってやれない……)


 布がゆっくりとあげられていき、舶来の扇子を握った手元に続き、白いドレスの胸元が現れる。


「アルズ……」


 身を乗りだしたフレデリカが胸の前で手を組み、祈る。しかし、その切なる望みを乗せた言葉は、アルズはおろかすぐ隣に立つシヴァにすら届かない――。


 唐突に乱入する重い音があった。広間入り口の硬く厚い扉が、まるで竜巻に呑まれた安物のように軽々しく室内に倒れこみ、絨毯を裂いて転がる。扉に施された金細工が、窓から射す陽を小さく乱反射させた。


「うわっ」


 不意の事態にアルズは王の御前であったことを失念して身を捩り、背後を見た姿勢で尻もちをつく。


 広間に無礼を咎める声はあがらない。全員の意識が、入り口へ釘づけになる。


 一目で異国の物と分かるダークブルーの服を着た男が立っている。


 体にフィットし機能性を重視した服装は、フラダの民から見れば乗馬用に見えただろうか。


 フラダでは布地をゆったりと余らせて体のラインを隠す服が普及している。乱入者のように、ベルトで腰を細くし、脚の形が分かるズボンを穿くことはない。齢二十五前後程に見える男の気配は、道楽で乗馬を楽しむ貴族のものではない。気の弱い者であれば目を背けたくなるような、険呑な気を放射している。


 短く赤い髪は炎のように逆立ち、すぐ下で獣のように獰猛な瞳が爛々と輝く。


「ノックのつもりだったんだがなァ。弱小国家は城すら欠陥建築か?」


 名はルイド・ゴーエン。ガストール大陸の東南を制覇するシエドアルマ皇国の凱皇がいおう騎士隊、その一隊を率いる者だ。


 右手に握る刀と呼ばれる刃物は、数千年前に滅びた大国が用い、後に歴史の闇へと消えた精霊武具の一つだ。今まさに過去の遺物がアルズに、いや、フラダ王国に牙を剥き、その運命を終焉へ向かわせようとしている。


 広間の外、ルイドの足下には衛兵が二人倒れている。誰もが突然の事態に動揺しており、外の兵士が無音の内に無力化されたことを疑問に思う余裕はない。


 当然、ルイドが手にする武器を知る者は居ない。


「何者だ!」


 最もドア付近に立つ兵士が鞘から剣を抜き歩みだす。乱入者の持つ日本刀よりも一回り幅が広く分厚い。窓硝子から射す陽差しを浴びて白刃が鋭く煌めいた。王族の警護を任される熟練の兵士は、けして油断せずに間合いを詰めていく。


 乱入者は挨拶でもするかのように自然な動作で、右腕を上げる。刀の切っ先が兵士の眉間へと向けられる。距離は2メートル、互いに間合いの外。


「観察が足りてないぞォ、蛮人。外に死体が二つ転がっているのに、俺の刀身に血が付いていないことを疑問に思え。なァ?」


「黙れ! 武器を降ろして、下が――あ――ビュ……」


 突如、兵士の背中が裂けると血霞を上げながら左右に別れて倒れる。鉄錆に似た生々しい臭いが爆発的な勢いで膨れあがった。


 一瞬で死に姿へと果てた仲間に、兵士達が驚愕の視線を送る。


「不愉快なことに、蛮人の羶血せんけつも赤いようだなァ」


 ルイドが腕だけを動かすと、到底刃の届かない位置にした兵士達が次々と血飛沫を散らし、倒れていく。兵士はサーコートの下に鎖帷子チェーンメイルを着込んでいるが、紙切れのように容易く両断されていた。城内を警護する兵士は弓矢による攻撃を想定しないため盾を装備していなかったが、たとえ盾があったとしてもルイドの攻撃を防げなかっただろう。


「な、何が……」


 腰を抜かして尻もちをついたままのアルズは確かに見た。いや、見えなかった。


 ルイドが細く反った剣を振ると、離れた位置で血肉が飛び散る。


「きゃあああああああああっ」


 顔面を蒼白にした王妃が逃げだそうとして椅子から転げ落ちる。隣では国王が血の気を失った顔のまま、動けずにいる。


 ルイドが酷薄な笑みを浮かべ、視線を段上に向ける。


 その視線を遮るようにシヴァが前へ出ると、左腕を水平にあげてマントをかざし、国王の姿を隠した。

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