3.侵略者

3-1.肖像画を披露するためにアルズは城の広間に参上した

 アルズが首都ヴァニカラードに帰り着いた日、収穫祭は三日目を迎えていた。


 大通りでは水の神に扮した者達が柄杓で水を撒いている。せっかく手に入れた画材を濡らさないように、アルズは拡張工事の果てに入り組んで狭まった裏路地を歩いて自宅に戻った。


 四日目、五日目と、豚鬼オーク小鬼ゴブリンに仮装した子供が戸を叩いた。事前にお菓子や玩具を用意しておいて振る舞わなければならないのだが、アルズは気付かず作業に没頭した。


 蜜蝋に火を灯し、時を忘れてキャンバスと向き合っていると、ふとした拍子に神託の如く鮮明にシヴァの言葉が脳裏を過った。


『政略結婚を破談させるため、肖像画を不細工に描き直せ』


『フリッカは妹として兄を好いているわけじゃない。女として、アルズが好きなんだよ』


 六日目。広場で勇者によるドラゴン討伐の芝居が演じられる。収穫祭最大のハレの日だ。縁起が良いため、この日が肖像画の納期に定められていた。


 アルズが城へ向かうのは五日ぶりだ。城の二階中央にある謁見の間では、段上に国王と王妃が並んで座り、王子と王女が玉座の隣に控えている。


 広間の中央に跪く画家は、緊張したまま視線をあげられないでいた。アルズはシヴァやフレデリカとは家族同然の仲だし、国王や王妃にもお言葉を賜ったことがある。だから、アルズが息苦しさを覚える理由は王族を前にしているからというより、左右の壁際に立つ衛兵達にあった。


 冑の鈍い輝きやサーコートに描かれた鷹に威圧感を抱くわけではなく、鞘に収まった剣に恐怖を感じるわけでもない。アルズは、二十名の視線を集める事態に緊張していた。


 視線を引き寄せるのは、厳密にはアルズ自身ではない。アルズがこれから国王達に披露する肖像画だ。イーゼルに乗せた絵は布を被っており、誰の目にも映らない。しかし、広間に集まる全ての者が関心を向けていた。


 誰もが絵のでき具合を気にする中、正装に身を包んだ王太子と王女だけは、異なる理由の視線を送る。


(アルズ、絵は描き直したんだよな? 不細工なら結婚は破談になるかもしれない。そのことで父上の不興を買ったとしても俺が護る……!)


 王太子は純白のリネンの上に、黄金の刺繍を施した真紅のマントを羽織っている。背中にはフラダの象徴である、鷹と弓の紋章が描かれている。


 シヴァは二人の幸せを願い、隣国ペールランドとの縁談を壊すために絵の描き直しを指示した。その後アルズが城に来ていないので、完成品をまだ一度も見ていない。


(アルズ、信じているぞ……! 俺はお前にも幸せになってもらいたいんだ)


 もしアルズがフレデリカを好いているのなら、絵は面影を残しつつも見目を悪く描き直されたはずだ。


 熱い視線を送るシヴァの隣で、フレデリカは期待と不安の入り混ざる眼差しをアルズに向け、白いドレスのドレープを揺らした。


(アルズ、私は……)


 王女は肖像画の役割と重要性を理解している。この時代の王族が結婚する際に、本人達が直接会って互いの意思を確認しあうことはない。女性側がお見合い用の肖像画を送り、相手が気にいれば結婚成立だ。そのため、肖像画が本人の面影を残しつつも別人のように美しく描かれることは、ごく当たり前に行われる。


 つまり、実物は肖像画に劣る。肖像画に表現された姿が不細工であれば、実物は目を背けたくなる程かもしれない。そういった場合に縁談が破棄されることもある。


 フラダ王国とペールランドは歴史的には敵対している期間の方が長いが、軍事侵攻を加速させるシエドアルマ皇国に対抗するという目的を共有しているため、実質的に結婚は決定している。だから肖像画の披露はアルズにとってはフレデリカと別れる前に、最後に想いを伝える機会でもある。


 アルズが画家としての職務を全うしたのなら、布の下にはフレデリカの姿が見目麗しく描きだされているはずだ。歴史に名を残す聖女アーリスの如く気高い美しさは、見る者の心を一瞬で奪うだろう。


 国王から高い評価を得られれば今後も仕事を依頼され、アルズの生活は安定する。しかし、アルズが政略結婚を決裂させようとするのなら、フレデリカが好きだと告白するのなら、肖像画のフレデリカは醜い顔立ちで描かれている。


 フレデリカは金糸の縫い込まれたレースのように繊細な状況を全て理解した上で、布に隠された肖像画に儚い期待を込めた視線を送る。


(一緒に暮らしていた頃、アルズに何度も似顔絵を描いてもらったよね……。あの頃は「可愛く描いて」って言っていたけど。今は――)


 王女の立ち位置が常よりも半歩分、前にあった。立場上、玉座は当然として王太子より前に立つことも許されないのだが、絵が気になるあまり知らず知らずの内に前に出ていたのだ。


 王太子がさりげなく王女の袖を引き下がらせる。そんな子供達の様子に気付くことなく、玉座の主が鷹揚に口を開く。


「アラフの子アルズよ。幼少期を共に過ごした其方ならば、我が娘の魅力を余すことなく表現できたであろう。さあ、絵を見せてくれ」


 白く長く蓄えられた髭の中から発せられた声音は優しく穏やかだ。政略結婚とはいえ、娘の幸せを願っていることには変わりない。


「畏まりました」


 やや上ずった返事をし、アルズはイーゼル上の布に手を伸ばす。視線を集めている緊張と、絵を見せた時の反応への不安で、指先の震えが徐々に大きくなっていく。

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